二章 白石紬
「……今、好きな人がいるんだ」
あの時。あなたへの返事。
ちゃんと目を見て言えなかった。
駅前広場に吹き込む風が冷たかったことだけ、妙に覚えている。
嘘じゃない。
好きな人は、本当にいた。
——目の前に。
言い方がずるかっただけ。
本当は、すごく嬉しかった。
ああ、同じだったんだって。
私だけじゃなかったんだって。
胸の奥が熱くなって、叫んじゃいそうなくらいに嬉しかった。
同時に、怖くなった。
これからあなたが向かう都会。
離れていくあなたを、繋ぎ止める自信がなかった。
あなたはまだ知らないだけで、魅力的な子はたくさんいる。
そしていつかもっと素敵な誰かを見つけて。見つけられて。
その時が来て、惨めになるくらいなら。
最初から、選ばない方がいい。
そう思って逃げた。
あの時、一歩引いた。
……いや。
本当は、二歩くらい。
車の運転もだんだん慣れてきた。
さすがにまだ自分の車を持ってるわけじゃないけど、運転は楽しかった。
今日も帰省してくる妹の陽菜を駅まで迎えに行く。
「紬姉ー、ただいま~」
「おかえり陽菜」
正月にも帰ってきてたばかり。様子は全然変わってなさそう。
「父さん大丈夫なの?」
助手席に座り込んだ陽菜がスマホをいじりながら言う。
もともとは今日も父さんが迎えに来るはずだった。
でも一昨日くらいから、めちゃめちゃくしゃみしはじめて。
母さんは大事な娘たちにうつすなよって怒ってた。
「ちょっと熱気味だって」
「あーもう本当に」
少し笑う。
「去年、私の時も母さんに張り切りすぎだって言われてたのに」
「娘の晴れ姿を目に焼き付けるんだ〜!って」
「そうそう。そんな感じ」
妹との何気ない会話。
それなのに。
頭のどこかで別のことを考えている。
高瀬 湊。
陽菜からもよく聞く名前。
「高瀬、またバイト先で〜」
「高瀬、講義寝ててさ」
普通の話。
本当に、それだけ。
それだけなのに。
少しだけ、胸がざわつく。
最初にちゃんと話したのは、中学の新聞部だった。
私が二年生になって、部活初日。
まだ制服を着慣れていない後輩たちの数人の中に、「湊」がいた。
今年、一年少なくないか?なんて顧問の先生が苦笑いしていたのを覚えている。
そのくらい小さい部活だった。
自己紹介して、最後に学年ごとの連絡係を決める時。
三年生の先輩たちに、二年の係は私に指名されて。
一年生は私に決めさせてあげるみたいな流れだったと思う。
特になにも考えてなかった。
ただ、湊が後輩たちの中でちょっとだけ背が高くて目について。
「ちゃんとしてるから向いてそう」みたいな軽いノリで押しつけたと思う。
「え、俺ですか?」
って困っていたのを覚えている。
その流れで、連絡先を交換したのがはじまり。
湊は、思っていたよりずっと真面目だった。
あくまで中学校の部活の新聞。
だけど記事の締切を気にして。
取材メモを何回も読み返して。
誰も気づかないところまで気を遣って。
頼まれたことを断れなくて。
でもたまに無理してた。
私が三年生になる頃には、いつの間にか下の名前で呼ぶようになっていて。
気づけば、放っておきたくないに変わっていた。
それが“かわいい後輩”だからなのか。
ちゃんと異性として見ているからなのか。
その頃の私は、まだわかっていなかった。
最初の告白は、私の中学卒業間近。
変に真面目な顔で呼び出してきて。
今思えば湊にとって、勇気を出した決闘みたいなものだったのかな。
場所も校舎裏だったし。
少しだけ笑っちゃった。
「先輩が好きです」
そう言ってくれた時。
ちゃんと嬉しかった。
ただ、その時の私はまだ“かわいい後輩”以上に見れていなかった。
……そう思おうとしていた。
だから、ちゃんと断った。
それで終わると思っていた。
でも、終わらなかった。
卒業したあとも。
メッセージのやりとりは続いた。
『高校どうですか?』
『あんまり変わらないよ』
『先輩たち元気にしてます?』
『ちょっとだる絡みされたりするよ~。相変わらず』
本当に何でもないやり取り。
最初は、少し意外だった。
あんなふうに振った私に、こんなふうに普通に連絡してくるんだって。
いや、それをいったら私もか。
でも嬉しかった。
一年たって高校で再会した時。
少しだけ背が伸びてて。
声も前より低くなって。
でも、笑い方は変わっていなくて。
それが、なんだかずるかった。
”かわいい後輩”だよって断ったはずなのに。
気づけば湊のことを追っていた。
陽菜に「あーそういえば湊は?」なんて、自然を装って聞いてしまったり。
そんな自分に、なにしてんだって困っていた。
ああいう私を見て、陽菜はどう思ってたんだろうな。
……自惚れだって、自分でもわかっていたけど。
二回目の告白、されるかもしれない。
そんなふうに思っていた時期もあった。
部活は変わったけど、
校内で会えばどちらからともなく近づいて挨拶して、少しだけど話もする。
会う時間は少し減ったけど、変わってなかった。
たまにクラスメイトから「高瀬くんと仲良いよね」とか「付き合ってんの?」とかからかわれてたり。
だから期待しちゃってたのかもしれない。
でも卒業が近づいても、湊は何も言ってこなかった。
少しだけ安心して。
少しだけ、寂しかった。
変わらなくちゃと思った。
私が大学に入ってから、友達と男の子含めて何人かとご飯に行ったこともあった。
中には優しい人もいたし、話していて楽しい人もいた。
だけどなんだかひっかかってて。
だいたいそういう帰り道、気づけば湊にメッセージを送ってた。
『今日の講義めっちゃ疲れた』
『そういえば免許とれたよ。一発合格!』
『雪やばくない?』
そんな、本当にどうでもいい会話もずっと続いてた。
向こうは受験だっていうのに。
送って、返ってきてが心地よくて。
気持ちに気づいてからも自分からは踏み込めなくて。
なのに湊を待ってたり。
「あんたまだキープしてんの?」って高校からの友達に言われたときがあった。
向こうは悪気なく冗談で言ってきて。
「うん、そうだよ~」って無理して笑ってごまかした。
その後に、周りからはそう見られてるのかってなったし。
なにより湊にもそう思われてるかもなって思って、ずるい自分がすごく嫌になった。
二年前、湊が上京してからも連絡を取り合ってた。
ああ。
やっぱり私は、この人のことが好きなんだって思った。
同時に最低だとも思ってた。
自分が傷つくのが怖いからって。
大好きな人を、傷つけた。
傷つけて逃げたんだから、新しい生活に私が介入しちゃだめ。
私もちゃんと新しい自分になる。
そう思ってた。
思ってたんだけど、できなかった。
切るべきだったのに。
あの日も。
『今日はありがとう。気をつけてね』
新幹線が出たあとに送ったメッセージ。
既読がつく。
返信が来る。
それだけで、心がほっとしてしまった。
本当に最低だ。
顔を合わせなくても、通話をしてなくても、
メッセージが来るたび、嬉しかった。
なのにクリスマスとかそういう日には、連絡できなかった。
もし隣に誰かいたらと思うと、怖くて。
成人式当日。
「俺が送ってくって」
「だめ。事故ったらどうすんの」
風邪が悪化して熱出した父さんは最後まで抵抗していたが、母さんに制止された。
で、私が陽菜の送迎係。
「あ、みんないる!ここでいいよ」
友達を見つけて陽菜が車を降りる。
かわいい妹は、なれない振袖姿で友達の元へ走っていった。
駐車場に停めて、一息。
——一年ぶりだけど、久々にまた母校の空気を感じたくなった。
外に出る。
冬の空気が冷たい。
振袖、袴、スーツ。
華やかな色が、校舎の前に広がっている。
その外側にいる自分。
一年前は、あの中にいたのに。
『無事着いたよ』
父に送る。
スマホをしまいかけて、止まる。
トーク一覧。
見慣れた名前。
——きっと今、この場所のどこかにいるんだよね。
少しだけ、不安になる。
今の彼を直接見たら、どうなってしまうんだろう。
なにより気づいてくれるかな。
そんなこと考えなら、陽菜が戻ってくるまで周りを散策。
30分くらいたったころ、徐々に会場から人が出てきた。
その中から陽菜を探す。
その時。
スマホが震える。
『もしかして今、近くにいますか?』
息が止まりそうになる。
指が、止まる。
でも。
もう逃げたくなかった。
小さく息を吸う。
『気づいた?』
少しだけ迷って。
『直接、話そ』
送信。
ゆっくり顔を上げる。
目が、合う。
少し大人になった湊。
でも、すぐにわかった。
——気づいてくれた。
……今度は、逃げない。




