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月のふる街  作者: 楠羽毛
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5

 静かな夜だった。

 ウナは眠らずに、ぼんやりとベッドに横たわっていた。

 月獣の声も、狂樹の呻きも、今夜は聞こえない。

 時空竜巻を恐れて、みんな逃げてしまったのだ。

 まだこの地に留まっているのは、自分たち二人と、あの街のものたちだけ──

 とりあえず、カラスを説得して、ぎりぎりまでここに留まることにしたものの、ウナはまだ決めかねていた。

 街に戻るべきなのか。このまま去るべきなのか。

 街のものたちに警告してやるべきなのか。

 皆が助かる方法はないのか──

 カラスか百年かけて見つけられなかったものを、いま考えたところで、判るはずがない。

 そうも思うが、諦めることはできなかった。

 衛史が殺されたことへのわだかまり。

 百年を無為に過ごしたことへの悔恨。

 忘れていた、大切な思い出──

 そうしたものが、ぐるぐると頭のなかを回りだして、どうにもならなくなっていた。

 闇夜でないのが、せめてもの救いかもしれなかった。この時代、居室には窓がないのが普通だが、この部屋には大きガラス窓がある。ウナは、月の光でまるで昼間のように明るい外の景色を、直接見ることができた。

 見渡すかぎり、枯れた樹木と月光のほかは、何一つない荒野が広がっている。

 彼女の記憶によれば、百年前、ここは森の中であったはずだ。

 百年の間に、月の魔力によって、このように変貌してしまったのか──

 あるいは、何か他の原因あってのことか。

 ウナにはわからない。べつだん、知りたくもない。

 ただ、街のなかの繁栄ぶりと比較して、少し寂しいな、と思っただけだ。

 ウナは、窓を開けて空を見上げた。

 少しだけ欠けた大きな月が、空の半分を覆っている。

 残りの空は、闇だ。星は見えない。

 濃い魔力を含んだ重い風が、頬を吹きつける。


 ──すうっ──。


 目を閉じて、何度か深呼吸をする。

 少しだけ気分がよくなった。

 と──そのとき。

 どこからか、足音が聞こえてきた。


 ──ざっ──ざっ──ざっ──ざっ──


 時を刻む機械のように、規則正しい足音。

 荒野をまっすぐ通って、こちらに近づいてくる──

 ──突然、鋭い光がウナの目を貫いた。

「──ッ!」

 ウナは反射的に顔を伏せて目を覆った。

 月光だ──そう思う。魔力に溢れた、あの特徴的な波長は間違えようがない。

 けれども、なぜ、空を見上げたわけでもないのに、あんなに激しい光が?

 ウナはそっと顔をあげ、薄目で外を見た。

 ひとりの人間──だろう、おそらく──が、こちらに歩いてきていた。

 頭から足の先まで、全身を白いローブのようなもので包み、顔も隠している。

 露出した部分がないので、年齢、性別はおろか、本当に人間なのかどうかも判らない。ただ、二カ所だけ布に穴があけられていて、黒い目が見えていた。

(月傘……?)

 それが持っているものを見て、ウナはそう呟いた。

 月の光をうけてするどく輝く大きな傘を、空にむかってさしているのだった。

 それは、月の光をさえぎる月傘だった。衛史が以前さしていたのを、ウナは覚えていた。

 その人間は、まっすぐにこちらを見つめているようだった。

 ウナは戸惑った。その、こちらを見つめている目に、なにか奇妙なものを感じた。


 冷たいようでもあった。

 温かいようでもあった。


 何かを楽しんでいるようでもあった。

 何かを憂いているようでもあった。


 そして、あえて言うならば、その目は、美しかった。


 あらゆるものをその中に含むような、それは、美しさだった。


 そして、その目が、ウナを見つけて、にっこりと笑った。


「誰!」

 ウナは叫んだ。

 叫ぶと同時に、窓から飛び出して、走りだしていた。

 月の光が満ちる荒野を、まっすぐに駆けてゆく。

 月傘の反射光が眩しかったが、ウナは目を閉じなかった。

 というより、閉じることができなかった。

 二つの目をまんまるく見開いて、ウナは、その人間のもとに辿りついた。

「誰なの?」

 弾むような声で、ウナはそう尋ねる。

 相手は、傘をもったまま軽く一礼して、こう言った。

「──草薙といいます」

 布に遮られて、いくぶんくぐもった、男の声だった。

「あなたは──」

 言いかけて、ウナは口ごもった。

 とっさに、何を訊いたらいいのかわからなかった。

「『街』の、魔法研究所のものです」

 草薙が言った。

「魔法──研究所?」

「魔法技師たちの互助会のようなものですよ」

 そう言った草薙は、ふと目線を上のほうにやって、呟いた。

「あれは……」

 ウナの頭上、少し離れたところを、鳥の姿のカラスが飛んでいた。

 カラスは、草薙の目に気づいて、すっと降りてきた。


 ……があ。


 ウナの肩にとまって、そう、ひと声鳴いてみせる。

 ただの鴉のように。

「カラス?」

 ウナが不思議そうに呟く。

「どうしたの」

「……油断させようと思ったんだよ」

 少しだけ悔しそうに、カラスがそう言う。

 草薙は、ほんの少し驚いたように身じろぎした。

「魔法研究所のもの、だって? 何の用だ」

「……あなたは?」

 草薙はそう問い返した。さきほどと変わらない声音で。

 かすかにみせた動揺は、もう消えていた。

 懸命に押し隠しているのか、ほんとうに落ち着いているのか。それとも、ただ単に、顔に布を巻いているせいで、細かい感情の変化がわからないだけなのか。

 判らなかった。わずかに露出した二つの目からは、何も読み取ることはできない。

「俺はカラスだよ。知ってるんだろう?」

「いえ……」

 静かに首を振って、草薙は言った。

「そういう名の人がいたことは知っていましたが、まさか本当に……」

 くくく、とカラスは含み笑いをした。鴉の姿のままでそうすると、なんだか知らない相手のようだ、とウナは思った。

「俺はカラスだよ。……まあいいさ。それで、用件は?」

「街を救いたいんです」

「ダメだね」

 カラスはにべもなく言った。

「俺のことを知ってるなら、昔あったことも知ってるんだろう? 協力すると思うかい」

「カラス──」

 思わず声をあげたウナに、カラスはきつい口調で言った。

「ウナ。衛史を殺したのは、こいつらだ」

 ──ウナの顔つきが、さっと変わった。

「誤解です。いえ……」

 草薙はあわてて弁解した。

「──それは確かにその通りですが、しかし百年以上前のことです。当時の人はもう誰も残っていませんし……」

「私たちは残ってるよ」

 ウナはそう言った。ひどく冷たい声だった。

「あなたたちは忘れてたんでしょう。私が衛史を忘れてたみたいに」

「それは──」

「私だって忘れてた。でも私は──思いだしたよ」

 最後のほうは、かすれて声にならなかった。

「帰ってくれ」

 カラスが言った。

「百年以上──その間ずっと、ウナはあの塔に閉じ込められてきたんだ。あの塔は、お前たちが管理していたんだろう?」

「知らなかったんです。ずっと昔からの申し送りで、中に何がいるのかは……」

「記録は残っていた筈だ」

「……記録庫のいちばん奥に。今度のことで、昔の記録が発掘されて、ようやく──」

「どうも、よくわからんな」

 カラスの口調が、少しやわらいだようだった。同じように不思議そうな表情をしているウナと、顔を見合わせるようにして、聞き返す。

「今度のこと、だって? 何かあったのか?」

「それは……」

 言いかけて、草薙は言葉を止めた。

 目だけで、にっこりと微笑んで、言う。

「できれば、建物の中に入って話しませんか? 私のような人間には、月光というのが、なかなか辛いものでして──」

 カラスは、毒気を抜かれたように、言った。

「好きにしろよ」


                    *


 顔から布をはずした草薙は、ごく平凡な顔つきをしていた。

 高過ぎない鼻、少しだけ丸みを帯びた顎、短い銀髪。予想よりも彼が若かったことに、ウナは驚いていた。ものごしは落ち着いているが、ひょっとすると二十歳前かもしれない。

 ただ一点だけ、彼の外見に特徴的な部分があったとすれば、やはり目であった。

 ──深淵のような目。

 そうとでも言おうか。

 目のかたちがどう、というのではない。

 目の色がどう、というのでもない。

 目の色とかたち、その二つの組み合わせがどう、というのでもなかった。

 ただ、目は、目である、としか言いようがない。

 他のなにがどう、というものでもないのである。

 それでいて、その目は、昏く、深く、あるいは明るく、闇のようで、月のようで、太陽のようで、さらには宇宙のようでもあった。

 不思議な目であった。

「……初めは、ささいなことだったのです」

 草薙は、そう語りだした。

「たとえば、変化症や月光症の発生率や死亡率が、だんだん大きくなってきたとか、群れから離れた獣が、何匹か街中に入りこんで暴れたりとか、その程度のことでした」

 三人は、居間の大きなテーブルを囲んで座っていた。ウナとカラスは、草薙の向かい側に並んで、彼の話に耳を傾けていた。

「月光によって、予想より早く老朽化した建物が崩れたり、作物が魔力にあてられて使いものにならなくなったり──そういう事故の件数も、例年より多くなっていました。その傾向は非常に顕著だったのですが、しかし、あくまでも統計上のことにすぎません」

 彼の話し声は、非常に温かくて、落ち着いていた。

 平坦なのではない。ゆっくりと波に揺られるような一定のリズムを持っている。

 まるで子守歌のようだった。

「はっきり、それとわかる事件が起こったのは、ちょうど一週間前のことでした。物見塔の近くにあった建物が、突然、消えてしまったんです」

「消えてしまった?」

 ウナは、思わず、すっとんきょうな声をあげていた。

「正確には、物見塔から、一定の距離にある建物が━━塔を中心にした、半径1キロメートルほどの円周上の建物のすべてが、いっせいに崩壊したんです。そしてその半分ほどは、崩れてしまっただけでなく、まったくなんの痕跡も残さずに消えてしまったのです」

「魔力崩壊ということは考えられないのか?」

 カラスが鋭い声でいった。草薙は首をふった。

「魔力傷の痕跡はありませんでした。仮に、そのような限られた地域に、大規模な崩壊を起こすだけの魔力が集まったとしても──消える、ということはありえません」

「消えた、というのは? 文字どおり、まったく、何も残さずにか?」

「そうです」

「──まるで、風化して消えてしまったか、それとも最初から何もなかったかのように?」

 カラスは、何かを恐れるように声をひそめて、そう言った。

「その通りです。街の建物のほとんどは石造りですが、崩壊したもののうちいくつかは、はっきりと風化の痕跡が見てとれました。なかには、なにか巨大な動物に襲われたかのように、人間の身体と同じほどの大きさの歯形が残っているものもありました──」

「──続けてくれ」

「その翌日に、また同じ場所で、こんどは別の異変がありました。こんど消えたのは人間でした──その付近を歩いていたものたちのうち、八割ほどが消滅し、残りのほとんどが傷を負うか、病を得ました──」

「病というのは……」

「主として月光症、変化症──獣化病に罹患したものもいます。少数ですが幻病も……」

「……待って」

 さらに先を続けようとした草薙を、ウナが止めた。

「どういうことなの? よく判らないわ。その異変というのは──」

「ウナ」

 答えたのはカラスだった。

「言ったろう。滅びが漏れだしているんだ」

 ウナははっと顔色を変えた。カラスはなだめるように続けた。

「戻ってきているんだよ。あんたが封じていたものが。あんたがいなければ、この街はたぶん、もう残ってはいない──だから、消滅しようとしているんだ」

「しかし、消滅させるわけにはいきません」

 草薙が口をはさんだ。いくぶんかの緊張が、その声音に表れていた。

「我々はまず、近辺の魔力の様子を調べました。この地域の魔力濃度は、今までになく高くなっています。しかしそれは予測されたことで、異変の原因とは思えませんでした」

「その魔力上昇も、言ってみれば封印が破られかけていることの証拠といえなくもないさ。まだウナの力が働いているうちは、あの街に、そんな危険なほどの魔力が集まったことなんて、一度もなかったんだろうからな。──それで?」

「いちばん注目されたのは、魔力上昇の中心が、どうみても物見塔にあったことでした。こんどの異変の中心もあの塔でしたから、これにはなにかの関わりがあるものと思われました。古い記録を調べてみたのですが、塔の役割や中身について述べたものはありませんでした。それに物見塔について詮索することは禁忌とされていて、いままで、強いてそれを追求したものはほとんどいなかったのです──」

 草薙は覚悟を決めたように、少し早口になって一気に語りだした。

 それは長い語りだったが、ウナもカラスも、一言も口を挟まずにずっと聞いていた。

 ──そして、それを聞きおわったときには── 


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