第29話:拠点確保
澄み渡る夜気の中──
雲ひとつない星空が──
紺の荒野の上に広がっていた。
巣穴の縁からぽこっと顔を出すシルエットが──青白い月明かりにふわりと浮かび上がる。
(……うおあぁぁ……!)
瞳を丸い光が満たし、まるで水面のように揺れる。
(月あるけど……10倍ぐらいありそう──)
(模様も全然違う……!)
ハムマルは、
首をにゅっと伸ばし、
顔もしゅっとスリムになり、
鼻元のふくらみも、ぷくっと膨らませ、
ゆっくりと、見上げる角度を上げていく。
やがて体が仰け反り、短い前足がぷるぷると震えた。
ふと我に返り──ビクッと硬直する。
(──っ!)
(ヤッバ! どんだけ惚けてた!?)
ぱっと体ごと振り返り、
(油断し過ぎだろ!)
小刻みに首を左右に振り、
丸っこい三角耳もぴくぴくと向きを変える。
鼻先をふんふんと──風を嗅ぎ分けると、
ぽんっと飛び出し、巣穴の周囲を疾走する。
──短い四肢は見えないほどの速さで、脇腹の毛並みがふわふわ波うつ。
そのままシャッと巣穴に飛び込むと、一番奥まで駆け抜け、
すぐに入口までぴょんぴょんぴょんと駆け上がり、またぽこっと顔を出す。
ゆっくり数歩外に出て、
巣穴に向き直ったハムマルは──
瞳を輝かせ、後ろ足で立つと、右前足をスッと前に突き出す。
(ここを拠点にしよう!)
ぷっくりと鼻元のふくらみが持ち上がり、
逆三角にひらいた小さな口が、ニッコリしているように見えた。
だが、荒野の静寂を破るように……
“デデーン”という重い効果音が脳裏に響き、視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
(ひっ!)
──巣穴の入り口で、丸いシルエットが“ぽんっ”と跳ねて戻る。
まん丸に見開いた瞳で確認する。
──『状態:渇き/[蜂のアイコン]』
(!?)
(水! えっと、自動販売機は──あるわけない!)
(どうしたら!)
畳みかけるように……
“デデーン”という重い効果音が脳裏に響き、新たな文字列が追加された。
(ひぃっ!!)
──巣穴の入り口から、大の字のシルエットが跳ね上る。
輪郭が白銀のリングの光を受けて、一瞬だけキラリと光った。
潤んだ弱々しい瞳で確認する。
──『状態:渇き、空腹/[蜂のアイコン]』
(食べ物!? えぇぇ~と、コンビニ……無いし!)
(どうしたら……どうしたら?)
勝手にぱたぱたと動く前足が、空中を忙しなく掻き乱し、
二本足で立ったまま、うろうろとその場で歪な円を描く。
その時──
記憶の奥から、ハムスター好きの友人の楽し気な笑い声が蘇った。
──「うちの子は、完全な草食なんだよ~乾燥チーズとかぶん投げちゃうし!」
(ハムスターなら、草を食べられるかも……?)
(水は……草原に川とかあったっけ?)
(……見つからなければ、草を絞って水分補給かな……)
ハムマルは確保したばかりの拠点から飛び出し、夜の荒野へ躍り出た。
夜空の下──
月明かりの荒野を、テクテクと軽やかに歩むハムマル。
──青白い光が毛並みを淡く縁取り、ふくっとした体の影が伸び縮みする。
草原の方向は明確だった。
決死の覚悟で駆け抜けた──草原から荒野への軌跡を、今は逆に辿っていく。
(!……いい石みっけ~)
武器になりそうな石を見つけると、
口にぽいっと放り『ほお袋収納』へと格納する。
ハムマルはふと気になり──
(ステータス~)
鮮やかな緑光で文字が浮かび上がる。
──『HP:102/112』『MP:144/187』
(増えてる!)
(HPは僅かに──“1”ぐらいかな)
(MPは“20”ぐらい! かなり回復してる!)
また、しばらく歩いてステータスを確認すると──
──『HP:101/112』『MP:145/187』
(HP減ってる……喉の渇きとお腹が空いてるからか……)
(でも、MPはまた増えてる!)
(じっとしていなくても大丈夫ってこと?)
ハムマルは試しに、少し速めに駆け続けた。
──『HP:101/112』『MP:145/187』
(なるほど~)
(激しく動いてたらダメで──日常生活ぐらいの行動なら大丈夫そう?)
散歩程度なら自然回復が可能、その事実に──
(なんて自由なんだ!)
軽やかになった足取りが荒野を弾み、丸いシルエットが満月の上にぴょんと跳ねた。
◇
やがて荒野と草原の境界が視界に入った。
月光が地面を明るく照らし、草が急に生え始めるのがハッキリと見える。
(……荒野近くの草は……なんか嫌だな……)
境目を避けて草原の奥へと、短い四肢がリズムよく進む。
──やがて、草が視界を埋め尽くす。
月夜の草原は──
緑ではなく蒼に輝き──
風が草の先端を揺らすと──微かな光芒を散らして波のようにうねる。
(戻ってきたぞー!)
そこは、“ランスホーネット”に襲われ、大群に絶望し、
それでも必死に穴を掘って抗おうとした──あの場所だった。
(……まだ、たった半日なのに……)
(……なんか、すごく前の気がする……)
死と隣り合わせの連続、その果てに掴んだ生還。
ぽてっと体を丸め、深く、深く吐き出した息が、濃紺の星空へと昇っていった。
ハムマルは、首を伸ばして右へ左へと振りながら──柔らかそうな若草を探す。
そして、四つん這いで──先端にそーっと口を運ぶ。
(……ほおぉ……ふむぅ……)
(……こ、これはっ……)
──それは、美味しいお米で作った、塩気の薄いお粥のような味わいだった。
(悪くないな~)
(……でも……食べ慣れた味なんだよな……)
──転生前、体調の悪い日は、それしか口にできなかった味。
(青臭く感じないのは……味覚が人と違う……?)
(まぁ、美味しく食べられるのはありがたいね!)
(じゃあ、満腹まで──)
もっちりした尻を地面に下すと、月明かりの中で丸い影がぽすっと落ち着いた。
しかし──
背中に強い衝撃──
草原がぐわっと視界を満たし──さらに暗闇に染まる。
「──ブギュッ!!」
体の記憶がハムマルに伝える。
それが、何らかの踏みつけであることを。
(……またアイツか!)
──“ヴォルカテイル!”
炎尾が一気に“体長の八倍”にまで伸び上がる。
あの時の“倍以上の太さ、四倍の長さ”の炎が閃光と化し、夜気を震わせる。
──1秒
ハムマルは、背後にぐるりと炎尾を振るう。
──“ボオォォォ!!”
だが、何も捉えられず、
(──手応えなし!?)
(避けられた? 今の長さで? この速さで?)
背中の圧力も消えていた。
瞬時に四肢を踏ん張ると──
潰れた大福のような体を跳ね上げ、身をひるがえし後方へ反転する。
(──いない? いや、いた!)
その視線の先、見覚えのある体躯は、あの時の遥か先で身構えていた。
──3秒
ニヤリと口角を上げ、その場で落ち着きなく草を踏みしだく、虎のような巨躯。
(……また、その顔か……)
だが、それ以上に──
(……なんだ……?)
(こいつの、この距離感は……)
──それは、“ヴォルカテイル”がわずかに届かない距離。
(スターオービットの炎尾を知ってる? それでその表情か?)
(……まぁ、ともかく──悠長にフェイントとかやってられると思うなよ!)
草原の空気が張りつめる。
闇色のウルフは、醜い笑みに月光を浴び、巨大な牙が浮かび上がる。
一方のハムマルは、勝手に身体に巻きついた炎尾に下から照らされ──鼻元のふくらみが浮かび上がった。
──5秒
それは一瞬だった。
ハムマルが地を蹴ると、
ダークファングは距離を取ろうと──
ニタリとした口角をそのままに、身をひるがえす。
しかし──
──“スガァッ!”
炎尾が草と土を爆ぜさせた刹那──
ハムマルの姿は既に敵の頭上に舞っていた。
風切り音がその丸い体を包み、毛並みが流線形に艶めく。
──今はまだ“ハムマルだけ”の炎尾による高速移動。
目を見開き、
大口を開け、
驚愕へと歪んでいく、
敵の表情を視界へ鮮明に捉えながら──
『ほお袋収納』から石をポンと取り出し、炎尾で硬く巻き取ると、くるりと宙返りする。
ハムマルを中心に、空中に綺麗な炎の円を描く炎尾が、
しなやかな弧へと形を変え──“ヒィィ……”と微かな空を切る音と共に、一閃した。
──“ゴキィ!”
「グガァ!」
真横に倒れ伏す巨躯。
衝撃で周りの草の先端から夜露が一斉に弾けた。
──9秒
(まずは機動力を奪う──)
(後ろ足がダメになれば、一気に弱体化する!)
着地と同時に、後ろ足の根元へ追撃を叩き込む。
炎尾がしなり、人の拳ほどある石が“ゴッ!”、“ガッ!”と、鈍い音を響かせる。
ダークファングは必死に身を跳ね上げ、牙を剥いて飛びかかるが──
力を失った後ろ足は地を蹴れず──ハムマルはシャッと横へ跳び、難なく死角へすり抜ける。
──13秒
飛び込んできた頭部へ、容赦なく炎尾を振り下ろす。
だが──先端の石がスポッと抜けた。
(──っ!?)
──“ビシィィッ!!”
石を失った炎尾だけが、敵の頭部を虚しく叩く。
(……なら、これで!)
炎尾を“ギュルルル”と首へと巻きつける。
そのまま力一杯締め上げると、
一瞬にして──ダークファングの身体から力が抜けていった。
(窒息じゃないな、早すぎる──血が止まって落ちたか)
(『状態:昏倒』ってところかな?)
──15秒
ぐったりと伏せる敵を、静かに見下ろすハムマル。
(……やっぱり、最初のと同じ姿……ダークウルフだっけ……?)
(ダークファングか……)
──橙色の炎が闇色の体毛を舐め、首元からじわじわと侵食していく。
だが、ハムマルは察していた。
(……炎で焼き尽くすまでもなさそう……)
──19秒。
巻きつく炎尾の深部から──
激しい水蒸気音が爆ぜ、もうもうと湯気が立ち昇る。
<経験値100を獲得しました>
──水蒸気は明るい橙光に揺らめき、夜の草原の蒼へと静かに溶けていく。
この結末が訪れると、ハムマルは脳裏に描いていた。
それが焼き切った血管から溢れる液体の“なれの果て”であることも──。




