12話
暗い闇の中、静寂を破り響き渡ったのは悲鳴。
悲痛な、胸が裂ける様な、抉る様な重苦しい叫声。
名を呼んでいる筈なのに。
あまりにも甲高く、必死な声は人の発する言葉よりも獣の叫びに近かった。
だが、それが幸いする。
重大な異常が起きており、その場所が何処なのかを。
明確に報せるに至る為に。
錯乱した様に泣き叫ぶ声に導かれた近衛衆──要は、孫権の極秘護衛部隊の者が駆け付けてきた。
「──居た!、孫権様!、御無事ですかっ!?」
駆け寄った一人が声を掛け四人が周囲を囲む様にして警戒し、残る三人が地面に転がった屍に近寄った。
一目見て死んでいると判る様子ではあるが、念の為に三人は帯びる短剣を抜き、首や胸を突き刺した。
それは孫権の安全を第一に確保する為にも徹底された過剰なまでの対処。
けれど、“過剰防衛”等の概念の薄い世界では当然の対処でしかなかった。
そんな中、当の孫権は腕に圭森を抱き抱えて泣き叫ぶばかりだった。
そんな孫権へと声を掛けた近衛衆の者は圭森を見て、直ぐに状況を理解した。
それ故に、乱暴ではあるが即座に行動に移った。
「失礼致します!」
一言、そう孫権に告げると孫権の腕から圭森を奪い、強引に引き離した。
「何をするのっ!?」
「孫権様を抑えなさい!」
通常であれば、不敬に為る指示に対して戸惑う場面。
しかし、屍の処理を終えた三人は迷わずに孫権を取り抑えに掛かった。
それは近衛衆として日々、孫権を見ているが故に判る孫権の状態が有る為。
知っていれば判るのだ。
今の孫権が自分の意思さえ御せない状態だと。
そして、そんな孫権の腕に大事な大恩人を委ねては、死なせてしまう事を。
「はっ、放してっ!
手を放しなさいっ!」
まるで駄々っ子の様に叫ぶ孫権を落ち着かせる手段は今は無いと判断した一人が孫権の鼻と口を布で覆う。
そのまま押さえると孫権は声を、動きを、眼差しを、ゆっくりと弛緩させていき静かに意識を失った。
圭森を奪い去った者の姿は既に其処には無かった。
当然と言えば当然なのだが近衛衆もまた本職。
時には極秘裏に刺客を襲い始末する事も有る。
だから、判断は早い。
一刻の猶予も無い状況だと見抜き、行動している。
意識を失った孫権を抱え、屋敷へと戻る一人。
その護衛に三人が付く。
残りは屍等の後始末。
此処では何も無かった。
そうではくてはならない。
明日の朝には、今日までと何も変わらぬ平穏な日常が訪れる様にする事。
それが近衛衆の役目。
人知れず、闇を葬る。
知られぬ事が誇りであり、知られる事が汚名である。
決して、日の当たる場所に出ては為らない。
それが近衛衆の矜持。
華々しい活躍は将師と為る者達に任せれば良い。
大樹を支える目には見えぬ根こそが近衛衆の本質。
全ては孫権(大樹)の為に。
深い、水底に居る様な。
何も聴こえず、ただ自分の呼吸が水泡と為って生まれ彼方に消えて行く様に。
身体は自由が利かず。
延々と淵の最果てを求めて落ちている様な。
虚脱感と虚無感に蝕まれ、意識は朦朧とする。
自分が“誰”なのかさえ、曖昧で、定まらない。
このまま、意識を捨てれば闇に融けてしまえる。
全てが楽に為る気がする。
だが、何かが引っ掛かる。
その“何か”が自分の事を闇の中で繋ぎ止める。
「逝っては駄目だと」でも言っているかの様に。
そして──ぼんやりと。
けれど、はっきりと。
その不可思議な声は届く。
優しく、温かく、力強く、穏やかに、朗らかに。
身に、心に、沁みる様に。
「孫権」「仲謀」と呼ぶ、“私”を呼ぶ声が。
「………ぅ……っん……」
漏れ出した自分の声が、意識を闇から引き上げる。
同時に重い目蓋を開く。
視点の定まらない中でも、暗がりの中でも判る。
幾十、幾百、見慣れた──自分の部屋の天井だ。
雨音は聞こえない。
なら、曇天でもない限りは暗さからして、夜明け前。
随分と早起きな事だ。
まだ鍛練には早──
「────圭森っ???!!!」
緩慢だった思考が、一瞬で記憶を甦らせた。
叫ぶと同時に跳ね起きて、体勢を崩して寝台から床に滑り落ちてしまう。
普段なら痛みを気にする所でしょうが、今は気にする余裕なんて無かった。
直ぐに立ち上がると部屋の扉に向かって駆け出す。
「御待ち下さい、孫権様」
──その瞬間に、背後から声を掛けられて止まる。
吃驚した訳ではない。
誰かが居たからではない。
警戒心からではない。
その声を忘れる事なんて、今の自分には出来無い。
だから歯を食い縛りながら荒れ狂う嵐の中の海の様な感情を無理矢理抑え付けて静かに振り返った。
自分が目覚めるより前から其処に待機していただろう近衛衆の装束に身を包んだ者が暗闇の中、膝を着いて頭を垂れていた。
私を助けられなかったのは私の反応が唐突だった為。
気を緩めていた、という訳ではない。
だから、その事に関しては何も言う気は無い。
「どういうつもりだ?」
だが、それとこれとは話が全く違うのだ。
流す事など出来無い。
自分では冷静なつもり。
しかし、声は隠せない程の激情を孕み、向けた視線は剣の様に鋭く為る。
意図してはいない。
寧ろ、その逆だ。
頭では理解している。
この者は悪くはない。
ただ己の役目を全うした。
ただそれだけなのだから。
だから、自分の懐く感情は傲慢で身勝手な物だ。
それは判っている。
判ってはいるけれども──どうしようもないのだ。
どうしようもない。
自分でも抑え切れない程に溢れ続けているから。
「御怒りは当然です
如何様な処罰でも、御受け致します
ですが、圭森殿を死なせる訳には参りませんでした」
「──っ!!」
その言葉に私を息を飲み、渦巻く感情が揺らいだ。
だが、悪い意味ではない。
その言葉から読み取るなら“圭森は生きている”と。
そう受け取れるのだから。
ただ、其処には自分自身の希望的願望が加味されて、事実を見えなくしていると考える事も出来る。
だから、一つ深呼吸して、頭の中を整理する。
「圭森を助ける為に…」と言った事は間違い無い。
しかし、「助かった」とは言ってはいない。
「……っ……」
その事実を認識した瞬間、胸の奥を──心を握り潰す様な痛みに襲われる。
無意識に伸びていた右手が服の胸元の強く握った。
問う事が躊躇われる。
「もしかしたら…」という思いが不安を掻き立てる。
落ち着き掛けていた感情を再び大きく波打たせる。
それでも、訊かないという選択は無かった。
どんなに辛い現実だろうと自分は受け入れなくては。
向き合わなくては。
それこそが、圭森が自分に教えてくれた事だから。
「……圭森は?」
「…未だ意識は戻られてはおりませんが、使用された毒の影響は無いかと
数日中には目覚められると見ております」
「────っ!!」
その言葉に胸が弾ける様に大きく脈打った。
同時に溢れてしまいそうな感情を必死に堪える。
安堵した故の反動だから、仕方が無いのだけど。
彼の無事が判った以上は、自分には先ず遣るべき事が有るのだから。
「…そうか、あの時の事は的確な判断だった様だな
故に処罰する必要は無い
良く遣ってくれた」
「…いえ、孫権様を御護りするべき我等近衛衆は結果何も出来ませんでした
孫権様を御護り頂いた方を死なせてはならない、と…
その一心でしたので…
申し開きも御座いません」
「それは私も同じだ
気を緩めていた事は否定は出来無い…
その隙を突かれたのだ
近衛衆を責めは出来無い
圭森が居なければ私は今、生きてはいなかった
その圭森を救ってくれた
結果として私を護ったのと代わりはしない」
そう、圭森を救ってくれた事だけで十分だ。
あの状況では、ああする他無かっただろう。
もし、私を気遣い遠慮して時間を置けば、圭森は毒に因り命を落とした。
…圭森に護られるばかりで情けない事だが。
冷静さを欠いていた私では圭森を救えなかった。
私を護るべき近衛衆だが、私を護った圭森を救った。
圭森を死なせてしまったら私は私を赦せないだろう。
だから護ったのも同じだ。
互いに失態であったという事は理解している。
ならば、必要以上に問う事ではないだろう。
寝台に腰を下ろし、少しの間を置いてから口を開く。
「あの時、お前達が私から離れていたのは陽動か?」
「はい、不審な動きをする輩が複数居り、人数を割き散らばる事に為りました
当初は密偵と思いましたがその者達を捕らえ、狙いが孫権様だと判りました
防ぐ事が出来無かった事に言い訳も有りません」
「用意周到だった様だし、仕方が無いだろう…
それで、誰の差し金だ?」
「…残念ながら…首謀者に繋がる手掛かりは何も…」
「奴等も暗殺者(本職)か
やはり、辿れないか…
陽動には何人居た?」
「捕らえたのは十三名です
しかし、離れて様子を窺い結果を報告する者も居ると考えるべきでしょうから…
少なくとも、他に数名は」
「襲撃者と合わせて二十を越えている、か…
近衛衆の方の被害は?
私達が襲われた周辺の民はどう為っていた?」
「何方等にも特に犠牲者は有りません
現場周辺の民の事ですが…薬か何かは判りませんが、深く眠らされていただけで異常は見られません」
「そうか…念の為、数日は様子を見ておく様にな
孫家の騒動に巻き込むのは私としても望まない」
「御意に」
「…圭森は自室か?」
「はい、状況が状況の為、護衛を付けて居ります」
「ああ、暫くは私も勿論、圭森にも起きたら外出時は気を付ける様に伝えよう
今回の件では近衛衆の方も大変だろうが、頼む
倒れぬ様に気を付けてな」
「御心遣い、感謝致します
孫権様も御自愛下さいます様に御願い致します」
「ああ、判っている
下がってくれ」
「はっ、失礼致します」
労いの言葉を掛ければ軽い皮肉を混ぜて返してきた。
その事に内心で苦笑しつつ自分に付いて長いのだと、そう実感して安心する。
退室したのを確認し、私は寝台に仰向けに倒れる。
状況は芳しくなかった。
しかし、結果は最悪からは外れてくれていた。
近衛衆も、民も、自分も、誰よりも圭森が生きている事に安堵した。
気持ちを落ち着けてから、私は自室を出て圭森の居る彼の部屋へと向かった。
生きている事は判った。
毒に関しても大丈夫。
だがそれでも、心の片隅に拭い切れない不安が有る。
故に足取りは重い。
憂鬱な時とは違う重たさ。
しかし、他に選ぶ選択肢は私には無かった。
「………っ……圭森……」
訪れた彼の部屋の中。
その姿を一目見て、様々な感情が心で混ざり合う。
寝台に横になる圭森の額に汗が滲んでいる。
まだ寝苦しい程ではない。
それは毒の影響で出ている熱の所為なのだろう。
寝台の脇に置かれた椅子と小台の上に有る水の入った桶を見れば、先程退室した侍女が看病に付いていたと察する事が出来る。
本来ならば感謝すべきだが何故だか、心が騒付く。
理不尽な感情だった。
椅子に座り、そっと右手を眠っている圭森の顔に触れ優しく頬を撫でる。
指先から伝わる温もり。
熱の所為で熱いけれど。
生きていると実感する。
それだけで心が揺れる。
「………っ……そうか…」
不意に脳裏に浮かんだのは出逢ってからの日々。
他愛無い様な日常。
けれど、以前とは違う。
彼との出逢いを境にして、私の世界は変わった。
色褪せ、虚ろだった世界が鮮やかに色付いた。
取り戻したのではない。
新しく成ったのだ。
そして、それが私にとって何れ程に大切な事なのか。
漸く──私は気付いた。
「……私は…貴男を……」
孫権の呟きを聞く存在は誰一人として居ない。
それは、唯一人だけが聞く権利を有している。
ただ、今、この瞬間に。
芽吹いたばかりの小さな、小さな儚い花芽(想い)は。
雨雫に濡れながらも未来に向かって咲こうと。
力強く、天を見上げる。
その痛みに負けずに。




