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二歩分の距離  作者: 九条タクト


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一章 高瀬湊

唐突に思い出したのは、二年前の上京する日だった。


「……俺、先輩が好きです」


駅前の広場に流れ込む風が、白くなった息をさらっていく。

少し離れた線路の向こうで、電車が通り過ぎる音がした。

俺の言葉に、つむぎ先輩は一瞬だけ目を丸くした。

それから、困ったみたいに笑う。


「ありがとう、嬉しいよ」


その笑顔を見た瞬間、たぶんもう駄目だった。


ほんの少し、間が空く。

その短い沈黙だけで、なんとなくわかってしまう。


「……今、好きな人がいるんだ」


——ああ、やっぱり。


「そうですか。残念ですね」


俺は、うまく笑えていた気はしなかった。




「成人式、高瀬も行くよね? 明日帰るの?」


成人式を3日後に控えたその日の講義終わりの教室。

陽菜ひなが机に頬杖をつきながら聞いてくる。

まだまだ冬まっさかりの窓の外は、もう薄暗かった。


「うん、明日の昼過ぎくらい」

「だよね。私も」


白石陽菜は中学からの同級生で、東京でも同じ大学に通っている。

地元でも、こっちでも、変わらず話せる数少ない相手だった。


「父さんがさ、娘の晴れ姿だ〜とか言って気合い入っちゃってて」

「ほう」

「で、張り切りすぎて熱出したらしい。母さん怒ってたよ。その娘に風邪うつすなよって」

陽菜が呆れたように笑う。


「振袖なら去年も紬姉つむねえの見てるのにね」


その名前に鞄にノートをしまう手が、一瞬だけ止まる。


「どしたん?」

「いや、なんでもない」

視線を逸らしながら答える。

聞く理由なんて、ない。



バイト終わり。

店の照明が一つずつ落ちていく。

コーヒーの匂いが少しだけ残る店内で、店長がマシンを洗っていた。


「湊君さ」

「はい」

「この前、あの子にご飯誘われてたでしょ?どうだったの」


テーブルを拭いていた手が止まる。

その姿を見て店長は小さく笑いながら更に続けた。


「湊くん今フリーでしょ?ご飯くらいいけばいいのに」

「まあ、そうなんですけど」

「だけど?」


そこで言葉が止まる。

うまく続きが出てこない。


「なんか、すいません」


なにかを察してくれたのか、店長はそれ以上聞いてこなかった。


この二年、たしかにいい感じになった子もいた。

でも「付き合う」みたいな雰囲気になると、踏み込めなかった。

歩みだす気になれなかった。

理由なんて、考えなくてもわかっていた。

——こんな中途半端な気持ちで向き合うのは、相手に失礼な気がしていたから。


店長から「成人式楽しんできなよ」なんて言葉をかけてもらいながら、バイト先をあとにした。


冬の空気が冷たい。

駅前の明かりが、いつもよりやけに眩しく見えた。

カップルが笑いながら通り過ぎていく。

それをなんとなく目で追って、すぐにやめた。


ワンルームの部屋は静かだった。

ベッドの横に置いたキャリーケースは、半分くらい埋まっている。

スマホを開く。


『白石 紬』


トーク画面を開く。

少しスクロールする。


『今日寒いね』

『課題終わった?』

『陽菜寝坊したらしいよ』


いつもの、先輩と後輩の何でもない会話。

それだけなのに。


クリスマスも、正月も。イベントが近い日は避けていた。

もし隣に誰かいたらと思うと、何も送れなかった。

やっぱり気持ちが切り替えられていない。

二年も経ってるのに、こんな自分が嫌いだ。


指が止まる。

何か打って、消す。

閉じる。

また開く。

……やめた。



最初に告白したのは中学二年の時、校舎裏だった。

校舎裏に呼び出しなんて、今思えば告白っていうより決闘の呼び出しみたいだったな、なんて。

少しだけ笑ってしまった。



出会いは、はじめての部活の日。

自己紹介でその名前を初めて知った。

白石紬先輩は一つ上の先輩。クラスメイトの白石陽菜のお姉さん。

そして興味本位で入った新聞部の先輩。



「君はちゃんとしてそうだし向いてそう。よし、決定!」

そんな軽いノリで一年生グループの連絡係を押しつけられた。

その流れで、連絡先を交換した。


ひとつだけだけど大人なその人の、気さくな人柄にどんどん惹かれていった。

事務的なこと以外でも少しずつ会話が増えていく。

いつの頃からか下の名前で呼ばれるようになっていて、なんだかそれが特別みたいで嬉しかった。


一年が経った放課後。

俺はみんなが帰ったあとも、気になるところがあって一人残って作業をしていた。


「あ、湊!」


不意にその声に名前を呼ばれて固まる。


「まーた一人で残ってやってるの?湊、真面目すぎだよ」

紬先輩だ。


「はい、これ」

紬先輩はいつもの明るい表情で、”ひきつぎ”とひらがなで、でかでかと表紙に書かれたファイルを差し出してきた。


「やっぱ湊って、無理して頑張るタイプだね」

図星だった。

なんだかんだ俺が次の部長になることに決まって。

そのときから”先輩達みたいにならなくちゃ”と無駄にはりきっていて、空回り気味だったと思う。


紬先輩たちの世代はこの夏で部活を引退する。

会う時間はぐっと短くなる。

そう考えていたら、こういうちょっと時間も惜しくなってくる。


「無理せずにね」

そう言っていつもの笑顔で去っていく紬先輩。

鏡はないけど、きっと俺の顔は真っ赤だったと思う。


やっぱり俺は紬先輩のことが好きなんだと再確認。

「無理」をしようと思った。


一回目の告白は、軽かったと思う。

俺の通っていた学校は中高一貫なので、一年後にはまた同じ学校の先輩後輩っていうことになる。

だけど、なんだか遠くに行ってしまうような気がして焦っていた。


ろくに準備もしないまま、先輩の中等部卒業直前に勇気を出して挑んだ。

正直何を言ったか覚えていない。


ただ、「かわいい後輩の一人だよ。来年からもよろしくね」ってあっさり返された。

やっぱり手が届かない人なのかなって。

悲しかったけど納得してしまった。

「無理」だったんだと。


それでも一回目の告白から、約三年間。

紬先輩との関係はそれからも普通だった。

それまで通りの仲の良い先輩後輩の関係。


先輩が卒業してからも、たまに陽菜きっかけで顔を合わせることもあった。

高等部になって再会してからも変わらず。


そう、本当に普通に今まで通り。

普通に話しかけてきて。

普通に連絡してきて。


それが優しさなのか。

もともと距離感がこういう人だったからなのか。

正直、よくわからなかった。


少なくとも嫌われてはいないんだと思った。

環境は少し変わったのに、まだ彼女に惹かれている自分がいた。



俺は都内の大学への進学が決まった。

偶然にも陽菜も同じ大学だった。


『合格おめでとう。陽菜共々、都会に染まるなよ~』


先輩からのありきたりのメッセージ。

もやもやを抱えたままなら地元を離れる前に、もう一度だけ。

ちゃんと伝えておきたかった。


『明日だっけ? 陽菜も同じ時間だと思うから、ちょっと顔出すよ』

いつも通りの軽い文面。


当日。

駅前広場には、旅行帰りらしい家族連れや、部活帰りの学生がいて。

その中に紬先輩がいるのが、少し不思議な光景。

陽菜は一本前の新幹線だったのに、わざわざ待ってくれていた。


周りに人が少なくなるタイミングを待つ。

喉が渇く。

二回目の先輩の卒業のときには、できなかったこと。

今しかないと思った。


「今ここで言うことじゃないかもしれないんですけど」


少しだけ、息を吸う。


「……俺、紬先輩が好きです」


「ありがとう、嬉しいよ」


紬先輩は笑った。

そのあと、少しだけ申し訳なさそうな顔をして。


「……今、好きな人がいるんだ」


ああそんな顔をさせて申し訳ないと思った。

さっきまでの笑顔を向けられる誰かが、羨ましかった。


「そうですか。残念ですね」


たぶん、何かもっと言った。

“伝えられてよかったです”とか。

“会えてよかったです”とか。

でも、正直あまり覚えていない。


「がんばって、気をつけてね」

「はい」


そこからホームまでの移動中、顔が熱くなっているのがわかった。

もう少しで、多分泣いてしまう。


アナウンスが響き、定刻通りに新幹線は動き出す。

窓の外の景色が、ものすごい速さで流れていく。

地元が離れていく。

思い出が遠ざかっていく。


スマホが震える。

紬先輩からだった。

『今日はありがとう。気をつけてね』

それだけの文。

それだけなのに。


いつも通りのメッセージに、耐えていた涙が溢れた。



成人式なんて、ただの通過点だと思っていた。

大人になるための、形式的な儀式。

実際は、ただの同窓会みたいなものだ。


「あの時さ」「今どうしてんの」

同級生とそんな話をする場所。

小さな街で、俺達の成人式の会場は卒業した中学校だった。


「おー高瀬!」

「久しぶりだな」

仲の良かった同級生に肩を叩かれる。

互いに単位がヤバいだの、バイトが大変だのって話で盛り上がる。

そんな中でその話題が出るのも自然だった。


「お前彼女いんの?」

「いや、いないよ」

笑って返す。さらにお前はどうなんだって返す。

このやりとりが、男女問わず何度か繰り返された。


その話題になるたび、胸のどこかが引っかかった。


式典自体はだいたい一時間くらいで終わった。

市長からのありきたりな、「これからの若者たちよ頑張れよ」的なエールだった。


終わった直後、すぐに高校も一緒だった親友にみんなで飯行こうぜと誘われた。

夏以来帰ってきいなかった地元で、久々に羽を伸ばすのもいいかなと思い即答した。


「んじゃあみんなにも声かけとくから、18時にあの店な」


「わかった。一回着替えてから行くよ」


駐車場へ向かう親友を、手を振り見送る。

俺の実家は、中学校から徒歩で15分前後。

あの頃通った道を見て回りたくなり、一人で歩き出す。


その途中。

ふと、足が止まる。

見慣れた校舎裏。


時が経過していてもほとんど変化のない場所を見て、

またあのときの自分を思い出して苦笑い。


再び歩き出す。

でもすぐに視線も、歩みも止まった。


スマホを取り出し、すぐに親友にメッセージを送る。


『そっち行くのちょっと送れるかも』




——いた。


コート姿で立っている。

振袖の集団の外側。

そこだけ少し、静かに見えた。


胸の奥が、少しざわつく。


ああ。


たぶん、そういうことなんだと思う。




迷う。


でも。


打つ。


『もしかして今、近くにいますか?』


送る。


顔を上げる。


目が、合う。


「……紬先輩」


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