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第16話の1 神獣パンダは世界を救う。ただし労働で。 木村依子ver. 「まずは動けてえらいよ」

人生やり直しには、保険が必要です。



 木村依子、享年74歳。




 彼女は20年間、引きこもりの息子を支え続けた。


 食事と洗濯物は、そっと扉の前に置いた。

 何年か前から、もう鍵が掛けられていないのは知っている。

 でも、無理やり開けようとは思わなかった。

 打ちのめされて萎びたままの信也の心を、これ以上壊さないように。

 

 

 世間から落ちこぼれた息子を見捨てた夫は、即座に叩き出した。

 血走った目で信也を罵り、拳で殴った夫に、依子の中で何かが切れた。

 箒で家中を追い回し、台所で引っ掴んだフライパンで尻を思い切り打った。最後の仕上げに、縁側から蹴落とした。

 先に手を出してきたのが向こうとはいえ、過剰防衛にならなかったのは、時代のお陰と言えるだろう。

 慰謝料を一括で取り立てたのも、何年分かの固定資産税の助けになった。


 ひっそりと、息を潜めるように暮らすのは、依子の父親が建てたささやかな平屋建てだったが、2人が顔を合わさない距離を保てたのは幸いだった。



 生活を支えるために、そして自分の心まで壊れないように、ひたすら依子は働いた。

 学歴もなく資格もない50歳過ぎの離婚した女に、社会は優しくなかったが。


 近所から陰口も叩かれた。


「いつまで甘やかすつもりかしら」

「家から出られないなんて」

「旦那さんを縁側から叩き落としていたわよ」


 わざわざ垣根までやってきて、大きな声だ。

 ご苦労なことだ。

 なので、こちらも腹式呼吸で返してやった。


「35歳の息子に、『ママー、明日の朝ご飯はホットケーキにしてね』ってねだられるのもなあ! いやあ、お嫁ちゃん、災難だわ」

「中高大学一貫教育なのに、毎回受験に失敗して親の財布頼み。挙句にGWのたびに登校拒否は、うちよりマシなんだねえ!」

「スナックのおねえちゃんと同伴して、毎回振られてる旦那さんも、お幸せだよ!!」


 蜘蛛の子を散らすように人影が逃げて行った。


 向こうが戦いたいというなら受けて立つ。

 幼少時に「伊勢湾台風」と異名をとった依子は、まあ、タダモノではないのだ。




 楽ではなかった。


 だが、何一つ恥じることがないのは、結構すごいのではないか、と彼女は思っている

 

 依子は、最後まで息子を捨てなかった。

 捨てる気もなかった。


 食事を運ぶたびに、ドアの前に座り込んで、その日の出来事を喋る。


 スーパーでキャベツひと玉100円にうかれて、3玉も買ってしまったので、これから1週間はキャベツ祭なこと。

 パートの新入りの女の子が社長の娘だという噂が立ち、男どもが浮つき、女性陣が殺気立っている事。

 3軒先のご隠居が、入居先のホームで真実の愛に目覚めたこと。


 微に入り細に入り、独り劇場を繰り広げる依子に、返事が返ってくることはなかったが、たまに信也がひっそりと笑う気配がした。


 そして、依子が病気の時は、必要とするものをネットで買ってくれる優しさもあった。


 だからこそ、70歳を過ぎた頃から、彼女は恐れていた。

 

 もし自分が死んでしまったら。

 いや、親が先に死ぬのは当たり前だ。


 だが。


 自分がドアの前に座らなくなったら。

 外の世界を持ち込まなくなったら。


 信也はたった1人で、独りでどうなるのだろう。


 依子は眠れない夜に、目覚めた朝に、涙を拭うようになった。






 

 深夜の清掃に励む木村依子の前に、すらりと長身の美女が現れた時。


 とうとう幽霊と遭遇したかと思った。


 界隈で有名なブラック企業のフロアだったので。

 人材派遣とコンサルタントをやっている癖に、深夜の残業率が高過ぎる。

 きょうび、学校の怪談より会社の怪談の方が信憑性が高いのでは?


 

 その女は天白純佳と名乗った。


 差し出された名刺を読む。


異世界転生保険株式会社

第一営業部

天白 純佳(Ayaka Amashiro)


「これから1時間後に木村さまは脳溢血でお亡くなりになります」

「あらまあ」

 依子はぼんやりと返した。

 あっさり受け入れられるほど、ここ数日、身体がだるかった。


「木村様には『異世界転生、満願成就。残された御家族に特約保険金。または、やっぱりあなたも異世界転生にしとく? 保険』をお勧めしたいのですが、いかがでございましょう」


「家族特約って、信也に、ってこと? あたしが死んだ後、あの子に特約保険金が支払われるんだね?」

「さようでございます」

 天白は、そこでちょっと小首を傾げた。

 今時珍しい漆黒のまっすぐな髪が、サラリと肩を滑った。


「ご子息様が、特約保険金か転生かをお選びになれます。ただ、木村様と同じ世界に転生されるかどうかの保証は出来かねますが」


「ああ、それは大したことじゃないんだよ」


 

 余命1時間と宣言された木村依子は、掃除道具を丁寧にワゴンに戻した。

 使い勝手の良い道具だった。

 年寄りの自分を、気持ちよく働かせてくれた会社だった。

 同僚たちも、まあ大体は良い人間だった。


 顧客のこの会社も、絵に描いたようなブラックだったけれど、残業地獄で顔を合わせる社員は、良い子たちだった。

 依子に缶コーヒーを買ってくれるような青年もいた。


『ありがとう』


 誰にとも、なにともつかず、彼女は微笑んだ。



「あの子が産まれてくれただけで、あたしはもう十分幸せだったからね」


 そう静かに言う老女に、天白は目を見張った。


「20年引きこもった息子にも新しい人生のチャンスをくれるなんて、宝くじに高額当選したようなものだよ」


 異世界転生保険株式会社の営業、天白純佳との出会いは、彼女にとってそれほど天の恵みのようなものだった。


 この保険に入って死ぬ自分を褒めてやりたい! と木村依子は満面の笑みを浮かべる。


 差し出された書類に躊躇うことなく署名した。

 実に勢いが良い。


「心配なのは、あたしが死んだ後、信也に葬式が取り計らえるかどうかだよねえ」

「弊社保険で転生なさる場合、こちらに残るご家族、関係者さまがたの記憶などには、依子さまは存在しなかったことになりますが」


「それは困るね」

 眉を寄せた彼女は、あっという間もなく書類を取り返した。

 下手な回答次第では、破く気満々だ。


「ここ20年、あたしが関わってきた職場や人の数は半端ないよ。それに、うちの息子は筋金入りの引きこもりだ。あたしがいなかったことにする方が、いろいろ大変だよ」


 木村依子はニヤリと笑った。


 70歳を過ぎて、ちんまりと可愛らしい老女のはずなのに、その口元の笑みは、実にワルい。


「それに、嬢ちゃんの言ってるのは、『原則』ってヤツだよね」


 天白純佳に勝ち目はなかった。


 人生経験の差がここまで出るのか、と愕然とした。

 いや、経験ではない。

 誰かをどこまで大切に思っているかだ、と天白は気づいた。

 それほど木村依子の目がまっすぐ見つめてくるので。


「……ご希望は……?」


「葬式まで済ませたってことで。本当にやってもらう必要はないよ。記憶をいじれるんだろ? 手続や書類なんかもお手のもんだよね」


『おぬしも、ワルよのお』


 圧が強かった。


「……他に、ご要望は……?」

 

「死んだ後には、のんびりしたいね」


 キッパリと依子は断言した。

「だから、パンダにしておくれ」


「へぇっっっ!!!???」


 ミス日本級の美女から、聞こえてはいけない音が返って来た。


「良いかい、お嬢ちゃん」


 木村依子は、あつく語り始めた。


 パンダは実はクマの仲間で、最も強力な肉食動物だが、200万年前から竹を食べる動物になったという研究があること。

 パンダの食事の99%以上が竹なのだが、栄養価が非常に少ないので、毎日23〜40kgを食べなければならず、しかも20%ほどしか消化できないので、動物園ではリンゴ、ニンジンなどの果物・野菜や、栄養補給のための特製「パンダだんご」やトウモロコシの蒸しパンを与えられていること。

 腸が短いため1日10時間以上を食べることに費やし、飼育されているパンダは毎日2回規則的に餌を与えられること。


 すさまじい早口だ。


「野生だと、小動物や昆虫や動物の死肉を栄養の足しとして食べることもあるらしいけどね。そんなゲテモノ食いはしたくないだろ」

 

 依子は締め括りに入った。

「あたしの転生は、飼育されるパンダ一択だね」


 理路整然と、ささやかに、そう願ったのに。



 天白純佳は、世界終末スイッチを手渡されたような顔をしていた。







 そうして。


 



 依子が転生したのは丑三つ時だった。


 誕生日になった。


 二つある月のそれぞれに三重の月虹がかかり、夜空は流星群で賑々しい。

 そして、日の出の太陽が地平線から顔を出す瞬間にグリーンフラッシュ現象。

 太陽柱が立ち上がり。

 丸一日、虹色の幻日環が消えなかった。

 地面に光る花が咲き乱れ、泉は七色に輝き、竹林が乱立した。


 めでたい。


 世界が祝っていた。



 木村依子は75歳になり、神獣パンダになった。





 キラキラ光る何かに纏わりつかれた依子は困惑した。


「いやいやいやいや。あたし、普通にパンダじゃないのかい?」


 白黒の全身をチェックする。

 丸い腹。

 ふかふかの毛。

 泉に映る愛嬌満点の顔。



 だが。


 そこで依子は蒼白になった。

 パンダなので全くわからないが。



「裸だよ、あたし!!!」



 毛皮に覆われていても、気分的には裸だ。

 いろいろ辛すぎる。

 75歳だろうが恥じらいはある。

 前世の意識もしっかり引き継がれていた。


「ううむ、不覚」


 ぐぬぬと竹を食みながら依子は、ついでに歯軋りした。

「これじゃ人様の前に出られないよ」





 しかし、人は、神秘を見たら祀る生き物だった。

 異世界も然り。


 結構な山の中に現れたのに、即効で木祠もくしが作られた。


 2日後には本殿が建った。

 1週間後には参道が整備された。

 1ヶ月後には門前町が形成された。


 依子は頭を抱えた。

「仕事が早すぎるだろう、異世界人……」


 内陣に祀られた依子/パンダの元に、細かく見事な飾り切りをされた竹が運ばれてくる。

 タケノコとリンゴも山盛り。

 風呂は蒸し風呂と露天風呂。

 寝床はふかふか。



 前掛けを作って貰えたのは、何より嬉しかった。

 愛用する。


 側仕えも競って前掛けを装着した。

 まるで戦闘服のように。




 起床。

 朝食。

 礼拝を受ける。

 昼食。

 礼拝を受ける。

 夕食。

 就寝。




「……暇だねえ……」



 3日で飽きた。



 根っからの労働気質の依子は、夢のぐうたら生活に、3日で飽きてしまったのだ。

 やはり、本物のパンダは凄い。

 この生活を20年近くやり通すのだ。

 引きこもって20年の息子もすごい。

 パンダでもないのに。




 だが、彼女は外の世界へいきなり飛び出……さなかった。





 最初に気づいたのは、泣き声だった。

 眠っていると、細い鳴き声が耳に響く。


「この世界でも幽霊かい!?」


 まるでその目で見ているように、遠くの景色が浮かぶ。

 神獣としての力は十分に発揮された。



 山奥で、片足を失った小型の魔物が泣いていた。

 親と見られる魔物は、その側で息絶えている。

 密猟者に撃たれた親子が、懸命にそこまで逃げてきたのだと分かる。

 


「……ありゃまあ……」


 依子はため息をついた。

 こういうのを放っておけない性格だった。


 そして、今の自分なら余裕で助けられるのだ。




 その朝からだった。


 依子/パンダの神域に、次々に保護対象が集められた。


 群れから追放された不完全な魔物。

 親を失った子供。

 盗賊に村を焼かれた農民。

 事故で身体が不自由になった騎士。

 跡取りに居場所を奪われた老人。


 神域は、思わぬ速度で広がった。


 農地、工房や商店。

 皆が嬉々として働き始めた。

 居住棟と、噴水のある公園。

 子供たちが笑って走り回るようになった。

 誰にでも門戸を開く学舎が診療所を併設して作られた時には、歓声が満ちた。


 


 そして。


 

 依子は、加害者を片っ端から捕まえた。


 神獣パンダは圧倒的だった。


 山賊団が囲んでも。


「おらぁ!」

 もふもふの体当たり一発で、全員が木にめり込んだ。

「なんでパンダに負けるんだ俺たちは!?」

「知らんよ! あたしは愛玩動物だよ!!」


 捕縛後、王都へ神力で問答無用に送りつける。

 




 その後。


 

 かつては人跡未踏と言われた山奥の神域。

 祭壇に果物が積まれている。

 依子/パンダが出てきて一言。

「これ誰が片付けるんだい?」



 翌日、祭壇は解体され、同じ場所に看板が立った。




パンダ職業訓練所


働ける者は技を学べ

働けぬ者は誇りを学べ

働きたくない者は、とりあえず掃除から 

お茶休憩と昼寝は自由






 神獣パンダ木村依子75歳は、毎朝毎晩、この看板を磨く。


 誰かの、何かの希望を繋ぐために。


 世界は、ちょっとだけ平和になった。





 

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@OhashiS202604 (大枦詩乃@異世界転生保険株式会社)


AIは誤字脱字用語チェックに使用しています。


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