第61話 夏が終わる
大層な勢いで、黒い物体は夏樹の口から体内へと入っていく。夏樹の体を保護するように、龍が優しく塒を巻きついている様は異様ながら美しい。
取り込んだ悪霊は、夏樹の体内の核である玉から発する炎に浄化されているらしく、時折、夏樹の胸は赤い光を煌々と放っている。そして、夏樹の消え入るような苦しげな声も聞こえなくなった頃、龍は梓に目で合図した。
「浄霊できたということか」
梓は龍に代わり、意識を失った夏樹の体をそっと抱きかかえると、玉の力が弱まっていること、荒れ狂っていた霊はこの世を去っていることを確認した。
「夏樹ちゃん、ご苦労だったね。君の献身のおかげで、二人は安らかに旅立つことができたよ」
「主よ、体内の炎がかなり消費されているようですが」
「分かっている。他に方法がなかったとはいえ、これは拓海にドヤされるだけでは済まんだろうな」
梓は自嘲的に笑うと、夏樹を両手で抱えたまま立ち上がった。梓の能力では炎を元に戻すことはできないため、クニヌシがいる場所までの間、梓に忠実な龍の力を夏樹に注ぐことにした。
クリスタルの塒の中で、梓は夏樹の冷たい体を抱え、煙が立ち上るように居間の中から消えた。もう、この家で苦しみもがく声を聞くことはないだろう。
その頃、夏樹が神社に現れないと言って、あちらでは騒ぎになっていた。また、連れ去られたのではないかと、淳之介の電話を受け取り、すぐに幽霊屋敷へとクニヌシと二人で向かっていた。が、神社の付近で、クニヌシは拓海の霊気が拓海のマンションに向かっていることを察知し、拓海に引き返すように伝えた。
「確かなんだろうな、クニヌシ?」
「ああ、すごい勢いで移動しているのを感じる。夏樹に何かあったのかもしれんな」
熱くなったアスファルトから、風景が湯気のようにゆらゆらと立ち上っている。クニヌシの言葉に足を止めた拓海は、頭のてっぺんから、滝のように流れてくる汗を流れるままに、その場にクギ付けになってしまった。
(戻るべきか、もし、違ったら。いや、父さんが急いでうちに来てるってことは)
「クニヌシ、俺をいますぐ部屋に連れ戻してくれないか?その・・・歩きじゃなくて」
「霊体化しては、生きておる人間を担いで連れて行くことはできんよ」
「なんだよ・・・じゃあ、俺は走るから、お前は先に戻ってくれ!」
「承知した。急げよ」
クニヌシはそう言うと、即座に姿を消して行ってしまった。クニヌシの着ていたTシャツと短パン、ビーサンは熱い地表に落ちて散らばっている。
「緊急事態とはいえ、公道で消えるのは、やっぱり駄目だろ・・・」
拓海は周りを見渡したが、人影はなかったと思われ、素早く衣類を拾い上げると、また来た道を走り始めた。
一方で、うだる暑さの中、霊体化したクニヌシは汗ひとつかかず、拓海の部屋にたどり着いた。どうやら、客人は先に部屋の中に入っているようだ。クニヌシは、ため息をつくと、スーッと部屋の中に入っていった。
「梓・・・これはどういうことだ?」
ハットをかぶった男はゆっくりと振り返った。男の背後では、ベッドに横たわる夏樹に添い寝するように、クリスタルの龍がじっと夏樹の目覚めを待っている。
「この子に両親は救われたよ」
クニヌシは玉の力が極端に弱くなっていることに気づき、夏樹に何があったのかを察した。だが、ここは梓と言い争っている場合ではない。すぐさま、首にかかった翡翠の勾玉を一つ選び、呪文を唱える。
「我が賢き精霊よ。盟約に従い、玉の穢れを祓い給え」
すると、クニヌシの前には、乳白色の柔らかい緑色の長い髪の男、スクナヒコが現れた。繊細そうな面立ちのスクナヒコはクニヌシに軽く一礼し、打つ手なしといった梓にも会釈した。
「また、この娘ですか。いい加減、お遊びはほどほどに」
スクナヒコはベッドの方へ行くと、右手を夏樹の胸の上にかざし、ゆっくりと切れ長の目を閉じた。一瞬、夏樹の胸が赤く光ったが、それも長くは続かない。スクナヒコは夏樹の首から胸元の上を滑らせるように、両手を移動させながら、内部を探っているようだ。
閉じていた目をゆっくりと開き、スクナヒコはクニヌシの方へ向きなおすと、少し表情を暗くして言った。
「穢れであれば、まだ治しようもありますが」
「玉が消耗されていると考えるべきか?スクナヒコ」
「はい。モノカミは残り、後何日だと言っておりましたか?」
「15日だ」
夏樹の命の糧を減らしてしまったが、クニヌシか彼の神徒であれば、多少は回復が見込めるのではないか、と梓は思っていた。スクナヒコの顔を見る限りでは、どうもそれは甘い目論見だったようだ。
「診断から申し上げると、残り5日といったところでしょうか。この炎は作り出すことはできませんし、新たに加えることも叶いません。私に出来ることは、不安定に揺らいでいる、この玉を安定させることくらいです」
クニヌシが頷くのを確認した後、スクナヒコは夏樹の方へ向くと、ベッドへ近づいた。夏樹を見下ろし、胸の中へ、慎重に両手を沈めていった。スクナヒコの両手に包まれた玉が、その形を再び元の丸い姿に戻ったことを確認すると、ゆっくりと両手を胸から離した。
「これで、娘の意識も戻り、また普通に過ごせるようになるでしょう」
「スクナヒコ、ご苦労だった」
白いローブを引きずるようにスクナヒコはクニヌシの背後へ歩いて行くと、クニヌシを両腕で抱きしめるようにして、背中に沈み込んで姿を消した。
「梓。お前の忠実なる僕と共に部屋を立ち去るがよい。そろそろ拓海も到着する頃合いだ」
「退散したほうがいいか・・・また、嫌われちゃうな」
「仕方あるまい。お前がいれば、話がややこしくなる。拓海は、まず夏樹と話すべきだろうからな」
梓はクニヌシに深く礼をした。夏樹を見守っていた名もない龍は、今では梓の体を覆い隠すように巻きついている。梓は自分に寄り添う美しい龍を見上げ、行こうかと言うと、そのまま二人は静かに姿を消した。
「さてと。あと5日とは、また短いのう、夏樹」
クニヌシは、今にも目覚めそうな夏樹のひんやりとした額に手を置き、そっと耳元で呟いた。
「目覚めよ、夏樹。王子はすぐそこに来ておるぞ」
読んでいただきありがとうございます。残りが10日も減ってしまいました・・・




