23話
圭森が曹操達に合流したのは泗水関を望む場所で夜営をしている最中の事。
既に到着していた董卓は曹操との対面を済ませて、楽進・甘寧が付き添う形で用意された天幕で寝息を立て始めていた。
「其方等の首尾は如何ですか?」
「心配しなくともいいわよ
しっかりと“一番手”は貰って有るわ」
「その心配はしていません
ですが、当然、“単独で”、ですよね?」
「ええ、勿論よ」
そう言って笑い合う似た者夫婦を見ながら、荀彧・周瑜は小さく溜め息を吐く。
まあ、その意味は複数有るのだが。
取り敢えず、軍師泣かせの話だと言いたい。
そんなこんなで一夜が明け、泗水関の正面に扇状の壁を築く様に展開している曹操軍。
その中央から一騎が前へと進み出て止まる。
馬から降り、その馬を軍勢の方へと返す。
味方からは孤立する位置。
泗水関からは丸見えで、矢で狙われれば姿を隠せる場所など一切無い平地の、ど真ん中。
其処に立って、右手で腰に佩く愛剣を抜き放つ。
そして、泗水関の上部に真っ直ぐに突き付ける。
「我が名は孫策っ!
江東の覇者!、“紅虎”が孫文台の娘っ!
泗水関を預かる董卓の軍将・華雄っ!
貴女は覚えているかっ!
若き日の貴女は母の前に屈したっ!
私も母の前に幾度も屈したっ!
では、今はどうなのかっ?!
それを確かめたくとも、叶わぬ願い…
だが、貴女と私には一つだけ術が有る!
勇将にして猛将と謳われる華雄よっ!
私は貴女に一騎打ちを申し込むっ!
経験を積んだ貴女が母の様に私を打ち倒すのかっ!
或いは、貴女が再び“虎”の前に屈するのかっ!
互いに懐く亡者への未練を断ち切る為にっ!
此処より先へ!、高みへと進み行く為にっ!
さあっ──臆さぬならば刃を以て応えよっ!」
堂々とした孫策が華雄に挑戦状を叩き付ける。
原作では華雄を侮辱し、挑発して誘い出すのだが。
圭森は敢えて、その判り易い方法を却下した。
そして、同じ誇りに訴えながらも、御互いに信念と意志を持って戦う場として作り上げた。
孫策の台詞は圭森が作り、孫策達に聞かせて一部の手直しを行った物なのだが。
原案として上がった台詞に孫策は胸を締め付けられ思わず泣きそうになったりしたのは内緒の話。
追い掛けても届かない背中。
“勝ち逃げされた”気持ちは妹達には解らない。
孫権も母への憧憬・劣等感こそ有ったのだが、母に“負けた”という訳ではなかった。
其処を理解し、汲み取った圭森の原案。
如何に勝手気儘な孫策と言えど、心は揺れる。
まだ本人に自覚は無いだろうが。
種は密かに芽吹き始めている。
それは兎も角として。
荀彧・周瑜は軍師として、目の前の状況に悩む。
何しろ、泗水関を預かる華雄を相手に孫策を単騎で打付けるというのだ。
普通は、先ず遣らない事だと言える。
──と言うよりも、先ず応じる訳が無い。
これは主君である董卓の生死が懸かった戦であり、最前線となる要所の攻防でもある。
軍将が一個人の感情に任せて応じるべきではなく、応じる事自体が有り得ない。
周瑜も台詞の調整に携わってはいたが、流石に初戦からだとは考えてはいない。
寧ろ、此処ではなく洛陽まで押し込んでから、だと考えていた位だったりする。
だから頭を抱えたくなるのは仕方が無い。
「……なぁ、回朋?、何故、今なんだ?
流石に華雄も此処で動く程馬鹿ではないだろう…」
「普通ならば、そうでしょうね
ですが、貴女方は忘れていませんか?」
「……私達が何を忘れていると?」
「“紅虎”、孫文台が遺した“爪痕”は、他人には理解出来無い程に深い、という事ですよ」
そう圭森が言ったのと同時に泗水関の門扉が開く。
籠城していれば良い筈の華雄の部隊が曹操軍に対し同じ様に扇状の壁を作る。
両軍と天然の渓谷の斜面に囲まれた即席の闘技場。
其処に進み出る騎馬が一騎。
孫策と同様に馬を降り、返すと戦斧を手に佇む。
「我が名は華雄!、董卓様に御仕えする軍将だっ!
──だがっ、私は軍将としては失格だっ!
本来ならば私は董卓様の為にも、此所で諸侯軍から泗水関を死守せねば為らぬ身だっ!
その為には籠城こそが最善策だろうっ!
しかしっ、そうは出来無かったっ…
私には、そうする事が出来無かったっ!
だから、本来であれば私には董卓様の軍将を名乗る資格は無いのだろうな…
こうして今、軍将としてではなく、一武人としての矜持で行動してしまっているのだからな…」
軍将としては、あるまじき自らの行動。
それを自覚しながらも、この場に立っている。
立たないという事を選ぶ事自体が出来無かった。
そう華雄は自ら口にする。
その姿に、その言葉に、慟哭する様を幻視したのは一人二人ではないだろう。
董卓への忠誠と、孫堅への未練。
決して秤に掛ける事は出来無い想い。
だが、何方等かを選ばなくては為らないのなら。
董卓には護る皆が居る。
しかし、孫策との本気の戦いは此所でしか出来無い可能性が高いだろう。
今の自分と、今の孫策でなくては成らない。
そう考えれば、華雄の選択は可笑しくはない。
けれど、普通は出来無い選択でもある。
それまでの軍将としての功績も名誉も棄ててしまう行為であり、後世に“稀代の愚将”と称されようと反論の出来無い愚行なのだと理解もしている。
それでも、華雄は孫策との一騎打ちを選んだ。
それが華雄の一人の人間としての生き様だからだ。
「孫堅の娘・孫策よっ!
貴様の言う通りだっ!
嘗て、私は孫堅に敗北を喫した!
だが、その敗北が今の私へと至る不可欠の糧!
あの敗北無くして、今の私は有り得ない!
だからこそ!、私は貴様と闘いたいっ!」
「ええっ!、私も華雄っ!
軍将の立場も、政治も関係無いっ!
ただ純粋に一人の武人として闘いたいわっ!
そして──超えたいのよっ!」
「「──あの背中をっ!!」」
思いの丈を叫び合い、両者の闘志が重なり合う。
それを合図にして駆け出す両者。
直剣と戦斧が搗ち合い、闘技場に戦律を響かす。
其処から様子見等無しの全力全開。
絶ゆ間ぬ努力と研鑽により質実剛健を体現するのが華雄の武であり、曹家でも三指に入る剛撃。
正面に撃ち合えば、孫策の膂力では容易く弾かれて勝負は決してしまうだろう。
しかし、其処は孫策も武の天賦を持つ者。
持ち前の“勘”と型破りな戦い方で対応する。
「遣るなっ!、孫策っ!
貴様の武の中に孫堅の拍動を感じるぞっ!」
「そう言う貴女も強いわねっ!、華雄っ!
貴女の中にも孫堅の息吹きを感じるわっ!」
笑みを浮かべながら、死合う二人。
当然と言えば当然だろう。
経緯や立場は違えど二人は孫堅の背中を追い続けて自らを磨き、高めてきた。
謂わば、姉妹弟子の様な存在だと言える。
そんな二人の中に孫堅を感じるのは必然。
端からでは解らない、感じられない。
対峙し、刃を交え、闘志を重ね、初めて解感する。
その様子に両軍の者は自然と見入ってしまう。
そんな中、周瑜は圭森へと視線を送った。
静かに見守る優しく眼差しと不揺の横顔。
その真意を理解し、密かに感嘆する。
孫策と華雄の中に有る燻る未練の始末。
華雄の軍将としての評価の保護。
華雄の部隊の兵士達の身の安全。
孫策の曹家内での地位の確立。
華雄達が加入した後、遺恨を残さない為。
そういった狙いが有る事は間違い無いだろう。
だが、その最たる狙いは“昇華”だ。
孫策と華雄、二人の武人を同時に高みへ至らせる。
その為の舞台が、これなのだと。
単なる軍師では出来無い絶技。
軍師として、軍将として、武人としても一流故に。
その先が見え、道を拓く事が出来る。
本当に、怖い男だと周瑜は思う。
同じ思いだろう、圭森を見る曹操と視線が重なり、小さく苦笑を浮かべ合う。
過熱する闘いは一進一退の状況へ。
その中で、孫策は感じる事が有った。
再会した妹・孫権の成長は武に関しても言えた。
そして、曹操に臣従してから色々な者と手合わせし──自分の限界を悟る。
正確には、今の遣り方のままでの成長の限界を。
“勘”を最大活かす為の天衣無縫だった。
しかし、研磨された一つの絶技には屈する。
その事を圭森は勿論、妹からも突き付けられた。
だから、彼女は“鍛練”を始める事にした。
殆んど遣っていなかった基礎から徹底的に。
それは結果として彼女の天賦を更に高みへ導く。
だが、あと一歩が足りない。
その一歩が、今、目の前に見え始めている。
「──華雄、そろそろ、限界でしょう?
だから──次の一撃が最後よ」
「──フッ…良いだろう、望む所だ
我が全身全霊を込めた一撃、受けてみろっ!」
孫策の言葉に華雄は不敵に笑って応える。
武具には個人の個性の様に、各々の特徴が有る。
使い手と武具、その組み合わせで可能性は無限。
戦斧は手斧以上に威力は有るが、動きは悪くなる。
その最大の一撃は垂直な振り下ろしだろう。
それを華雄は女性としての細身を活かし、振り回す事で遠心力を乗せ、威力と動き易さを得た。
彼女が半身で、戦斧を斜め後方に構えるのも自身の戦い方を活かす為の工夫だ。
その華雄が選んだのが──渾身の唐竹。
速さ・精度・威力、何れを取っても最高の一撃だと華雄自身が言い切れる出来。
天空から崩れる様に流れ落ちる瀑布が如き一撃。
並の者なら武器・防具ごと真っ二つになる。
だが、孫策ならば躱す事は出来る。
しかし、それでは意味が無い。
撃ち合い、撃ち破ってこそ、その先へと踏み入れる事が出来るのだから。
神経を研ぎ澄ませ、身体を低く、しかし溜める様に縮めて、振り抜いた直剣の剣先が戦斧の刃に触れた瞬間に爆発させる様に前に踏み込む。
擦れ違う様に入れ替わる両者。
華雄の戦斧が地面を割り裂き──静寂が広がる。
そして、力を失った様に華雄が膝から崩れ落ちる。
気合いで立ち上がろうとするが、手足が震える。
それを見て限界を越えているのだと理解する。
「華雄、私の勝ちよ
大人しく投降しなさい」
「……フッ、生き恥を晒せと言うのか?
武人の情けとして一思いに殺ってくれ」
「…貴女が、それを望むなら構わないわよ
でも、貴女の部下達は、どうかしら?
貴女が死ねば敵討ちに走るんじゃない?
そうしたら──皆、無駄死によね?」
「──っ!?……孫策、貴様っ…」
「武人として闘いはしたけど、それはそれよ
私達は政治的な戦いの真っ最中だもの
その辺りは、きっちり分別するわ
それで、どうする?」
「…………くっ、解った…大人しく投降しよう…」
「有難う、華雄、貴女は素晴らしい軍将よ
貴女との闘いを私は誇りに思うわ
────聞けっ!、華雄隊の者達よっ!
華雄は我等に投降したっ!
華雄と共に降るならば武器を棄てなさいっ!
董卓の元に戻るなら速やかに退きなさいっ!
我等の闘いを穢す気ならば命を以て挑めっ!
選択の時は僅かっ!、己が意思を以て決めよっ!」
孫策の言葉に華雄の部隊は騒付いていた。
しかし、孫策は──事前に孫策に台詞を伝えていた圭森は確信していた。
この場に居る全員が投降すると。
華雄が一騎打ちに応じた時点で華雄と共に逝く者達だけが残り、後は疾うに撤退する事を。
事実、氣で泗水関を離れた三百人程を確認済み。
そして──予想通りに全員が投降を決めた。
その様子を孫策の肩を借りて立ち上がる華雄は見て完敗を悟り、大きく溜め息を吐いた。
だが、気持ちは晴れやかだ。
…まあ、悔しくない訳ではないが。
「……甘いな、貴様等は…」
「あら、貴女が慕われている証拠じゃない
それに──董卓だったら、同じ様にするでしょ?」
「────っ!」
耳許で囁いた孫策の一言。
華雄は思わず孫策を見た。
だが、変わらぬ笑みを浮かべたままで、それ以上は孫策は何も言わなかった。
ただ、華雄は曹操軍は理解した上で参加している。
その事実と、自分達の扱い、二つ要因により悩む。
彼女の苦悩が晴れるのは、曹操軍が泗水関を落とし抜けた後の夜の天幕の中での事。




