凱旋
薄暗い夜、ひび割れた内壁、砕け散ったステンドグラス。足の踏み場もないほど石畳が割れている魔王城の中。
短い黒髪は血に染まり、非常に整った顔つきの青年の表情は、いびつに歪んでいた。剣すら握れなくなったほど体に力が入らない中、近くの物を取るように右手を伸ばすが、空を掴む。
こった装飾が施されていた天井が砕け散り、月あかりが差し込む。その光に遮られ、目の前で魔王と互いに剣を胸部に突き刺し合っている勇者の姿がはっきりと見えた。真っ青だった灰色の瞳に映るその光景は脳裏に焼き付いた。
世界に災いをもたらす魔王と禍々しい剣は光の粒となって消え、口と胸から血を流す勇者・アーデンは糸が切られたマリオネットのように膝をつき、前かがみに倒れる。
「アーデンっ!」
ここまで共に死地を乗り越えてきた勇者の名を呼ぶのは、剣聖本家の当主に勇者を生かして王都に連れ帰るよう言われていたカイ・レオストだった。
赤子が地を這うようにアーデンのもとに駆け寄り、すぐさま抱きかかえる。回復薬や包帯の類はここに来るまでに全て使い切っていた。
回復魔法が使える聖女もすでに魔力が切れており、傷を癒せない。そもそも、すでに治療の施しようがない状態だった。
隙間風のような音を出しながら微かに息しているアーデンはカイの手に聖剣を握らせ、いつものように笑っていた。死にかけの魚のように口を動かし、何か伝えようとしているが声になっていない。
「ご……め…………ん…………」
「もう、いい、喋るな! 今すぐ国に帰って……」
アーデンはカイの腕の中で死んだ。柔らかい月あかりに照らされ、笑顔のまま生を全うした。
アーデンが死に、残ったパーティーメンバーはカイと聖女の二名のみ。魔物が蔓延る地ゆえに、帰路も安全とはいい難い。そのため、重荷となる死体を持ち帰れなかった。
カイは花畑に横穴を掘りアーデンの亡骸をそっと寝かせて土に埋めた。左手の薬指に嵌められた指輪を持ち帰るかどうか迷ったが、託された聖剣だけにとどめる。
王国に帰る途中、聖女が病に倒れた。魔王との戦いで魔力を使い果たし、魔力を生み出す体内の器官を損傷していると知った。もう、魔力は生み出せず、己の回復も出来ない状態だった。
重傷を負っていたにも拘らず隠していたらしい。
聖女は小さく微笑むと「カイがアステルラ王国に帰る足手まといになるから置いていって」と青白い顔で言う。廃墟となった教会に一人残り、神に祈りを捧げたまま、短い生涯に幕を閉じる。
剣聖の家系の分家、それもほぼ一般人と変わらないような末端の家系に生まれたカイは本家の者より剣の才能を持っていた。だから、選ばれた。ただ、勇者や聖女よりも必要とされておらず、どちらよりも魔王との戦いで死んでも問題ない存在だった。
そんなカイだけ生き延び、一年かけ母国の王都に凱旋を果たす。
王都内に植えられたマグノリアの花はすでに全て地に落ち、緑色の葉だけが生い茂っている。そんななか、アステルラ王国の民は勇者パーティーの凱旋に盛大なパレードを執りおこない、帰ってきたカイを英雄と称え、祭り騒ぎとなる。
ただ、王城に内容を報告する際、アーデンの妻となり一六歳にしてアステルラ王国の女王となっていたセリシアだけは、表情に影を落とした。彼女は王座に座った状態で赤子を抱え、王の間の床で跪くカイを上座から見下ろす。
「アーデン……、アーデンはどこ」
「アーデンは魔王と相打ちになり、殉職しました」
「……なんで、なんであなたが生きて、アーデンが死んでいるの。なんで! どうしてっ!」
セリシアは王座から立ち上がり、声を張り上げた。無表情のまま涙を流し、上座から降りた彼女は跪くカイの頭を小さな拳で叩き続ける。周りの騎士達に宥められ、カイから距離を取る。
「あなたが死ねばよかったのに! この薄情者っ!」
騎士によりセリシアは退室させられ、彼女がいなくなった王の間は時が止まったような静けさに見舞われた。
カイはアーデンから受け取った聖剣を差し出したものの、王家はそれを拒否し彼に持たせたままにする。
魔王軍によって疲弊したアステルラ王国は英雄を欲していた。長い間、平和だった中、突如として現れた暗闇の時代。その時代が終わったのだ。そこに英雄がいてこそ、新たな時代の幕開けに相応しいという判断だった。
だが、カイは俯きながら、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……俺は、英雄じゃない」
☆☆☆☆
勇者アーデンが魔王を倒してから一四年が過ぎ、もうすぐ一五年が経とうとしていた。
青年というにはすでに時がたち、少々老け込んだ表情のカイは扇状に広がった教室にいた。
アステルラ王国。その名の由来は「星の導き」からきている。大陸最大の国家、建国から約八〇〇年の歴史を誇る。国土の中央に王都を構え、周囲に五つの大州・行政区画を持つ。政教一致に近い体制で「王家と正教会」の繋がりが深い。
彼はそんな話を誰よりも星のように眩い光りを放って見える少女の横に立ちながら聞いていた。
「では、ここで問題です。ここ、セレスティア学園が建立されたのはいつでしょうか?」
学園長であるドラグニティが多くの学生に質問を投げかける。
「はいっ、はい、はいはいはいっ、はぁ~いっ!」
カイの隣に立つ麗しき少女・アリステリア、愛称リスティが席の上で飛び跳ねながら声を荒らげる。あまりにはしたなく親の顔が見てみたいと誰かに言われそうなほど元気があり余っていた。
「では、アリステリア・アステルラ、答えてみなさい」
「八〇〇年です。初代国王が国の安定を考え、次世代の勇者を生み出そうとするために作られた学園で、今では国内外問わず、多くの学生が通う由緒ある教育機関になっています。剣聖と聖女も通っている凄い学園ですっ!」
リスティがうんちく混じりに堂々と言い切ると、ドラグニティは真っ白な髭を撫で「おみごと」と口にしながら手を叩く。
多くの生徒たちが手を叩き、答えた本人はパン生地のようにふにゃふにゃの笑顔になって椅子に座る。すぐ、カイの方に視線を向け、顔をさらにほころばせた。
かつて、女王の腕の中に抱かれていたアーデンの娘が成人する年になってしまうとは、カイもいささか、時の流れの速さに驚きを隠せない。
「カイ・レオスト。わざわざアリステリア嬢の隣で抗議を受ける必要はなかろう」
「俺の仕事は姫を守ることだ。ここにいれば何があっても姫を守れるだろう」
ドラグニティは年季の入った溜息を吐き、首を横に振るった。
今年で三十路の年齢になるカイの身長は一八八センチメートル。体格は脂肪がほとんどなく引き締まっており、騎士や軍人というより「現役を退いた歴戦の戦士」の印象が強い。
顔立ちも整ってはいるが、当時の麗しい若々しさはなく目元の鋭さと無精な印象が先に立つ。鼻筋は通っているものの、常に疲れているような影のある表情。うっすら無償髭が生えており、手入れが雑だ。麗しき姫であるリスティの隣に立っていると放浪者に見えなくもない。
髪型は肩にかかるくらいの乱れたミディアムヘア。後ろで軽く束ねている。色はダークグレーに近い黒。
深いネイビーや黒を基調とした、動きやすく簡素な服装。革のロングコート風の教師用制服を身に纏い、左腰に古びた長剣を一本、右腰にアーデンの聖剣を携帯している。
多くの生徒が、本当に魔王を倒し帰ってきた英雄なのかと疑うほど覇気がなく、常にリスティの傍にいた。すでに、生きた人間というより姫を常に守るゴーレムに近い。
カイの前職は女王と姫を守る近衛騎士だった。ただ、リスティのセレスティア学園入学を期に、彼女自ら護衛を頼んだ結果、朝から晩まで常に一緒にいる状態。
約十五年前に王都に戻ってきた後から全く変わらない生活だった。いついかなる時も、アーデンの忘れ形見である女王セリシアと姫アリステリアを、命を懸けてでも守る。
それだけが、カイにとって亡き友に出来る唯一の罪滅ぼし。そして、生きている理由だった。
「アリステリア、このあとカイを借りてもよいかな?」
「えぇ~、ちょっとだけですよ」
リスティはカイの腰に抱き着き、大切なぬいぐるみを愛でるように手の甲に頬擦りしている。
ドラグニティの講義終わり、リスティは学友と共に昼食を得るため、食堂に向かう。カイが彼女の背後について行こうとすると、背後から腰の曲がった八〇代にも拘らず、未だに教鞭をとっているドラグニティが声をかける。
「今、王都の中で英霊祭が開かれておる。そこで、国を救った英雄として演説を頼みたい」
何十回、何百回とこなしてきた会話の答えはいつも同じ。「断る」の一言でカイは会話を終えた。
リスティの後を追うと丸眼鏡をかけた比較的若そうな男性教師がリスティに話しかけている。
「おや、おやおやおやっ。あなたは、もしや英雄のカイ・レオスト様ではありませぬか。私、あなたに合うのが夢でしてっ!」
カイと同じ教師用制服を身に着けた男はリスティに挨拶を済ませた後、丸眼鏡を掛け直しカイの目の前に立った。
「あぁ、申し訳ありません。私の名はドリミア・パックスと申します。ノクス=ラレア出身です。今年から学園の教師として働くことになりました。何卒、よろしくお願いいたします」
茶色の短髪。一七〇センチメートルほどの背丈に、線の細い体躯。体は動かさず、頭をよく使う人間だとわかる。丸眼鏡が教師の雰囲気をより一層引き立たせていた。黒いグローブを嵌めた左手を胸に当て、軽く会釈してくる。
あまりに内側に入り込んでくるため、実に鬱陶しい。昔よりは落ち着いたものの、最近でもカイの英雄譚や絵本、小説、劇場、その他に至るまで英雄の名前を至る所で見受けられる。
カイを一目見れば神でも目撃したような形相で、崇めてくる者は少なくない。その傾向が強いのは田舎から王都に出てきた者の可能性が高い。ノクス=ラレアという土地も田舎だが、アーデンの出身地と同じだった。
「金輪際拘わる気はない」
「あちゃぁ~、初っ端から嫌われてしまいましたかぁ~」
ドリミアは陽気に笑い、頭を深々と下げながら仕事に向かおうとカイの右側を通り過ぎる。
その瞬間、携帯している聖剣に力が入ったような気がした。カイは眉間にしわを寄せ、振り返り際にドリミアを見やる。
「あ、すみません。足が当たってしまったようで」
ドリミアは平謝りしたまま、廊下を颯爽と速足で去った。
「なんか、騒がしい人だったねー。というか、カイもその服を着るならセレスティア学園で教鞭をとらないと駄目なんだよ。わかってる?」
「俺は姫の護衛以外やるつもりはありません」
「私ばかりじゃなくて、お母さまも守ってあげてよ~。お母さまはカイに一層キツイけど、本当に嫌いな人には口きかない人だから」
「……ええ、命に代えても」
王家は「勇者、または聖女との婚姻」を通して、神の血脈を絶やさぬよう継いできたとされる。聖剣に選ばれし勇者が現れれば婿養子として迎えられ、次期王となる。
王子が生れれば厄災は発生せず神託に選ばれし聖女が妃となる。そうして、アステルラ王国は繁栄してきた。
ただ、現在、国王はいない。セリシアが女王となり政治を回している。
国王となるはずだったアーデンが死に、王子ではなく姫のリスティが生れた。それは、新たな厄災が降り注ぐ予兆ともいえる。
長い歴史の中、勇者が国王にならず死んだ事例はなく、セリシアに兄や弟もいない。本家ではなく、分家の男児が次期国王になる可能性も示唆されているが、女王は法律を変える気は一切ないようだった。
午後の講義も終わり、夕食を終えたリスティが部屋に戻ったため、他の騎士と護衛を交代したカイは教師用の一室に睡眠のためだけにいったん戻る。
ベッドと机、剣の手入れ道具しかない独房のような質素な部屋に、今日もまた実家から送られてきた肖像画が一段と大量に詰め込まれていた。メイドから手渡された手紙を読む。
父と母から、そろそろ見受けを考えたらどうだと、いつも通りの結婚の最速だった。すぐさま破り捨て、メイドに肖像画も廃棄するよう伝える。
アステルラ王国の英雄カイに婚約を申し込んでくる相手は後を絶たない。次の国王の候補に挙がってしまうほど国民から人気があり、実力も兼ね備えている。
だが、カイは求められること全てに断り続けてきた。
「なぜ、だれもアーデンの名を口にしない。俺は勇者を守れず戻ってきた薄情者なんだ……。英雄ではない。本当の英雄はアーデンなのに……」
服装そのままにベッドに倒れ込んだ。服が皴になるなど気にせず、眠りに着く。
日が東から昇ころ、メイドがカイの部屋の扉を激しく叩く。リスティに何かあったのかと思ったカイは一瞬で目を覚まし、扉を開けた。
「あ、新たな聖剣が貧民街に出現したとドラグニティ学園長から報告がありました」




