18 お姉さん、もしかして……
「それ、は……」
後ろめたさから、つい顔を逸らしてしまう。
「こんな特大のブーメラン芸をここでかますなんて。さすがユエちゃん。ナンバーワンに上り詰めただけあって、やっぱり持ってるわね」
自分の二の腕を叩く音に、サチさんの感心が滲んでいた。
けれどカグヤ先輩は、そんなサチさんに一瞥もくれず、ユエさんを真っ直ぐと見据える。
「さっき、ラインの件で『そんなこと一言も言ってない』って、言ってましたよね? なら、テルくんがお世話になってる人がお姉さんで……テルくんがそのヒモになったって、どういうことですか?」
今度はユエさんに、その答えを求めた。
「それにここ、お姉さんの家ですよね? 帰ってきたのに、帽子もサングラスも外さないし……なんか怪しいです!」
そう言って指を突きつけながら、カグヤ先輩は僕の腕に絡みつき、守るように身を寄せてきた
「カグヤ先輩! その……ヒモっていうのは、ユエさんの言葉の綾っていうか、冗談っていうか――」
「いいよ、ツバメくん」
なんとか誤魔化そうと上ずる声を、ユエさんは首を振って制した。
「糾弾するように追求したわたしが、こんなボロを出しちゃったんだもん。それで『なにもない』なんて誤魔化すのは無理があるし……なにより、筋が通らないもんね」
ユエさは自嘲気味に口端を上げると、躊躇うことなくサングラスを外し、帽子を脱いだ。
あっさりと変装を解いたその顔を見て、カグヤ先輩はハッとしたように息を呑む。
「わっ……すっごい美人」
不審への警戒も忘れ、しばらく見惚れていたカグヤ先輩は、おずおずと尋ねた。
「お姉さん、もしかして……芸能人の方ですか?」
ユエさんは、コントのように大げさにガックリと肩を落とした。きっと立っていたら、ズッコケていたに違いない。
それにサチさんが笑いを堪えるように、膝を何度も叩いている。
「名刺代わりにご尊顔を晒したのに、気づいてもらえなかったってどんな気持ち?」
「当たり前のように顔が知られていると驕っていた自分が、ただただ恥ずかしいです……。さっちゃんの正体くらい、びっくりされると思ってたんだけどな……」
顔から火が出そうなのか、ユエさんは両手で顔を覆ってしまった。
「えっ、えっ……お姉さん、そんなに有名な人なんですか?」
「これでも元・ナンバーワンアイドルです……」
日頃、あれだけ自慢げに主張する肩書きを、ユエさんは恥ずかしそうに言った。
「ナンバーワン……アイドル?」
カグヤ先輩は考え込むようにその言葉を繰り返す。たっぷり十秒の沈黙の後、ようやく思い至ったように叫んだ。
「あ、十億円事件の!」
「そうです……わたしが十億円事件の夜桜ルナです」
ユエさんはすっかり自信を失った声で、まるで自供するかのように白状した。
それに罪悪感を覚えたのか、カグヤ先輩がわざとらしい声を上げる。
「お、驚いたなー。お姉さん、夜桜ルナだったんですね」
「いいよ。顔も知らない元アイドル相手に、無理して驚かなくて……」
「し、知ってます知ってます! 言われてみれば、あの夜桜ルナだって!」
「言われてようやく気づくレベルなんだ……。わたしの普段の変装って、なんだったんだろう。自意識過剰でごめんね?」
「うぅ……わたし、テレビはアニメしか見ないんで……。芸能人の顔は覚えられないっていうか……こう、前はロングだったじゃないですか? ばっさり髪を切られたら、印象が変わりすぎて気づけませんでした……」
申し訳無さそうに顔を伏せながら、どこか言い訳がましく話すカグヤ先輩。
その中の一言に引っかかり、つい目を丸くしてしまう。
「ユエさん、前はロングだったんですか?」
「そうだよー。辞めた後、ばっさり切ったんだよ? 十億円当てたときの切り抜きを見たはずのツバメくんは、なんで今まで知らなかったのかなー?」
「すみません……お名前以外、覚えられなくて」
「素直に言ったらどう? わたしなんかに、興味なんてなかったからって」
「い、今はありますよ? こう、毎日ユエさんのことを考えてますし」
「わー、嬉しいー!」
投げやり気味に言い放すと、ユエさんは酎ハイを一気飲みした。缶を軽く振って中身が空なのを確認し、そのまま立ち上がる。
「ゆ、ユエさん……!」
「なに!?」
「今日のところは……もう、そのくらいにしたほうが……。ほら、お店でも結構飲んでましたし……」
「なんだってー? 聞こえなーい」
「なんでもないです、はい……」
畏まりながらそう答えると、僕はユエさんの背中をそっと見送った。
ナンバーワンアイドルだった彼女のプライドを、僕とカグヤ先輩のふたりで粉々にしてしまった責任を感じながら。酎ハイを片手に戻ってきたユエさんを、僕たちは正座姿で出迎えた。
「どうぞー、カグヤちゃん。なんでも答えるから、なんでも質問して」
「は、はい……」
問い詰める側だったはずのカグヤ先輩が、すっかり萎縮した様子で小さく手を上げる。
「なんでテルくんが、あの夜桜ルナのヒモになってるんですか?」
「そんな無理して、あの、なんて付けなくていいのに。ツバメくんはね、道端の段ボール箱に子猫と一緒に捨てられてたから、拾ったの」
「そういう茶化す……場を和ますような冗談じゃなくて、真実を教えていただきたいです」
「わたし、嘘なんてついてないよ。ね、ツバメくん?」
視線もよこさずお酒をあおるユエさんに、僕は「はい」と頷いて、カグヤ先輩を向き直った。
「冗談みたいな話ですけど、ユエさんが言ったことは、誇張でもなんでもない、本当の話なんです」
「テルくん……本当に、なにがあったの?」
カグヤ先輩が困惑気味に問いかけてくる。
僕がお伺いを立てるように見やると、ユエさんは拗ねたように頷くだけで、口を開く気配はなかった。
このユエさんを明日に持ち越すのだけは避けたい。いっそ、このまま飲ませるだけ飲ませて、記憶を飛ばしてくれたほうが都合がいいかもしれない――そんなことを考えながら、僕はユエさんに拾われてヒモになった経緯を、できるだけ簡潔にカグヤ先輩へと説明した。
「そっかー……そんな流れで、あの夜桜ルナと……」
カグヤ先輩は感慨深げに顎へ手を添え、ちらりとユエさんを見やる。
先に断っておくと、その視線に批難や軽蔑のような負の類の色はなかった。あくまで、話を聞いている間ずっと僕に向けていた目を、もうひとりの当事者に向けただけのことだった。
「わたしのことは煮るなり焼くなり、警察に訴えるなり、週刊誌に売るなり、SNSで拡散希望するなり、好きにしていいよー! わたしはー、大人なのにー、お金の力で子どもを囲いましたー!」
やけくそ気味に、ユエさんは自らの罪を並び立てた。
「一回あれだけ炎上したんだから、今更好き勝手言われても怖くないしー。ツバメくんの家族に訴えられても、黙らせる示談金くらい払えるしー。子どもと淫行がとか事実無根を騒がれるくらいなら、いっそ真実にしちゃえばいいしー」
「いやいやいやいや。そこは真実にしちゃダメですってば……!」
「なに!? ツバメくんはわたしとエッチしたくないの!? この身体を好きにしていいって言ってるのに、女に恥を掻かせる気!? そんな酷い子に育てた覚えはありません!」
「助けてサチさん……!」
どうようもない酔っ払い相手に、先程借りを作ったばかりのサチさんへ、助けを求めずにはいられなかった。
見世物のように楽しんでいたサチさんは、肩を揺らして「しょうがないわねー」と小さく笑った。
「ほーら、ユエちゃん。メンツが潰れてやけになりたい気持ちはわかるけど、お酒の勢いに任せて好き勝手やると、後で後悔するわよ。私もそうやって、沢山の後悔を重ねてきたんだから」
「だってさー……あんな形で辞めちゃったけど、夜桜ルナはわたしの人生というか、誇りというか……若い子たちの憧れの象徴のつもりだったのに。あの天河ヒメと肩を並べるところまで、上り詰めたつもりだったのに……言うほどでもなかったんだぞって突きつけられたようで……辛い」
「同じナンバーワンアイドルでも、今は誰もがテレビを見ていた時代とは違うのよ。オタク系ふたりに顔を知られてなかったくらいで、ユエちゃんが築いてきたものの価値は揺るがないわよ」
「……ほんと?」
「だってほら、今のアイドルに興味ない私が、すぐに気づいたじゃない」
「そうだ……さっちゃん、わたしに気づいてくれたんだった」
「このオタク系ふたりにはピンと来なかっただけで、私にとってはちゃんと、あの夜桜ルナだったもの」
「さっちゃん、大好きー!」
「私も大好きよー」
ユエさんはサチさんの腕に抱きつき、「やっぱりさっちゃんしか勝たん」と、似合わないギャル語を上げる。それを横目に、サチさんは『どう、こんなもんよ』と得意げな顔をしていた。
やはりこの人だけは、敵に回してはいけないと改めて痛感する。




