第1話 社畜の俺、サビ残記録更新中。2トントラックで事故死3秒前に異世界保険加入の件
人生やり直しには、保険が必要です。
月曜日の朝ほど、人類にとって不要なものはない。
台所のコーヒーメーカーの前に立つ俺、三枝正樹は、半分眠った頭でそう考えていた。
社会人5年目、27歳。人材紹介派遣会社の主任だ。
社長曰く「我が社は業界に彗星の如く現れ、怒涛の快進撃」
んなわけ、あるか。
残業月120時間。休日出勤当たり前。営業、資料作成。雑用(掃除、備品・花瓶交換を含む)、クレーム処理、上司の尻拭い。やってない事が無い。あ、食堂の調理はまだだな。
過労死ラインをとっくに越えている。
先週、上司は新入社員の指導担当まで押し付けてきた。
何が「若いうちは苦労しろ」だ。 禿げろ。
大学時代からの恋人には先月「仕事しか見えてない人とは無理」と振られた。
見えてないんじゃない、見させてもらえないんだ。
何のために働いているんだろう。
今担当している企業向け資料は「社員の育成のための仕組み作り」だ。笑える。
スマホの通知がきた。
しつこいブルブルに心拍が飛んだ気がする。除細動器か。
『三枝始業前昨日案件まとめとけ』
パワハラ・忖度・無能課長だ。
句読点と格助詞を正しく使え。
朝7時12分に送ってくる内容か? 禿げろ。
殊更ゆっくりトーストを噛むが、全く味がしない。
コーヒーはただの液体。良い豆なのに。
水も味噌汁も、何を飲んでも同じだ。
「死ぬ時って特別休暇届けがいるんだっけ」
口に出したつもりはなかったが、ふふっと柔らかな笑いが届いた。
「危ないですね」
いつの間にか会社の前の横断歩道に立っていた。
満員電車で出勤した記憶がない。
いや、もう昼か?
太陽が高くて、いつもの位置にフードトラックが停まっている。
うちの会社の連中が列を作っているが、ゾンビの群れみたいだ。
視線を横にずらすと、真っ直ぐで艶々な黒髪を肩まで伸ばした、黒スーツにピンヒールの若い女が微笑みながら俺を見ていた。
20代半ばくらい。
背が高いな、とぼんやり思った。ハイヒールを履いているとしても、俺と視線の高さがさほど変わらない。
彼女は名刺を差し出した。
異世界転生保険株式会社
第一営業部
天白 純佳(Ayaka Amashiro)
「……は?」
「お疲れのところ失礼します。お亡くなりになった後のセカンドライフ、備えてますか?」
真昼間から詐欺か。そして頭おかしい系。
「結構です」
「そう言わずに。三枝正樹様、27歳独身。2LDKの一人暮らし。最近はコンビニ弁当率9割2分。睡眠平均3時間12分」
「なんで知ってるの!?」
「営業ですので」
意味が分からない。
交差点を渡る俺に、彼女もついてきた。
駅前の喫茶店。
逃げるつもりだったが、「ランチ代はこちらで」と言われて座ってしまう。なにか悔しくて、1番高い海老フライランチを注文してやった。
「改めまして、異世界転生保険株式会社の天白純佳です」
「いや、社名、怪しすぎるんですが」
「よく言われます」
彼女は慣れた手つきでカラフルなパンフレットを差し出した。今時、紙から始まるのか。印刷が凝っている。
「当社は死亡後の人生設計を支援する保険会社です。契約者様が不慮の事故、病気、老衰などで亡くなられた際、提携異世界への転生を保証いたします」
「本気、いえ、正気で言ってます?」
「もちろんです」
「自殺したら?」
「対象外です」
「犯罪に巻き込まれて死んだら?」
「主契約範囲内です」
「トラックに轢かれたら?」
「状況次第です」
妙に現実的だった。
「三枝様にお薦めなのは、スタンダードプラン月額2980円。転生時に現地窓口による案内、レクチャーと職業斡旋、最低限の身体補正込み」
「スマホの通信プランみたいに言うな」
「オプションで遺品整理、黒歴史削除もございます」
「黒歴史削除?」
「学生時代のポエム、SNSのイタい投稿、未送信ラブレターなどの完全削除が該当します」
「需要、そこそこありそう……」
思わず真面目に聞いてしまった自分が悔しい。
「ですがご安心ください。無理な勧誘はいたしません」
「助かります。じゃあ帰ります」
「ただし」
天白はにこりと笑った。悔しいが、滅多に見ないくらいの美人だ。
「三枝様は今週木曜、午前1時48分。居眠り運転の2トントラックにはねられて死亡予定です」
息が止まった。
「悪趣味な冗談だな」
「営業成績に響くので冗談は申しません」
「警察呼びますよ」
「その場合、木曜の事故は回避できません」
「なんで断言できるんだよ」
「私の担当案件ですので」
案件扱いされた。
その日から俺はゾワゾワが止まらない。
「今週木曜、午前1時48分」
笑い飛ばせばいい。
あんな話、信じる方がおかしい。
だが、天白の言葉はすべてその通りになった。
火曜の昼にクライアントから振る舞われたサンドイッチの具が、カレー味のポテトサラダ。……味は分からなかった……
水曜の営業先で土下座になること。……恒例行事で,タイミングもバッチリ。
帰宅途中、コンビニに好物のプリンが1個だけ残っていることまで。……味がしない。哀しい……
本当に全部当たって、今は木曜の夜。
新規のクライアントの案件をまとめる残業で、当然終電は逃した。
アプリでタクシーを呼んだが、会社の前が工事中で、2つの先の交差点まで雨の中を歩かなければならない。
置き傘は誰かに持って行かれて踏んだり蹴ったりだ。
そのうえ2トントラックだと?
「……ばかばかしい……」
そう呟きながら、信号が青になったのをしっかり確認して足を踏み出した瞬間。
ハイビームのライト。
「――っ!」
必死に身体を捻ろうとした。
一張羅の革靴が雨に濡れた横断歩道で滑った。
死ぬ。
そう理解した瞬間、世界が止まった。
雨粒が空中で静止し、倒れかかった身体もそのままの角度だ。
トラックも。
運転手は目を閉じたままだ。寝てやがる。
そして女がひとり。
どこからともなく現れ、やけに優雅に歩道の縁に立ち止まった。
「三枝様。こんばんは」
天白純佳だった。
「……幻か?」
「現実です。正確には、現実の一時停止状態です。大変な目に遭っておられますね」
「助けろよ!」
「それでしたら、こちらをご覧ください」
「いま!??」
差し出されたのは『異世界転生保険スタンダードプラン』と游明朝フォントで記された契約書だった。堅実な感じだ。
それに加えて分厚いパンフレットと、A4二つ折りの「注意喚起事項」と、ひとまわり小さいサイズの「契約のしおり」まで。
いや、腹に載せられても。
天白の華奢な指がパンフレットの表紙に貼った付箋をつついた。
「時間があまりございませんので、まずこちらをお読みください」
異世界転生保険契約書(抜粋)
自殺、故意の事故、犯罪死は本保険の対象外とする
死亡時、提携異世界への転生を保証する。
転生先の世界、種族、性別、外見、能力は選択不可。
現地生活に必要な最低限の補助あり。
「続きまして……」
「ほんとにこれを、今!?」
「衝突まで残り3秒です」
「3秒って、無理だろ!」
「盛り上がる表現でしょう?」
「ふざけんなよ!」
だが、選択肢などなかった。
このまま死んで終わるか。
それとも、訳の分からない第2の人生に賭けるか。
俺は書類と共に差し出されたペンを握った。
この体勢で平然とサインさせようとする天白への怒りが沸き起こる。
「詐欺だったら化けて出るぞ」
「担当部署が違いますね」
「最低だな!」
署名した瞬間、時間がまた動き出す。
轟音。
衝撃。
意識が白く弾けた。
目を開けると、空が青かった。
草の匂い。湿った土。鳥の声。
「生きてる?」
上半身を起こした瞬間。
「よく来たな」
見上げると女がいた。
「天白さん?」
顔は同じだが色が違う。銀色の髪。瞳は緑色。スーツではなく革鎧をまとっている。
雰囲気も、なんだか……喧嘩腰? なんで?
「またあいつの案件か」
え。嫌そう?
「どんなスキル持ちだ」
「そんなもん知るか!?」
女はじろりと睨んだ。美人に睨まれると萎縮する。
俺は悪くないのに。
「事前説明はどうした」
「トラックにはねられる寸前3秒に、何を期待しているんだ!!」
繰り返す。俺は悪くない。
そのとき、頭の中に聞き慣れた声が響いた。
『異世界到着おめでとうございます。現世担当の天白です。
今夜は転生先でご自由に野外をお楽しみ下さい』
「いきなり野宿で飯も無しか!!!」
『なお、苦情受付は平日9時から18時までとなります』
「この諸悪の根源が!!」
『明朝9時から新人研修があります。欠席は減点対象です』
声が消えた。
「初日から会社かよおおおお!!」
三枝正樹、27歳。
ブラック企業を自己(事故)都合で退職し、俺の異世界ライフはこうして始まった。
【第1話・完】
《参考資料》
『異世界転生保険株式会社』第一営業部 新人研修資料
営業マニュアル & 苦情文テンプレート集
社外秘資料
無断転載、異世界持込、勇者への開示禁止。
第1部 営業マニュアル
第1章 営業の基本理念
死亡予定者にも礼節を尽くすこと。
契約は急がせず、事故時刻だけ急ぐこと。
不安を煽らず、事実だけで十分である。
現世への絶望ではなく、次の希望を提示すること。
約款説明は省略せず、相手が聞いていなくても実施すること。
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