19 ふたりに出会うための試練
「それで、カグヤ裁判官はどう判決を下しますか?」
「さ、裁判官……? あ、あぁ」
話の流れを思い出したカグヤ先輩は、少し間を置いてから気を取り直したように言った。
「事情が事情でしたし、帰る家がなかったテルくんを泊めたこと自体は、仕方ないと思います。でも……やっぱり、家族を騙す形で、出会ったばかりの大人と暮らすのは、よくないと思います」
「この上ない正論ね」
サチさんが小さく頷いた。
「でも、お金や住まいの問題って、やっぱり軽いものじゃないし……ダメなものはダメって一刀両断するだけして、テルくんの差し迫った現実に、無責任に『大人しく我慢しろ』なんて言いたくないし……実際、ルナさんは――えっと、ユエさん?」
「ユエでいいよ。もう夜桜ルナとして、表に出る気はないから」
「――そんなユエさんが悪い人じゃなかったから、テルくんも元気に暮らせてるわけだし。あのときのわたしにはしてあげられなかったことを、してくれているのも事実だし……結果として、今が上手くいってるなら、それはそれで……でも、それも全部、ただの結果論で……」
言葉を重ねる度に、カグヤ先輩は混乱していく。思考をまとめきれず、頭を抱えてしまった。
「カグヤちゃん、本当にいい子ねー。物事を黒か白かで決めずに、ちゃんと相手の立場で考えて悩んであげられるなんて。うちの聖徒にこの問題を投げたら、羨ま死刑の一言で終わりよ」
「本当だったらツバメくんもうちを出て、カグヤちゃんを頼ってのかもしれないね。パパ活の誤解が分岐点だったかー」
「分岐点っていうなら、ツバメくんの早生まれの認識じゃない? 日付変わってすぐに、ハッピーバースデーの連絡を入れるくらいだもん。誕生日デートをしてたろうから、パパ活の誤解が生まれるもなにもなかったんじゃない?」
「どちらにせよ、待っているのはカグヤちゃんとの同棲生活かー。いいなー、青春だなー」
サチさんとユエさんが、それぞれもしもの未来を語り始める。
だけどその空想には、僕は頷くことはできなかった。
「カグヤ先輩と同棲って……さすがにそれはないですよ」
「なんで!? そこはわたしを頼ってくれるんじゃないの!?」
ショックを受けたように、カグヤ先輩が身を寄せてくる。
「わたしたち、一番の友達だよ? テルくんとなら、そのままルームシェアだってしていいのに!」
「いやいやいや、ルームシェアって……いくら友達とはいえ、異性とそれはちょっと……」
「でもユエさんとは同棲してるじゃん!」
「それは、まあ……そうなんですけど……それとは話が別っていうか……」
矛盾を突かれて、言葉に詰まる。
本当は、異性の高校生同士が一緒に暮らすのは風紀的に問題がある、というのが言いたかった。
だけど、今回の件は風紀の前に、法律と道徳の問題を抱えている。あまりにも特殊な例で、同列に扱えない。
その説明が喉につっかえて、結局口にしたのは弁解めいた一言だった。
「今の生活は、緊急避難的というか……目先のお金と猫とキッチンに釣られたというか……」
「ツバメくん! わたしのこと、ただの遊びだったって言うの!?」
「これ以上ややこしくするのは止めてください」
演技じみた口調で茶々を入れてくるユエさんを、僕はバッサリと切り捨てた。すると不満げにユエさんは口を尖らせる。
「でもさー、やっぱりカグヤちゃんの家に転がり込んでたんじゃないの? 一日二日のつもりが、そのままずるずるって」
「いや、同じ転がり込むなら、コウくんの家になってましたね。連絡が取れていたら、行く宛がないなら来るかって、声をかけてくれるつもりだったらしくて」
「あー、彼ねー」
ユエさんが納得げに頷いた
なにせコウくんは、マンションを何部屋も所有している。実際、ハウスキーパー代わりに一部屋貸して、家賃代わりに他の部屋も掃除させようと企んでいたらしい。
もしそちらに身を寄せていたら、今のような後ろめたさを抱えず済んでいただろう。
「でも……そうなってたら、ユエさんたちと出会うことはなかったわけで。あのときこうしていたらなんて後悔は、今はあまりないですね」
「ツバメくん……」
「急にデレてきたわね」
ふたりとも、どこか嬉しそうに笑みを浮かべる。
それが少しくすぐったくて、僕もつい苦笑を漏らしてしまった。
「たしかに、婆ちゃんたちを騙す形になったから、胸を張れる生活ではないかもしれません。でも……こうしてカグヤ先輩に知られてしまったことを、婆ちゃんたちの耳に入ったとき、顔向けできない真似はしてきてないつもりです」
「つまり、その……お世話になってる対価として、いかがわしいことはしてないってことで?」
恐る恐る聞いてくるカグヤ先輩に、僕が頷こうとしたとき――ユエさんが卓上で両手を組み、口元を隠して言った。
「詳しくは省くけど、ツバメくんはわたしの裸を見た、初めての男性です」
「テルくん!?」
「だからなんで、わざわざ誤解を招くようなことを言うんですか!? ただの事故! ポロリのドッキリをしかけてきたユエさんが、本当にポロリしちゃっただけです!」
勢いよく弁明する僕に、サチさんがからかうような声で割り込んだ。
「まあ、エッチなことしちゃってたとしても、ユエちゃん相手ならむしろご褒美。ご家族も笑って許してくれるわよ。ご両親も草葉の陰で、大人の階段を上ったツバメくんの姿を喜んでくれるんじゃない?」
「……そういう脱線、そろそろ止めてもらえませんか?」
いちいち茶々を入れられては、話が先に進まない。
僕は咳払いをして、改めて言った。
「家族が悲しむような、ラインを越えた悪い遊びはしてません。流れでビールを注文されたときも、ユエさんは『お酒は飲ませられない』って、ちゃんと止めてくれましたし」
「うーん……そういうところが、しっかりしてるなら……」
カグヤ先輩は悩みながらも、頭上で大きな丸を作ってみせた。
「わたしはもう、今の生活を止めろなんて言わないよ。もちろん、誰かに告げ口するような真似もしないから」
「……本当に、いいんですか?」
「だって、テルくん自身が選んだ道だから。わたしが心配していたような悪い道に逸れてるわけじゃないなら、それでいっかなって」
カグヤ先輩は大人ふたりを交互に見やった。
「それに……情報量っていうか、密度が濃すぎて……一般的な常識に、照らし合わせるような話じゃないっていうか……夜桜ルナと同棲して、最推しの中の人と知り合うだなんて……テルくん、一体前世でどれだけの徳を積んできたの?」
「誕生日のときは、むしろどんな悪徳を積んできたんだろうって絶望してましたけどね」
「それも、ふたりに出会うための試練だったんじゃない?」
「うーん……」
そうですね、と素直になれないからこそ、そんな試練は受けたくなかった、なんてことは照れ隠しでも言えないから悩ましい。
ユエさんにしても、サチさんにしても、どちらか一方と関われるだけでも、普通なら奇跡のような話だ。札束を差し出してでも、この席を変わりたい人たちはいくらでもいる。
でも、この席を誰かに譲りたいなんて気持ちは湧かなかった。
そのくらいには、今の生活に満足している自分が、たしかにここにいた。




