野生の開宴、シングルス2
ダブルスでの勝利に沸き立ったのも束の間、モニターに映し出された次戦のカードを見て、部室の空気が一変した。
フランスが送り込んできたのは、昨日ルカの傍らで冷徹な視線を送っていた少年。精密なコントロールで相手を「解体」すると恐れられる、エティエンヌ・リシャールだった。
「……始まった。行け、陽太!」
佐藤くんの叫びに応えるように、画面の中の陽太が爆発した。
第1ゲーム、陽太のサービス。彼は昨日ルカに味わわされた屈辱をすべて叩きつけるかのように、全身を弓のようにしならせ、咆哮と共にフラットサーブを振り抜いた。
「オラァッ!!」
時速200kmを超える弾丸が、センターライン上を射抜く。
エティエンヌは瞬時に反応したが、陽太のボールに込められた強烈なパワーにラケット面を弾かれた。その甘い返球を、陽太は見逃さない。コートを横断するようなダイナミックなスイングが、鋭い打球音と共にサイドライン際をぶち抜いた。
「すごい……! 陽太くん、完全にゾーンに入ってる!」
美咲が身を乗り出す。
セオリーを無視した予測不能なコース、ネットに詰め寄ったかと思えば、ベースライン際から超回転のスピンを放つ。陽太の「直感」がエティエンヌの「論理」を次々と粉砕し、第1セット序盤でいきなり 2−0 とリードを奪ってみせた。
しかし、第3ゲーム。
チェンジコートでベンチから立ち上がったエティエンヌの瞳には、焦りなど微塵もなかった。
「……あ」
私が小さく声を漏らす。モニター越しに目が合ったような錯覚を覚えるほど、彼の視線は冷たく、そして鋭かった。
陽太が再び放った渾身のサーブ。エティエンヌはそれを、まるで最初からそこに来ると分かっていたかのように、最小限の予備動作で捉えた。
「え……?」
美咲の驚愕が部室に響く。
エティエンヌは陽太のパワーを殺すことなく、そのまま利用するようにラケットを振り抜いた。ボールは陽太が次に踏み込もうとした「逆」の足元へ、正確無比な角度で突き刺さった。
「……対応された」
春花部長の重い呟き。
そこからの展開は、見ていて息苦しくなるものだった。エティエンヌの動きから無駄が消え、陽太の「野生」が持つリズムを、一打ごとに解析し、塗り替えていく。
陽太が右に動く予兆、力む瞬間の呼吸。エティエンヌはそれらすべてを削り取るように、陽太を走らせ、精神を摩耗させる配球を開始した。
「陽太の動きが、さっきより重くなってる……」
必死に食らいつこうと、陽太はさらに速度を上げる。しかし、放たれる球は常に陽太の「一歩先」を塞ぐように置かれる。
追いかければ追いかけるほど、エティエンヌが描く精密な図面の中に閉じ込められていくような、もどかしい展開。
ゲームカウントはあっという間に 2−2 のタイ。
画面の中の陽太から、いつもの不敵な笑みが消えていた。代わりにその瞳に宿ったのは、初めて味わう「静かなる圧倒」への困惑だった。
エティエンヌの放つ、正確無比かつ速度を殺さない「カウンター」が陽太を追い詰めていく。第1セット中盤、ゲームカウントは 2−3。部室の空気は、陽太の焦りに同調するように張り詰めていた。
「……おかしい。陽太くん、もっと焦ってもいいはずなのに」
美咲が画面を凝視しながら呟いた。
確かに、エティエンヌに完全に先読みされ、走らされている今の陽太は絶体絶命に見える。けれど、画面の中の陽太は、息を切らしながらもその瞳を一度も逸らしていなかった。
不意に、私は冬休みの間、河川敷のコートで陽太と打ち合った時のことを思い出した。
私のショットは、陽太のようなパワーはない。けれど、相手の力を利用してコースを突く「波紋」のようなカウンターが持ち味だった。あの時、陽太は何度も何度も私のリターンに手を焼き、悔しそうに笑いながら言っていた。
『みゆのテニスは、なんかこう……逃げ場がないんだよな。でも、いつか絶対攻略してやるからな!』
「そうか……陽太、この感触を知ってるんだ」
私の呟きに、奈緒がハッとしたように顔を上げた。
「エティエンヌの『削り取る』テニス……。それは、みゆがずっと陽太に叩き込んできたリズムの、究極の完成形なんだわ」
第6ゲーム。エティエンヌが再び、陽太のパワーを完璧に利用したライジング・ショットをサイドライン際へ放った。
誰もが「決まった」と思ったその瞬間、陽太の動きが変わった。
彼はボールを追いかけるのではなく、あえて一歩、逆方向へ「誘い」のステップを踏んでいた。エティエンヌが最も得意とする「相手の逆を突くコース」を、陽太はあえて自分から差し出したのだ。
「——待ってたぜ、そのコース!」
陽太が全身のバネを爆発させ、あらかじめ予測していた場所へと飛び込む。
エティエンヌの表情に、初めて微かな驚愕が走った。
陽太が選んだのは、これまでの力任せな強打ではなかった。
エティエンヌが殺さずに返してきた速度を、さらに自分の回転で「上書き」し、極限まで短く落とす超回転のドロップショット。
「えっ、ドロップ……!?」
佐藤くんが立ち上がる。
精密な彫刻家であるエティエンヌにとって、予測外の「短い球」は、彼の描く完璧な図面を汚す泥のようなものだ。エティエンヌは必死にネット際へ走り込むが、ボールはコート上で不規則に弾み、彼の手をすり抜けた。
「取った……! ブレイクバックだ!!」
部室に地鳴りのような歓声が響く。
陽太は荒い息をつきながら、ラケットをエティエンヌに向けて不敵に笑ってみせた。
「……みゆの『波紋』で、何百回も練習させられたんだ。あんたの打ち方、どこかで見たことあると思ったぜ」
陽太の言葉はマイクには届かない。けれど、その自信に満ちた背中からは、最強のカウンターを攻略するための「鍵」を、彼が自らの経験の中から掴み取ったことがはっきりと伝わってきた。
「行け、陽太!」
私はモニターに向かって、思い切り拳を突き出した。
「野生」が「論理」を飲み込み始める。逆転の旋律が、フロリダの風に乗ってスタジアムに響き渡ろうとしていた。
第1セット終盤、ゲームカウント 5−5。陽太が掴んだ「突破口」が、エティエンヌが築き上げてきた鉄壁の論理を、内側から瓦解させ始めていた。
「エティエンヌの動きが、さっきより硬くなっているわ」
奈緒が鋭く指摘する。モニターの中、フランスの『彫刻家』は、かつてない焦燥に駆られていた。
自分の放つ完璧なカウンターが、陽太の「誘い」によってことごとく餌食にされている。エティエンヌはさらに精密なコースを狙おうとするが、その「完璧主義」こそが、陽太の仕掛けた罠だった。
「陽太、わざとミスを誘ってるんだ……」
私が呟いた直後、エティエンヌのショットが、わずか数ミリの差でサイドラインを割った。
これまでは絶対になかったイージーミス。一つ、また一つと、精密な彫刻に「ヒビ」が入っていく。
「あいつのテニスは、綺麗な図面の上に成り立ってる。……でも、河村はコートをぐちゃぐちゃに荒らす『嵐』だ。図面が汚されるのを、エティエンヌのプライドが許さないんだわ」
春花部長の言葉通り、エティエンヌは冷静さを保とうとすればするほど、陽太が放つ不規則なショットへの対応に遅れが生じていった。
タイブレークに突入した激闘。ポイント 6−5。
陽太のセットポイント。
スタジアムを包む熱気の中、陽太は静かに構えた。これまでのような咆哮はない。けれど、その瞳には獲物を確実に仕留める、獣のような静かな光が宿っていた。
陽太が放ったのは、この試合で一度も見せていなかった、極限まで回転を抑えた超低空のフラットサーブ。
エティエンヌは反射的にラケットを出すが、陽太がわざと残していた「甘いコース」へと誘導される。エティエンヌがそこへ渾身のクロスを放った瞬間、陽太はすでにその場所へ踏み込んでいた。
「これで、終わりだッ!!」
陽太の全身の筋力が、一気にラケットへと集束する。
エティエンヌの速度をすべて飲み込み、さらに増幅させた「野生のカウンター」。
ボールは、エティエンヌが反応することさえ許さないほどの速度で、彼のコートのコーナーをえぐるように突き刺さった。
『Game and First Set, Won by Japan, 7-6!』
審判の声が響いた瞬間、陽太は天を仰いで大きく叫んだ。
対照的に、エティエンヌはラケットを握ったまま、自分の足元を信じられないものを見るように凝視し、そのまま膝を突いた。
「……勝った。陽太くん、あの『彫刻家』に勝ったんだ!」
美咲の声が裏返る。部室の中は、もはやお祭り騒ぎだった。
続く第2セットも陽太の勢いは止まらず 6-3で勝利を掴んだ。
世界ランク上位のフランスから、ダブルスに続き、シングルスでもセットをもぎ取った。それは、日本代表が「番狂わせ」ではなく、真の実力で世界をねじ伏せ始めた証明でもあった。
ベンチに戻る陽太は、汗を拭いながらカメラに向かって、不敵な笑みで親指を立ててみせた。
その視線の先には、おそらく日本でこの中継を見ている私たちがいる。
「……見てたか、みゆ。お前のテニス、世界でも通用したぜ」
そんな声が聞こえた気がして、私はモニターを握りしめ、熱くなった目元を拭った。
しかし、戦いはまだ終わっていない。
フランスベンチでは、世界ランク二位の選手ジャンが「静かな闘志」を湛えて立ち上がろうとしていた。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
陽太の試合です。
経験が生かされた試合結果となっています。




