第67話 一人の夕暮れ
「拓ちゃんに、あんな顔をさせるなんて・・・。あの子はどんな魔法を使ったのかしらってね。嫉妬したんだ、すごく」
明日香から嫉妬という言葉が出てきたことに拓海は驚いたが、それよりも迫られている回答に拓海は悩んでいる。明日香に夏樹のことを話すべきか?いや、体は借り物で魂だけが本物、とは話せるはずもないし、信じてもらえるはずもない。
まっすぐと見てくる明日香に返す言葉が見つからない。拓海は誰でも思いつきそうな作り話も考えてみたが、クニヌシに以前、言われたことを思い出し、結局、口を噤んでしまった。
「明日香。あの子のことは話せないんだ」
「そうなんだ。話せないんだ」
明日香の視線は、拓海の目からアイスティの入ったグラスの外側を伝う雫に移った。右手の人差し指ですうっと落ちてくる雫を拭ってみる。
「納得できないかもしれないけど、俺を信じて欲しいんだ!」
(あれ?俺・・・何か変なこと言ってる?)
グラスを見つめていた明日香は、拓海の必死な訴えに反応するように顔を上げた。
「彼女、ってわけでもない私に、拓ちゃんは何を信じて欲しいの?・・・私には分かんないよ」
最後の方の言葉は聞き取れないほど小さな声だった。確かなことは、拓海にとって明日香は何者なのか、ということが定まっていない、ということ。
「明日香のことは大事、だ」
明日香は席を立ち上がると、所在なさげに部屋をうろうろと歩き始めた。そして、窓際の机まで来ると、喉まで出かかっている言葉を吐き出しそうになっていたが、グッと飲み込んだ。拓海がどんなに情緒不安定な言動をしても、全力で受け止めてきた明日香の、これほど苦々しい顔を拓海は初めて見る。
「拓ちゃん。今日の用事は何だっけ?話すことがないなら、帰ってもらえるかな」
「俺は、その・・・本当に今日は辛いことがあって」
拓海の返答は、明日香の嫉妬心と苛立ちに燃料を追加投入しただけとなった。真実を話せない拓海に、明日香は心の中をぶちまけそうな自分を恐れ、最善の選択として拓海に退場してもらうことを選んだ。
「そっか。辛いことがね」
「そ、そうなんだ。だから、明日香に会いたくなって!」
「私は拓ちゃんの慰み者じゃないから。もう帰って・・・これ以上、嫌いになりたくないの」
言い返す言葉があるはずもない。拓海は昔から、明日香ならば大丈夫だ、という身勝手な盲信がある。そのくせ、明日香の気持ちを省みることなく月日を過ごしてしまった。甘えん坊にもほどがある。
明日香は涙を見せまいと拓海に背を向け、夕焼けが見える窓の外を見ている。小刻みに震える明日香の肩を抱きしめたい衝動に拓海は駆られたが、拓海を寄せ付けないオーラが凄まじい。言われた通りに、静かに部屋を後にすることにした。拓海は後ろ手で扉を閉めると、中から明日香の小さな泣き声が聞こえてくる。
か細い声を背中で聞きながら、拓海は愕然と肩を落とした。ふと、視線を感じる階段へ顔を向けると、朝臣が、無言でゆっくりと歩いて近づいてきた。
「拓海、お前は二度とうちに来るな。明日香には俺がいるから」
朝臣は部屋の中にいる明日香には聞こえないように、小声で吐き捨てるように言った。拓海は振り返らずに急ぎ足で階段を降りると、そのまま靴をつっかけたまま玄関を飛び出した。
明日香の家から少し離れたところで、靴を履き直すために立ち止まった。西日を浴びながら、しゃがんで靴紐を結んでいると、拓海の心は震えが止まらず今にも泣き出しそうだ。
「いろいろと最低だな、俺」
夏樹は一人ぼっちで泣いていないだろうか、俺のことを怒っているだろうか、と後悔ばかりが頭に浮かんでくる。明日香の家から拓海の家までは、バスで移動してもいい距離だ。それを忘れて歩き続けていたが、たくさんのことを考えていたこともあり、気づけばマンションの下までたどり着いていた。
読んでいただきありがとうございます。暗い話ばかりで恐縮であります。。。




