2話
華琳への皇帝からの密書が届いた時、劉協の事を直ぐに想像出来たのは日々の情報収集の賜物。
隊の皆への感謝は尽きないと言える。
ただ、劉協が実は“皇女”だった事は驚きだった。
それらしい素振りは全く無かったからだ。
だが、まだ幼いからこそ、生まれた時から男として育てられて来たからこそ不自然さが無かった。
ある意味、皇帝の意図通りと言えるだろう。
何が目的だったのか。
それを皇帝の口から聞く事は叶わない。
しかし、推測する事なら出来る。
皇帝は庶人だった何皇后を見初め、妻に迎えた。
彼女自身は決して暗愚ではないだろう。
…まあ、劉協──愛花の母親・王夫人を毒殺している件は別としてもだ。
それに関しては一夫多妻に付き纏う問題。
特に、継承権が発生する場合には多い事。
だからそれは、何皇后だけの話ではない。
何皇后は兎も角、その兄である何進が問題だった。
肉屋の倅でしかなかった男に降って涌いた太伝手。
それを掴んで離したくないというだけだったならば大した問題ではないのだが。
何進という男は身の丈に不相応な野心を懐いた。
「孰れは自分が実権を握り国を動かす」と。
とんでもない履き違いをしている。
文字通りの寄生虫だと。
恐らくは、皇帝は判断したのだろう。
今だからこそ、理解出来る真実が有る。
何故、何進を“大将軍”としたのか。
何進が自ら声を上げた事は事実として掴んだ。
だが、皇帝が許可した理由は解らなかった。
「そういう流れだから」と考えてしまうからこそ、その先には迫らなかった。
必要性も感じなかった事も有るが。
ただ、今になって見れば、皇帝は何進を黄巾の乱で“始末”したかったのだろう。
何進という害虫を排除するだけでも違うのだから。
ただ、何も何進だけが理由ではない。
それは皇太子の劉辯にも言える事だ。
皇帝とて劉辯が憎い訳ではない。
自身の息子としては大切に思っている筈だ。
しかし、皇帝として見れば後継者の器ではない事を疾うに見抜いていたのだろう。
せめて、もう一人息子が居れば違う遣り方も有ったかもしれないのだろうが。
皇帝は他に子供を授かれない事、自分が長くは無い事を察していたのではないかと思われる。
だから、愛花を息子として育てさせた。
それから、もう一つ。
董皇太后は“影武者”だと言ったが、もしかしたら最初から愛花の事を自由にする為に用意されていた“次期皇帝”だったのかもしれない。
華琳の台頭と時代の趨勢から代役を立てるよりも、“幕を下ろす”事を選んだのかもしれない。
その辺りは勝手な推測に過ぎないが。
全くの的外れだとは思わない。
少なくとも、皇帝は国民の将来を憂いていた。
父親として愛娘の幸せを願っていた。
それだけは間違い無いだろう。
「あの、これで宜──良いですか?」
「…うん、大丈夫!
ちゃんと出来てます、上手ですよ」
「ぁ…はいっ!」
「え~と…次は、これを──」
「──っ!?、ま、待ってっ!
季衣ちゃん違う!、それ違うよっ!?」
「──へ?」
「「ああぁあーーーーっっっ!!??」」
流琉と璃々の悲鳴に近い叫び声が響く。
遣らかした季衣は判っていない様子で。
驚きながら右往左往している愛花が居て。
四人で一緒に御菓子作りをしている。
それは有り触れた光景かもしれない。
しかし、各々の生い立ち等を知ったとしたならば、それが中々に難しい事だと解るだろう。
そんな四人が集まり、一緒に過ごしている。
それだけで、感慨深く思える。
生きていれば幸せな事・良い事より、不幸・悪い事の方が圧倒的に多いだろう。
其処で嘆き、他者の所為にしてしまった者よりも、受け止め、自ら進む事を決めた者の方が。
笑って生きられると思う。
其処には数多の逢別が有る事だろう。
自分だけの力で掴む・至る事は難しいだろう。
それでも、それら全てを含めての人生なのだから。
今、他愛無く、有りの侭に向き合えるのなら。
きっと、それで十分なんだと思う。
“独りではない”のだと。
それを実感出来さえすれば。
人は前を向いて歩いて生きられる。
綺麗事かもしれない。
けれど、確かな事でもある。
「もう!、食べらないじゃない!」
「えーっ!?、何で何でっ?!」
「季衣が間違えたからでしょっ?!」
「ちゃんと言ってくれないからだよっ!」
「ちゃんと言ったじゃないっ!
聞いてなかった季衣が悪いのっ!」
「じゃあどうすんのさっ!
凄く楽しみにしてたのにっ!」
「私だって楽しみにしてたわよっ!」
──と、掴み合いの喧嘩を始める二人。
巻き込まれない様に、あたふたしている愛花を連れ静かに二人から離れる璃々。
その姿に年齢以上に気苦労をしている感じがして、大人として切なくなる。
少々、漢升達に言わないとな。
ただまあ、打付かり合えるのも信頼の証。
表面上だけの関係より、しっかりと向き合っている“喧嘩が出来る”関係の方が良いだろう。
これからも長く、共に歩めるのだから。
仲直りした典韋達が御菓子作りを再開した頃。
圭森は曹操の執務室に呼ばれていた。
部屋には軍師陣が顔を揃えている事から重要な話が行われるのだと察する事が出来る。
また、夏侯淵達、一部の軍将も居る。
普通に考えれば、全員が集まっている場であっても可笑しくはないだろう。
しかし、実際には曹操の執務室なのだ。
これからの会話が如何に重要で、機密性が高いか。
嫌でも理解出来るというもの。
故に、室内の空気は張り詰めている。
各々に緊張感を持っているのだから。
小さく息を吐き、曹操が口を開いた。
机の上に劉協から受け取った小袋を置き、開く。
「…さて、率直に貴方達に問うわ
私と回朋、何方等が立つべきだと思うかしら?」
「何処に?」と訊き返す者は此処には居ない。
目の前に有る玉璽を前にすれば、嫌でも解る。
ただ、曹操の質問を意外に感じる者も多かった。
確かに、今では二人の──孫権を含めた関係は既に周知されているのだが。
少なくとも圭森に矢面に立つ気は無い事も知るし、何よりも曹操であれば自らが皇帝に就くだろう。
それを疑ってはいなかったのだから。
「……華琳様、何故、回朋の名が?」
沈黙が続く中、代表する様に声を出した夏侯淵。
戸惑いは飲み込む様に隠す。
彼女自身、長く傍に居るからこそ驚いている。
曹操の、その意外な質問には。
「……以前の私だったら、迷う事無く自分が皇帝に就いていたでしょうね
けれど、今は違うわ
回朋との間に曹真を授かり、蓮華も孫炎を産んだ
その上で、私達は二人目以降を望んでいるわ」
この場に居る圭森・孫権に視線が向けられる。
圭森は苦笑しているが、孫権は照れながらも首肯。
曹操の発言が正しい事を示した。
二人が子供を望む事は喜ばしい。
参加している中で、もう一人の母親の黄忠は胸中で二人の意志に賛同の拍手を送った。
付随する感情は飲み込んで。
「勿論、今直ぐに、という訳ではないけれどね
ただ、妊娠すれば職務に支障が出るのは確かよ
それならば、回朋か皇帝として立つ方が良いわ」
「……確かに、そうかもしれません
ですが、当の本人の意志は如何なのですか?」
「さて……どうかしら?」
明らかに初耳だったのだろうと判る圭森。
それでも切り替えてはいる。
曹操に訊かれ、一つ深呼吸してから口を開く。
「私は孟徳様が皇帝に就くべきだと思います
確かに妊娠等で職務に支障が出る事は有りますが、それは私や将師で代行すれば済む事です
ですが、私が就く場合には大きな問題が有ります」
「後継者問題かしら?」
「それは孟徳様との子供にのみ有ると定めれば済む話ですので問題は有りません
重要なのは伯和の事です
男の私が皇帝となれば、如何に孟徳様や伯和自身が拒否しても伯和を担ごうとする輩は出る事でしょう
狙いが明白な以上、態々火種を作るべきではないと私としては考えます」
「それこそ難しいのではないかしら?
如何に伯和が漢王朝最後の皇帝の一人娘とは言え、血筋だけでは釣り合えないわ
…まあ、そういう事を画策する輩が出る事は否定は出来無いでしょうけどね」
曹操の呆れた様な一言に大多数が頷いた。
その手の輩は摘んでも摘んでも出て来るのだ。
無理だと見せ付けても何故か「いや、自分ならば」という訳の解らない自信を持ってだ。
まあ、時代の風物詩みたいな存在とも言えるが。
実に困ったものだ。
「何にしても伯和を政治的に利用させない為には、孟徳様が就くべきでしょう
仮に私が就くにしても初代皇帝には孟徳様が就き、その後、最短で曹真の成人までの間の“繋ぎ”…
その程度が妥当かと」
「……蓮華、貴女はどうかしら?」
「私も華琳様が就くべきだと思います
確かに回朋は皇帝に相応しいでしょう
ですが、不向きでも有ります
その才能を発揮させるのであれば、柵の多い皇帝は閉じ込める籠も同じです
その翼は、天を翔てこそです
それに──」
「それに?」
「国を預かるのが妻の役目では?」
「────ぷっ……ふふっ、ええ、そうね」
曹操と孫権の女同士の遣り取り。
この状況で冗談めかした妻としての鍔迫り合い。
それを見て、周瑜達は改めて孫権の成長を感じる。
一人で苦しみ、懊悩に溺れていた孫権を知るが故に今の力強い姿を感慨深く思う。
「良いでしょう、それならば私が皇帝に就くわ
その方向で事を進めましょう
そうと決まれば、先ずは中央の動きね…
貴方達は、どう見ているの?」
「何進一派と十常侍の対立は膠着するでしょうね
互いに決め手に欠けます」
「何進は袁紹・袁術に接触している様です
アレ等が関わる以上、予想外の事態が起こる場合も十分に有り得るかと…」
「十常侍の方は董卓さんに接触するみたいですから何進さんの方は早め早めに動くかもしれません」
「…何進さんは牽制として公孫賛さんを動かす様に仕向ける可能性も考えられます」
「あ~…公孫賛さんって人が良さそうですしね~
乗せられる事は十分に有り得ますね~」
「中央の様子を窺う劉表が不気味ですね…
もしかしたら、袁術を上手く使うかもしれません」
「それなら揚州南部域も不穏な感じですね…
中央の騒乱に乗じて動くかもしれません」
「そうですねー…まあ、不安・不審という意味では挙げれば切りが有りませんねー…」
順に周瑜・荀彧・諸葛亮・鳳統・陸遜・郭嘉・呂蒙・程昱と答え、圭森に視線が集まる。
軍師の職を解かれている筈なのだが、何故か普通に軍師扱いされている状況に圭森は内心で苦笑。
しかし、それは見せずに口を開く。
「中央の動きは何れも水面下での事です
動き出すのは陛下の崩御後でしょう
董皇太后の安否は気掛かりですが、それも御覚悟の上での伯和の影武者を本物に仕立てあげられる筈…
それを無意には出来ません
であれば、距離を置くべきでしょう
どの道、次期皇帝は“自称”に過ぎませんから」
「まあ、それは当然ね」
「玉璽は此処に有るのだから」と言う様に、曹操は右手の人差し指で玉璽を突っ突く。
玉璽が無い以上、皇帝への即位は叶わない。
それ所か、恐らくは皇帝自身が遺言を残す事自体が有り得ないと考えられる。
つまり、皇帝・劉宏の死を以て漢王朝は長き歴史に幕を下ろす事になるだろう。
その後は乱世──群雄割拠の時代。
其処が、真に“本番”だと言えるだろう。
「其処でですが、孟徳様
私は涼州に向かいたく思います」
「……あの馬騰を狙う気?」
「勝算は無い訳では有りません
ただ、如何に美辞麗句を文面に並べようとも彼女の心は動かせません
ですが、無視は出来ません
馬一族と西涼の民は先に押さえるべきです」
「…華琳様、私も同行させて下さい
馬騰殿とは亡き夫を介した縁も有ります
微力ながら、御力添えが出来るかと…」
「……判ったわ、回朋
人選は紫苑を含めて貴男に任せるわ
私は書状を用意すれば良いわね?」
「はい、御願いします」
先を見据え、各々が動く。
時代の歯車の噛み合う音と共に。




