17 残った事実
「どうする、ツバメくん? それでもあれはパパ活だと一縷の望みを託して、従兄弟相手に腕を組むのはいくらなんでも仲良しすぎはしませんか? って追求する?」
「ただの誤解だったで、終わりでいいです」
望みを託すもなにもないので、そこまでの追求はもういい。
問題だったのは、カグヤ先輩が大人とホテルに入ったという、その一点の事実である。
カグヤ先輩は元々、心を許した相手へのパーソナルスペースが狭い人だ。相手が歳の離れた従兄弟なら、子どもの頃からの付き合いもあるだろう。カグヤ先輩からじゃれつくように腕を組んだとしても、不思議ではない。なにせ、僕と写真を撮るときですら、そうやって抱きつくようにくっついくる人だ。
今回のア◯ホテルも、仕事や遊びでやってきた従兄弟さんが泊まるためだけに、予約されたものだろう。駅で待ち合わせてチェックインを済ませ、荷物を置いてから食事なり遊びなり、あるいは従姉妹のお姉ちゃんと合流して、一日を過ごしたに違いない。当然、池袋に住んでるカグヤ先輩は、その日の内に帰宅した。
と、パパ活という固定概念から解き放たれた途端、納得できるシナリオが自然と脳内に描かれた。むしろ僕の知るカグヤ先輩なら、こうでなければおかしい。
そもそもおかしいと言えば、目撃したときの僕の精神状態だったのかもしれない。朝からひじりんが世界の真実に目覚め、その後には刺された店長を目撃した。
そんな警察署帰りの後の一幕だったから、すべてを悪いほうへと捉えてしまい、パパ活だと誤認してしまった。しかもその後はあの災害である。不幸と不幸の間に挟まれたア◯ホテルが、パパ活の誤解をより強固なものとした。
なんにせよ、すべては誤解だった。
「でも、そっか……パパ活してるカグヤ先輩なんて、どこにもいなかったんだ。よかったよかった」
「……わたしは、なにもよくないよ?」
「え?」
顔を上げると、そこには悲しそうに涙ぐむカグヤ先輩の顔があった。
「ここ一ヶ月、元気なくて、なんか素っ気なかったのって……火事のことでも、ひじりんのことでもなくて、そういうことだったの……?」
「そ、それは……」
「お世話になってる人が、その企業の国をよく思っていないからラインを入れづらいって……なんかおかしいって、思ってたんだ……」
「わたし、そんなこと一言も言ってないよー」
容赦なく僕の背中を刺してから、ユエさんはお酒を取りに立った。
「そっかー……そうやって、わたしを避けてたんだ。テルくん……わたしが大人とア◯ホテルに入っただけで、パパ活だって……思ったんだ。そういうことする女だって、思ったんだ……」
「え!? いや、その……」
「……うぅうううう、酷いよぉ!」
カグヤ先輩は卓上に突っ伏して、唸るように泣き出してしまった。
「泣ーかした、泣ーかした。せーんせーに言ってやろー」
戻ってきたユエさんは、手拍子を打ちながら小学生みたいに囃し立てる。
文句のひとつも言いたいところだが、今はそれどころではない。なにより、すべては自分の不徳が招いたことだ。
なんの非もないカグヤ先輩を、大人とア◯ホテルに入ったという事実だけで判断し、今日まで避けるような態度を取ってしまった。
全面的に僕が悪い。だからこそ、誰にも文句をつけられる立場ではない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。今回のことは、全部僕が悪かったです!」
とはいえ、この場を綺麗に収めるような口八丁も持ち合わせていない。だから僕にできるのは、ただただ謝り倒すことだけだった。
しかし、カグヤ先輩は怒っているのではない。悲しんでいるからこそ、高ぶった感情はそう簡単には収まらないのだ。
誰か助けてくれ!
祈ったそのとき。
「しょうがないわね。ひとつ貸しよ、ツバメくん」
神様、仏様――そして、ひじりん様。
この場を収めることなど造作もないと、サチさんが得意げな顔をした。
「ショックなのはわかるけどね。やっぱり、誤解されるような真似をしたカグヤちゃんにも、問題があると思うわよ」
「わたしに……問題?」
そんなものがこの世にあるのだろうか、という声でカグヤ先輩は顔を上げた。
「本人は従兄弟のお兄ちゃんとじゃれてるだけかもしれないけど、事情を知らない人が見たら、パパ活だって誤解するわよ。仮にも専属モデルなんでしょ? 顔を売る商売の子がいらぬ誤解を振りまけば、会社側にも迷惑がかかるのよ。もしそうやって炎上したとき、『自分は悪くない。勝手な誤解をした奴らが悪い!』って、会社に説明するつもり?」
「それは……うぅ」
大人から論理で詰められ、カグヤ先輩が怯んだ。
さすがトップVチューバー。喋ることを仕事にしているだけある。一度喋らせば、子どもを言い含めるなど造作もない。
「そうかも、しれませんけど……でも! それとこれとは、話は別なんです!」
「別って?」
「他人からそう見られるのは仕方ないとしても、テルくんは一番のお友達なんですよ? 話も聞かずに、最初からパパ活だって決めつけられるのは、やっぱりショックじゃないですか!」
「これはまた、芸術点の高いブーメラン芸ね。ついさっき、私たちを見てなんて言ったか、もうお忘れかしら?」
「あれは、その……そう――」
「へー、ママ活なんて後ろめたいことをしてる大人が、路上で、それも抜き身のお金でやり取りしてたと思ったのね」
「うっ!」
反論の余地を先回りで潰され、カグヤ先輩は呻いた。
あれは誰がどう見てもママ活だと思っても無理はない。直接的な金銭のやり取りという意味では、ア◯ホテルへの入場なんかとは比にならない生々しさがある。それを真っ向から叩き伏せるサチさんの強かさは、まさに歴戦の猛者。スラム生まれの強みを、存分に発揮していた。
頼りになるときと、他人事のように囃し立て来るときの落差。これほど激しい大人はそうはいない。
このサチさんを前に、カグヤ先輩に勝ち筋は残されていないだろう。
「でもでもでもでもでもでもでもでも! そこは誤解かもしれないって、思ってほしかった……! 釈明する前から、見たものだけで決めつけないでほしかった……女として、そこはとても辛いです……!」
「女として、ね……」
形振り構わずに性別を盾にするような言葉に、サチさんは深いため息をついた。
さすがにこれ以上は詰めきれないと思いきや、そんなことはなかった。
「だったら『おうちデートの誤配信』で、ショックを受けなかったものだけがツバメくんに石を投げなさい」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 誤解されるような真似をしたわたしが全部悪かったです!」
堰を切ったように謝り倒してくるカグヤ先輩に、サチさんが『どう、こんなもんよ』とばかりにこちらを見てきた。
サチさんと論破バトルだけは絶対にしない。
それを誓った瞬間だった。
「悪かったから……わたしが全部悪かったから、友達止めないでー! わたしにはテルくんしかいないのー! お願い、わたしを捨てないでー……!」
「止めません! 止めませんから落ち着いて、カグヤ先輩!」
完膚なきまでに叩きのめされたカグヤ先輩は、僕の腕に縋り付いてきた。
元をたどれば、ア◯ホテルに入ったというだけで誤解した僕が一番悪い。すべての罪を背負うように謝られるのは、申し訳なさを通り越して、罪悪感が胸に刺さった。
「これで、今度こそめでたしめでたし。上手く収まったわね」
「ありがとうございます。ほんと助かりました」
「カグヤちゃんのこと、誤解でよかったわね」
「ええ。あの不幸な誕生日以降、一番ホッとしました。今後、思い込みだけは気をつけます」
カグヤ先輩をなだめながら、サチさんとそんな反省会をしていると――
「あー、でもあれだよね」
ユエさんがふと思い出したように口を開いた。
「ツバメくんの不幸な誕生日だけどさ。さっちゃんは世界の真実に目覚めてなかったでしょ。切腹した店長から給料は支払われるでしょ。そしてカグヤちゃんのパパ活はただの誤解だったでしょ……」
僕の不幸を清算していくように、ユエさんは指を折って数えていく。
「こうして考えると、家が焼けた先で、わたしという『大人のお姉さんのヒモになった』、って事実だけが残ったよね。ヤバイね」
「あぁ……あああ……!」
この事実こそが一番の不幸だというように、腹の底からうめき声が溢れ出す。
頭痛が痛い。
まさにひと粒で二度痛かった。
ユエさんとサチさんは、それが傑作だったように手を叩いて、ゲラゲラと笑い出したが――
「……大人のお姉さんの、ヒモになった?」
なにも知らないカグヤ先輩が、ピタリと泣き止み、こちらを見上げてきた。
「どういうこと、テルくん?」




