08 あんたとは最初から、遊びだったのよ
「いってらっしゃーい」
「いってきます」
「いってきまーす」
週明けの朝。ユエさんに見送られる形で、二週連続でカグヤ先輩と家を出た。
先週は、肩を並べたのは駅まで。電車に乗るところまでだった。
だが今日は違う。
まるで前からそうしていたかのように、電車を降りてからも、自然にその隣を歩いていた。
学校に近づくにつれ、こちらを二度見するような視線がちらほらと増えていく。
「いやー。案の定、ジロジロ見られてるねー」
困ったような声音とは裏腹に、カグヤ先輩の顔は晴れやかだった。その笑顔には、周囲の視線など意に介さない明るさがあった。
「テルくん、大丈夫?」
「居心地はよくないですけど……針の筵ってほどではないですね」
「慣れない内はメンタル削られるけど、悪いことしてるわけじゃないんだから。そのうち、気にならなくなるよ」
「それまでは、胸と虚勢を張り続けろ、でしたっけ?」
「弱みを見せたら、裁かれるくらいの気持ちでね」
太陽のような眩しさで笑うその様は、僕がよく知る素直でわかりやすい姿とはまるで違う。今のカグヤ先輩は、笑顔の奥にあるものを見事に隠している。
「カグヤ!」
「おっと!」
そのとき、後ろからカグヤ先輩に勢いよく抱きつく影があった。
一年前、カグヤ先輩が『誰かー、塩もってなーい?』と声を上げたとき、アイドルのうちわを掲げて答えた女子生徒。カグヤ先輩が身を置くギャルグループのひとり、たしかキララという名前だったか。
「ちょっと、危ないでしょキラ――」
「どういうことだ!?」
キララ先輩の叫びは、怒りと困惑が混じった切実な響きだった。しかも女子にしては妙に低く、野太い声である。
「この男は一体、誰なんだよ!?」
「そんなの、あんたに関係ないでしょ」
カグヤ先輩が突き放すように言い放ち、腕を組みながら冷たい目を友人に向けていた。キララ先輩はまるで裏切られたように目を見開き、僕を敵視するように睨んでくる。
「まさか……こいつが、あのテルなのか?」
「だったら?」
「だったらって……ふざけんなよ! ちゃんと説明しろよ!」
「どういうこともなにも、見ての通りよ」
そう言って、カグヤ先輩はタバコを吹かすような仕草をして、鼻で笑った。急な修羅場に張られた緊張の糸が、拍子抜けするようにたわんでいく。
「ま、そろそろ潮時かなって思ってたし、いちいち説明する手間が省けて助かったわ」
「おまえ……なにを言って――」
「あんたにはもう飽きたのよ。正直、付き合ってあげるのも限界」
「嘘だろ、カグヤ……」
あまりにもあっさりとした言葉に、キララ先輩は青ざめていくような表情を作った。
「俺は……っ、おまえのこと、本気で……!」
「そこがまた、めんどくさかったのよね。重いのよ、あんたって」
「……っざっけんなよ……おまえが、俺のすべてだったんだぞ……!」
怒鳴りながら拳を振り上げるキララ先輩。だが、その拳は振り下ろされることなく、ふっと力を失ったように、縋るようにカグヤ先輩の肩に置かれた。
「……頼むよ、カグヤ……もう一度だけ……チャンスをくれよ。俺を、捨てないでくれ……お願いだから……!」
「ほんっとに無理。あんたのそういう女々しいところ、いとキモい」
カグヤ先輩はその手を乱暴に振り払うと、さっと僕の腕を取り引き寄せた。
「やっぱりテルくんしか勝たんわ」
「カグヤァーッ!」
哀願するように手を伸ばしながら、キララ先輩はその場に崩れ落ちた。寝取られた男のような喪失感がそこには浮かんでいた。
そして、その五秒後。
「マジで彼氏?」
「ノー。マイ・フレンド」
突然テンションが切り替わり、キララ先輩が素に戻る。それに合わせるように、カグヤ先輩も僕の腕からすっと手を離しながら、あっさりと答えた。
「マイ・フレンド? あの男嫌いのカグヤに?」
「男嫌いって……いつからそんな属性がついたのよ」
「だってカグヤ、男子に基本、当たりきついじゃん」
「誰にもってわけじゃないし。馴れ馴れしい男を塩ってるだけ。最初から距離感バグってるとか、ほんと無理」
「まあ、カグヤとお近づきになりたくて行動に移せるのって、図太い男だけだもんね」
「一生、近づいてほしくないわ」
「で、そんなカグヤさんのタイプは、話を聞いてくれそうな系男子?」
「話を聞いてくれそうな系?」
「黒いマスクが似合いそうな子ってこと」
キララ先輩は意味ありげな笑みを浮かべながら、僕に横目を向けた。その意図を察した僕は、思わず渋い表情になる。
「それで、おふたりの出会いは?」
「小中が一緒」
「なんと! つまりテルくんは、北の地から追っかけてきた系の幼馴染!?」
「違う。わたしの字……まあ、特徴的でしょ?」
「竹林より生まれしお姫様だからね。名前負けせず、こんなに立派に育ってくれて……お母さん、嬉しいよ」
よよよ、と泣き真似するキララ先輩。中学までは名前負けしているのがコンプレックスで「わたしの将来の夢は、子どもに姫という字を背負わせないこと」とこぼしていたカグヤ先輩は、苦々しい表情を浮かべた。
「そんな名前だから『もしかして南中の?』って声をかけてくれてね。地元仲間だってわかって、話が盛り上がって……それ以来、仲良くしてるって感じ」
「それは男女のお付き合い的に?」
「少なくともキララよりは、深いお付き合いさせてもらってるかな」
「やっぱり寝取られ! 寝取られなのか!?」
「そうよ。あんたとは最初から、遊びだったのよ」
「カグヤァーッ!」
キララ先輩の縋るような手を払い除けながら、カグヤ先輩はタバコをふかす仕草をしてみせる。
通学路のど真ん中。校門までは、あと二分という距離。
そんな場所で堂々と注目を浴びながら、友人と小芝居を演じてみせるカグヤ先輩。
今も心が陰キャという彼女の自称を、一体誰が信じるだろうか。
裁かれるのが怖くて、足が止められないだけとは言うが。
自然体で、神格化されたカグヤ像を貫いているその姿は、彼女の一面として、立派に本物に至っている。そんなことを改めて思い知らされた朝だった。




