第45話 歴史は巡る
エアコンの効いたひんやりとした社務所の中で、淳之介の父、正嗣は話を終え、一息つくようにグラスに入った麦茶を飲んだ。
「淳之介は景豊様の霊力を受け継いでいる。夏樹ちゃんには信じ難い話だと思うけどね」
生前の夏樹であれば信じられないお伽話だっただろうが、今は素直に頭に入ってくるのを感じていた。
「そうでもないですよ。それにとても素敵なお話でした。聞かせてくれてありがとうございます」
「我が祖先ながら、千年前のロマンチックな話だよ。この話には続きがあるんだ。それは淳之介と文乃に繋がっている」
夏樹も昔話の最後の兄妹の別れたところで、思うところがあった。正嗣自身は至って普通の人間なわけだから、淳之介の霊力のレベルを図ることはできないはずだが、その先の語り継がれた力にまつわる話は今の白鳥神社の状況を知る手がかりになる、と夏樹は思った。
「兄妹はそれぞれの神社で奉仕するところまでは一緒なんだけどね、景豊様は宮司として蓮月様を祀ることで、周囲の安寧を生涯守ったと言われている。椿様とナギ様が建てたこの白鳥神社ではね、京の景豊様が亡くなった後、椿様はこの神社へ結界を張り、人の訪問を拒んだとされている」
「なぜ、拒んだんですか?しかも二百年?」
「うん、どうも椿様は神の加護があったのか、老いもせず若い娘の姿のままだった椿様を物の怪ではないか、と周囲から恐れ始められたからだ。神社への侵入を拒み続け、神社の中でこの町の人々の幸せを願って暮らしていたと聞く」
その傍らにはナギも少女の姿のままで椿を支え続けていたが、椿が人の子へ戻る時が巡ってくる。誰も入山できず、人々の記憶からもこの神社の存在が消えかけていた頃、狩りにやってきた一人の武士が結界をすり抜け、この神社の山門にたどり着いたというのだ。
「どうやって結界を抜けたのでしょう?」
「それには諸説あるんだが、椿様の運命の人だったのではないか、と言われているよ」
二百年もの間、誰一人、人間と交流しなかった椿は異変に気づき、境内に飛び出した。参道を登ってくる武士の存在に驚愕するが、ナギが微笑んでいたことで、椿は武士を迎えることにする。
「とは言ってもだ、椿様が突然現れた男を怖がるのは道理。でも、二人は結ばれて夫婦になるんだよね」
「蓮月様の話と似ているような」
「そうなんだ。椿様の場合は、信頼していたナギ様がこの武士を快く迎え入れたことが大きかったんじゃないかな。武士だけは結界が張られたこの神社に入ることができた上に、なんと椿様は子供を授かったというから驚きだ」
夏樹は繰り返される歴史というものを見た気がした。蓮月と違う点は、椿が蓮月より永く生きることができたこと。そして、最初から話を聞かされた武士は全てを知った上で椿を愛し、この神社を離れられない椿を重んじて、自らが通ったのだった。ただし、武士には正妻が自宅にいた。これは椿の秘密を守るためにも、体面だけは整えていたらしい。
「生まれてきた子供は椿様の力を受け継いだんですね?」
「いや。それが普通の子だったんだよ」
「では、誰がこの土地を守ることになったのですか?あ、ナギ様?」
「そう。子供は椿が母親として育て、ナギ様が代わりに土地神として降臨することになったんだ」
すっかり氷が溶けてしまった麦茶を夏樹はゴクリと飲む。謎が解けそうで解けない、分かったと思うと、また迷宮に入っているの堂々巡り。それでも、何か一つでもヒントを得ることができれば、皆の役に立てると思い、真剣に正嗣の話に耳を傾けた。
「その子が元服する頃に、武士は引き取ろうとしたようだけど、椿の事を思うとそれも出来なかったんだろう。武士は外の世界の人間だ。日々の生活もお勤めもある。頻繁に会える状況ではなかっただろうが、その子は武士によくなついていたそうだ」
その子は男の子で名前を武士の子らしく、虎之助と名付けられた。椿の力をほんの少しだけ受け継いでいた。ナギの姿は見えないが、声を聞くことができた。そのおかげで、ナギから読み書きや算術を習えたし、この神社の起源についても学ぶことができた。だが、結界を張ることも、ナギの姿を見ることも叶わない虎之助は椿が亡くなった後、普通の神社として開門し、人々の参拝を受け入れることとした。
「そのおかげで、武士も参拝者として堂々と息子に会いに行くことができ、虎之助は宮司として神に仕え、嫁も迎え、一族の継承をすることができたんだ」
「ナギ様は?」
「残された記述がないからなあ。淳之介が聞いていれば分かるんだが。分かる人間がいる間に新しく書き留めておいたほうがいいかもね」
「ナギ様は祠から人々とこの地をずっとお守りされていると思いますよ」
「そうだね。お、そろそろか」
正嗣は壁に掛けられた時計を見やると、文乃が戻ってくる頃だと立ち上がった。
「夏樹ちゃん、夕方になったら少し出かけてみてはどうだい?神社の中だけじゃ気が滅入るだろ」
「いいえ、そんなことは」
拓海の元へも戻れないし、町に出かけるわけにも行かない。行き場のない夏樹にとっては、今はここしかないと思うと、残りの日々もあっという間に過ぎてしまいそうで、不安が募ってくる
「もし、会いたいと思う人がいるなら、会いに行くといいよ」
「いない、わけではありませんが・・・」
正嗣はさっきまでの快活な顔だった夏樹が、泣きそうで困った顔をして小さくなっているのを見て苦笑いした。
「意外と簡単なことだよ。自分から会いに行けばいいんだ。蓮月様がそうだったように」
とてもシンプルだ。相手のことを思いやりすぎて、複雑な思考になりがちだが、時には自分が思ったことをストレートにぶつけてみるのも悪くない、時間はないのだから、と夏樹は本来の明るさを取り戻したように正嗣に笑顔で答えた。
「そうそう。若いんだから、尻込みしてちゃダメだよ。時間は有限だ。明日もあると思っちゃいけない」
「はい!私、会いたい人がいるんです。あとで出かけてきます!」
若いって素晴らしいね、と正嗣は一人頷いた。その頃、拓海はまだ夏樹に制服を買ってやるための資金調達に頭を悩ましていた。
読んでいただきありがとうございます。物事は時にはシンプルに考えて、直感で動くのもありだと思います。