第44話 若葉の君 完結
山から下りた蓮月と景豊、そしてナギの三人は義之の両親に迎えられ、互いの無事と新しい家族の誕生を心から喜び、その祝いは三日三晩続いた。
景豊も首がすわってきた頃、義之が護衛中にありえないことだが、落馬して右足を負傷して戻ってきた。
しばらくは任務はできないという。
「返って良かった!こうして景豊とお前との時間をゆっくりと過ごすことができるんだから」
「こんな大怪我をして良かっただなんて・・・」
帰宅早々、支えなしで歩くこともできないほどの怪我を負った義之は寝所で座り、傍で景豊を寝かしつけている母の顔をした蓮月を愛おしそうに眺めている。
花が散った後の山桜の木の下で二人で座っていたこと、初めて出会った煌めく川の中に立っていた強気な少女だった蓮月の姿を思い出しながら。
「何を隠そう、私は一目惚れだった」
「今更ですか?知ってましたとも。ねえ、椿」
几帳を下ろした寝所の外は新緑が庭に広がっていた。
暖かな日差しは白い几帳の奥で家族三人が一つになったシルエットを映し出している。
そして三度目の新緑の季節が巡ってきて、すくすくと成長した景豊は3歳になろうとしていた。
その頃、子供は7歳になるまでは神の子として大切に育てられ、魔除けの護法として男の子は女の子の着物を着せて魔を欺いたという。
景豊も蓮月によく似た女の子のような顔立ちな上に、女児の着物を着せられているので、本当に娘が一人いるようだった。
大人しく穏やかな性格で、義之の子供の頃にそっくりだと祖父と祖母はこの優しい気質の孫を大層可愛がった。
その頃、蓮月がよく寝込むようになる。
幼いながらも、大好きな母が起き上がれずに寝所から出てこないことに景豊は不安でよく泣いたものだ。
「景豊。男の子がそんなに泣くものじゃないでしょ。さあ、母上のところへ来てちょうだい」
「母上・・・」
「なあに?」
「お腹にいる女の子は僕の妹なの?」
「まあ・・・お前、分かるの?」
景豊は嬉しそうに頷き、聞き耳をたてるように、まだ大きくもない蓮月のお腹に耳を当ててると、目を閉じて何かを聞いている。
蓮月の霊力を受け継いだのは景豊。
我が子に覆いかぶさるように景豊の体を抱きしめた。
二人目の妊娠はすぐに義之の耳にも入り、それはそれは喜んだ。
怪我のせいで不自由になった片足が原因となり、若くして任務から外れたものの、人望も厚く、功績を残した義之は朝廷に仕える武官となっていた。
こうして二人目を授かることができたことは喜ばしいが、蓮月は日常生活もままならなくたっていた。
景豊の出産の時のように山へ隠れることもない。
もう駄目なのか、と義之は新しい命と蓮月の二人を亡くしそうな憂き目に何度もあったが、その度に何故か蓮月は持ちなおした。
そして、景豊が常に側にいるようになった。
「景豊。寂しいのは分かるが、母上にいつまでも甘えてばかりでは駄目だぞ。分かるな?」
「分からない・・・」
景豊は知らず知らずのうちに、母からもらったその力を蓮月に分け与えるように、その小さな手から母を生かし続けていたのだ。
蓮月には、そのことが分かっていたが、二人目の子を産むまでは景豊の力を借りることにし、義之にも近く真実を伝えるつもりでいた。
そうして、蓮月は無事に二人目を産み、今度は景豊が言ったように女の子が生まれた。椿と名付けられ、また家族が増えた賑やかさが一層、家族は喜びでいっぱいだ。
だが、やはり蓮月はその腕に椿を抱き上げる力もないほど、衰弱していく。口がきける今しかないと蓮月は考え、寝所に義之を招きれ、真実を話すこととなった。
「祈祷師をやはり呼ぼう。これまで何度も」
「いいのです。これは病ではないのですから。初めて会った時のことを覚えておいでか?」
「もちろんだ」
「私は人の子ではありません」
突然の蓮月の告白に義之は驚いたものの、どこかでそんな気がしていたのか、そうか、とだけ答えた。
「あまり驚かないのですね」
義之は苦笑いして、蓮月のさらに細くなった手をそっと握った。
「私は、この土地神の娘。あの日はお天気が良くて川で遊んでいたの。まさか、人の子に見られてしまうとは」
「土地神様の娘とは・・・私はなんと罰当たりなことを。この数年間、お前を独占してしまった・・・」
蓮月は長く義之と時間を過ごしたくて、子だけは作らぬようにしてきたが、そのうち彼の喜ぶ顔が見たくて景豊を産んだと言う。
人としての生命力を持っていない蓮月は、子を産むと同時に神の力を使い果たしてしまった。
つまり、長生きは出来ないことを承知で景豊を身籠ったのだ。
「景豊も椿も可愛い。私は短い生涯ながら本当に幸せでしたよ。後悔なんてありません」
「お前を失ってしまっては元も子もないであろう。私は二人だけでも良かったのに・・・」
「そんなことをおっしゃらないで。景豊も椿も、私同様に大切な私たちの子供。あの子たちが私の分まで、あなたの側にいるのだから。これからずっと。大切にしてあげてね」
義之にとっても蓮月が命を懸けて産み育てた二人の子らはかけがえのない存在。
蓮月の消え入りそうな命の灯火を前に、再び、二人の子は立派に育てると義之は蓮月に約束した。
義之の手を一瞬だけ蓮月が握り返すと、そのまま静かに眠るように目を閉じた。
途端に遠くに行かせていたはずの景豊と椿が、母の死を察知するようにむせび泣く声が耳に届いた。
「あの子たちにも分かるのだな。蓮月、安らかに眠り給え」
蓮月の葬儀はしめやかに行われ、景豊は兄らしく、妹の世話を焼いている姿がまた人々の涙を誘った。義之もしばらくの間は魂の抜け殻のようになり、一歩も進めずにいた。
「父上、お願いがあります」
庭に咲いた満開の桜に蓮月を思い出して、涙が止まらずにいた義之の足元に景豊がやってきた。
義之は涙を袖でぬぐい、少し重くなった景豊を抱き上げると、その愛らしい顔に微笑んだ。
「申してみよ。その願い事は父が叶えられることだといいのだが」
「母上を祀って欲しいのです。いつでも母上に会えるように」
義之は蓮月の力は景豊が受け継いでいるという話を思い出し、景豊をぎゅっと抱き締めると、必ず蓮月に合わせてやるぞ、と約束をした。
景豊は義之の肩越しに小さく頷き、二人の上から風に吹かれて桜が舞い散っていた。
蓮月は義之の留守の間に、周囲に住む人々への奉仕や相談事にも努めていたらしく、彼女の死を惜しむ声が多かったこともあり、氏神として、あの川が広がる山の中に蓮月は祀られることとなった。
そこに詣でれば、事故や怪我をすることがなく、また大病になっても治してくださると評判になり、遠方からやってくる人々が増えていった。
その頃には、義之は神社の司祭として、妻であり、この土地神の娘だった蓮月を神として、息子の景豊とともに奉務した。
そして、幼い椿の世話から、義之と景豊の神社での巫女として、あの小さな少女ナギの支えがあった。
ナギは景豊に蓮月が伝えるはずだった土地神のことや祭祀にまつわることなど、色々なことを教えた。
義之はまだ幼かった二人を立派に育て上げ、義之がそうであったように景豊が15歳になった時に元服を行った。
景豊は自らが奉仕するこの神社で大人としての通過儀礼を迎え、一層に力が増していく景豊のおかげか、神社はますます繁栄を極めていく。
その様子に安心するように、義之は蓮月の元への旅立ってしまった。
妹の椿は成長するにつれ、その内に秘めていた霊力を増大させていた。
すぐに察知したナギは、景豊と引き離すのが賢明だと考え、二人のために東と西に別れるように説得する。が、兄妹は泣いて離れることを拒み続けたが、事が大きくなる前に妹の椿は京を離れ、ナギとともに東へ向かうことになる。
それが、淳之介と文乃が支える白鳥神社である。
この兄妹もまた何の因果か、互いに相反する力を持っている。
読んでいただきありがとうございます。平安物語もこれで完結です。次からは、また現代の話へと戻ります。




