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六日前──
「どうして駄目なんですか!」
所長室の机をばん、と叩いて、銀髪の若い女が叫んだ。
「これは決まっていることなんだ」
机のむこうで椅子に座っている初老の男──所長らしい──が、そっけなく言う。
「あの塔について調べることは許可できない」
「だから、なぜなのかと聞いているんです」
「しきたりだよ。ずっと昔からのね」
所長はそう言うと、部屋の入り口を指して続けた。
「出ていってくれ。これからまだ仕事がある」
「納得できません」
女はまだ食い下がった。
「現にこれだけの被害が出ているのに、どうして──」
「その事件に塔がかかわっているという証拠はどこにもない。──稗田くん。君も知っているだろうが、我々はあの塔によってずっと守られているんだ。それを台無しにしてしまうかもしれないような行動は、すべきじゃない」
「それこそ証拠がありません。ただの言い伝えです!」
「なるほど──では君は、あの塔に何もないとでも言うのか?」
「そうは言いません。だからこそ……」
「何もないなら調べてみるまでもない。何かあるとすれば、それは、少なくとも今までの百年間、私たちを守ってくれたものでもあるわけだ。そっとしておくべきだと思うね」
女──稗田は、所長をじっと睨みつけた。
「さあ、出ていってくれ。こう見えて私も忙しいんだよ。──君ほどではないにしてもね」
薄笑いひとつ浮かべない仏頂面のまま、所長はそう言った。
──稗田は、ドアを思い切り叩きつけて出ていった。
*
「どうでしたか」
廊下のつきあたりで稗田を待っていた草薙は、彼女にそうたずねた。
「駄目。──腹が立つったら。あの狸爺ぃ」
「何かあるんですかね」
言いながら、草薙は、稗田のほうをじっと眺めていた。
稗田は彼の先輩にあたる職員で、同じように銀髪をしている。これは、先天性月光症の
典型的な症状であり、非常に短命であることの証でもある。
草薙も同じく銀髪で、月光症患者であるが、稗田の場合、幻病を併発しており、視力の衰えがすでに始まっている。今だって、分厚い眼鏡をかけていなければ、ほとんど何も見えないはずだ。
(美人薄命、というのでもないだろうけど──)
草薙はそう思って少し笑った。稗田は整った顔だちをしているが、全身の色素が薄く、瞳が赤いせいか、なんとなく日本人離れした近づきがたい雰囲気を持っている。
「何? なにかついてる?」
「いえ──眼鏡、ずれてますよ」
草薙はそう言うと、稗田に背を向けて廊下を歩きだした。
「どこ行くの?」
「記録庫を調べてみますよ。何かあるかもしれない」
「私も──」
「稗田さんは所長に睨まれているでしょう。とりあえず勤務時間中は、ちゃんと仕事をしているふりをしたほうがいいですよ」
稗田はなんとなく納得いかない様子で草薙のほうを見ていたが、やがて、ふっと安心したように笑って、言った。
「そうね。あとで、また」
「ええ」
*
そう言ったところで、手がかりなど、そう簡単に見つかるものではなかった。
塔に関する正式な記録はすべて抹消されていたし、そもそも百年以上前からずっと閉ざされてきた建物であるから、資料などないに等しかった。
物見塔──。
それはこの街の一種のシンボルでもあり、同時に、もっとも謎に満ちた建物でもあった。 塔に関する言い伝えは、子どもでも知っている。
『物見塔のてっぺんには、神様が住んでいる』
『守り神が──』
塔の中に住んでいるものは、話によって守り神であったり、怪物であったりしたが、それがこの街を外敵から守ってくれている、という内容に変わりはなかった。
本当がどうかは判らない。塔の中身について知っている者はいないのだ。だが、この街が何か不思議な力で守られている、という点については、紛れもなく事実であった。
だからこそ、時空竜巻に発展しかねないような強力な魔力帯が近づいているというのに、こうして普通の生活を送っていられるのだ。
本当なら、すぐさまこの街をひきはらって、住人すべてをどこかへ避難させなければならないところだ。時空竜巻に巻き込まれたら、生きていられる者などいないのだから。
だがその必要はない。魔力の影響でいくらかの被害は出るかもしれないが、それだけだ。
この街は決して滅びない。
(……見当たらないな)
草薙は、年次記録の棚から離れて、さらに奥へと進んでいった。
ここより奥は、いわゆる『がらくた区域』で、正式な書類のある場所ではない。
逆に言えば、きちんと整理されている棚ではないから、思わぬものが転がっている可能性もある、ということだ。
あるはずのないものを探すなら、最適な場所である、ともいえる。
それに、もともと書類整理を名目にして来たのである。ここにいたほうが都合がいい。
「草薙くん!」
稗田の声だ。草薙が振り向くと、彼女は二人分の食事を載せたトレイを持って笑っていた。
「こんなところにいたの?」
「『書類整理』ですから」
口元だけ笑ってみせて、草薙はそう言った。
「何か面白い書類はあった?」
「いいえ。まだ何も」
「そう……」
稗田は残念そうにそう呟くと、右手をトレイから離して、親指で、書庫の隅にある書きもの机を指し示した。
「お昼御飯にしよう。もう昼休みだよ」
「そうですね。──どうも」
てきぱきと皿や湯飲みを並べてくれる稗田に軽く頭をさげて、草薙は脚立がわりの椅子に腰をおろした。その向かい側に、稗田がすわる。
「──資料なんて、もう残っていないのかもね」
突然、諦めたようなことをいう稗田に、草薙は驚いて反問した。
「なぜです?」
「百年も経ってるんだもの。──それに、そんな重要機密なら、百年前にだって、ちゃんと証拠隠滅の措置がとられたはずよ。今さら見つけようったって」
「そうは言っても、他に……」
「──ねえ」
稗田はずいと机の上に身を乗り出すと、草薙の耳に唇を近づけて囁いた。
「……忍びこもうか」
「──塔に?」
「もちろん」
にやにやと子供のように笑いながら、稗田はそう言った。
「警備がいますよ」
「何とでもなるわよ。──私、警備担当者に知り合いがいるの」
「……」
「当番は五日後だって。……ね、どうする?」
「ですが……」
草薙は、少しだけ迷うように沈黙してから、言った。
「──まだ、この異変の原因が塔にあると決まったわけではありませんよ」
「所長みたいなことを言うじゃない」
「事実ですから」
すまして言う草薙に、稗田は複雑な目を向けた。
「……まあ、そうなのよね。なんだかんだ言って、状況証拠しかないんだし」
「これ以上塔のことを追求するより、他の手がかりを探したほうが早いかもしれませんよ」
「でもねえ……」
緑草茶の入った湯飲みを右手でいじり回しながら、稗田は言った。
「どうにも、ひっかかるのよね。異変の中心があの塔だったし……」
「ですが、たとえばこの研究所だって、物見塔のすぐ隣にあるわけですし」
「──実はさ、あのあとすぐ、フーチと天深盤で、付近の魔力分布を読んでみたのよ」
音をたてて茶をひと口すすってから、稗田は続けた。
「事件の後、あの塔の真上だけ、魔力濃度が高くなっていたの」
「……魔力帯の影響では?」
「あのときだけ、しかも塔のてっぺんだけよ? それに、あれだけの濃さなら、かならず周囲にも拡散して、このへん一帯の濃度が上昇するはずなのに……まるで何かにブロックされてるみたいに、そこだけに留まってた」
「なるほど。妙ですね……」
草薙はかるく目を伏せて考えこんだ。
「何かいるのよ、あそこには。それは間違いないわ」
稗田は、口から唾を飛ばさんばかりの勢いでそういうと、水麦パンの固い塊に、思い切りかぶりついた。
「そうですね……」
「だいたい、百年間閉じられたまんまのくせに、食事だけはずうっと運びこまれてるっていうじゃない。何かいるのは確実なのよ。それも人間以外の何かが」
「……ほんとうに百年間開けられたことがないのなら、ですけどね」
「そうね……ねえ、食べたら? 昼休みが終わっちゃうわ」
「ええ」
「……仕事が終わったら、一緒に現場を回ってみましょう」
草薙が頷くと、稗田は、満足したように目を細めた。
*
魔法研究所の仕事は、遅くとも夕方までにはすべて終了する。
月が出ているとき、日没後に出歩くのはきわめて危険だからだ。そのかわり朝は早い。
草薙と稗田は定時に研究所を出た。日没までにはまだ間があるから、そのあいだに異変があった場所をまわろうというのだ。
表門から出ると、そこはもう繁華街である。二人は、仕事帰りや買い物の人でにぎわう大通りを、北へと歩いていった。
「寒くなってきたわね」
稗田がそう呟く。
「魔力帯が近づいていますからね」
「そうね。……こんどのは大きいんでしょう。少し怖いな、私」
「大丈夫ですよ。時空竜巻だって、いつもこの街には来ないでしょう」
「発作が怖いのよ」
稗田はそう呟いてから、自分自身を励ますように顔をあげて深く息をついた。
「幻病の。次は失明するかもしれないし」
「まだ大丈夫ですよ」
「月光症の進行も速まるのよね──寿命が二年くらい縮まるわ、きっと」
「僕もです。……そろそろ残り十年ってとこですか、お互い」
「そうね──」
二人は顔を見合わせて笑った。
草薙や稗田のような、重度の、しかも先天性の月光症患者は、この街では少ない。
だから余計に、二人は、幼いころから死と向き合ってきたのだった。
「最近よね、覚悟ができたの。あなたは?」
「しばらく前ですね」
「そう。──でも判らないわよね。明日にでも事故で死ぬかもしれないし」
「昨日のようなこともありますからね」
「うん──」
「街の外では、平均寿命は20年をきるって言いますし」
「……幸せなほうなのかな、私たち」
「さあ……今は幸せですよ、僕は」
「──私も。おおむね、ね」
そこから先はなんとなく無言で、二人は歩き続けた。
「……ここですね」
そこはまだ、同じ大通りだった。
その通りにちょうど交差するように、円周状の破壊の列が続いている。
通りの右側──草薙の記憶によれば、そこには、もともと、年老いた女が経営する小さな雑貨屋があったはずだったが──は、みごとに何もない空き地になっていた。
その先には、空き地と瓦礫の山が、交互に続いている。左側も同様だ。
「フーチ、持ってきてますか」
「うん」
稗田はコートの右ポケットから魔力計測用の振り子を取り出し、人指し指にかけた。
フーチは慣性に従って少し揺れて、それから、少し西に傾いて、安定した。
「……普通ね」
「そうですね」
フーチの反応をみて、二人はそう言った。
大きな魔力帯が西側から近づいていることは分かっている。今さら驚くこともない。
「……やめましょ。昨日ちゃんと精密計測したんだもの、今さら──」
稗田がそう言って、フーチをしまおうとした、そのとき──
突然、振り子の先端についた青い石が、まるで生きているようにくるくると踊りだした。
「──ッ!」
「……魔力反応です! 強力な──」
フーチはしばらく無意味な動きを続けたあと、ふたりの背後、南ななめ上のほうをむいて、ぴんと張りつめた。
その方向、その高さにあるものはひとつ。
すなわち、物見塔の頂上──
「──危ないッ!」
そのことに気づいた草薙は、とっさに、稗田の手をとって飛び退いていた。
稗田の手から離れた振り子が、空中を飛んで、街の中心方向へと消えていく。
そして──
『それ』はやって来た。
あまりにも強い、魔力の波動。
満月の夜の光を何百倍にも強めたような、力のかたまり。
草薙は稗田をかばうように身を伏せた。
暴風が吹き荒れ、気温が急激に下がっていく。
彼の体の下で、稗田はがたがたと震えていた。
草薙はじっとうずくまったまま、目の前で起こることを見定めようとした。
視神経から脳へとダイレクトに伝わってくる痛みに耐え、大きく目を開く。
目の前で悲鳴をあげていた若い女が、一瞬後には跡形もなくなっていた。
談笑していた若いカップルが。
露天商をしていた中年の男が。
杖をついて歩いていた老婆が。
彼の前で、次々に消えていった。
仕事帰りらしい職人風の男の右腕が、なくなった。
母親に連れられていた十歳ほどの女の子は、両手と両足を失い、地面に転がった。
母親は消えていた。
その子どもと一緒にはしゃいでいた男の子の背中に、大きな羽が生えてきた。
姉らしき女は、全身に剛毛が生え、獣のような体つきへと変わっていった。
草薙は、月光症に冒された体が、魔力を受けて強く震えるのを感じた。
壊れかけた細胞たちが悲鳴をあげていた。
月の夜と同じ空気が、肺を満たしてゆく。
痛みに満ちた、しかし、どこか懐かしいような──
暗転。




