14 きっと私たちのことを祝福してくださいます
話し合いの場は、ユエさんの家に移された。
移動はタクシーを使ったのだが、その間、カグヤ先輩は終始無言。僕の腕に抱きつくように、ぴったりと身を寄せてきた。
大人たちへの反発心や対抗心からではない。一体、自分がどこへ連れて行かれているのか。その不安と焦燥から、心の拠り所を求めているのだ。
その様子を、ユエさんとサチさんはニマニマと眺めてくるものだから、僕の心中もまた穏やかではなかった。ふたりの腹の中が読めない、得体の知れない不安が、それをさらに増長させる。
「ささ、どうぞどうぞ」
玄関を開けそう招き入れるユエさんに、カグヤ先輩はごくりと喉を鳴らす。ここまで来たらもう引き返せないと覚悟を決めたのか、お化け屋敷に身を投じるように、そっと足を踏み入れる。
「さっちゃーん、なに飲むー?」
「ビールはまだあるー?」
「あるー」
「じゃあ、それでー」
「わたしはー……グレープフルーツにしーよう」
帰宅して早々、お酒の算段を始める大人たち。こうして不安に駆られている僕たちを、酒の肴にする気満々なその姿は、ろくでもない大人そのものである。
申し訳程度のおもてなしとして、ペットボトルのお茶が出されたが、カグヤ先輩は手を付けようとする素振りすらない。なにか入っているのではないかと疑うような、警戒の眼差しだけをちらりと向けるだけだった。
こうして僕たちはローテーブルを挟んで子どもと大人に分かれて、向かい合うことになった。
「それじゃ、約束通りわたしたちの関係について、説明を……始める前に――」
ぷしゅっとビールを開けたサチさんの横で、ユエさんが口火を切った。
「ねえ、カグヤちゃん」
「……な、なんですか?」
「ママ活って、やっぱりいけないことだと思う?」
「あ、当たり前です!」
「なんでー? 別に誰かに迷惑かけてるわけじゃないし。普通に働くより、効率よくない? 大なり小なり、悪いことなんてみんなやってることなんだしさ。『ママ活なんてしちゃダメだよ!』なんて綺麗事を押し付けるのは簡単だけど、じゃああなたは、ツバメくんのためにどれだけのことをしてあげられるの?」
「なにって……それは……」
現実的な話を突きつけられたカグヤ先輩は、怯むように肩をすくめた。
ユエさんはまるで商品でも紹介するように、両手をサチさんへ向けた。
「見てよ。こんな綺麗でおっぱい大きいお姉さんと、楽しいお話して、美味しいご飯を食べて、気持ちいいことができるんだよ? ツバメくんがお金のために、我慢してやってるとでも思う?」
「むしろ普通、私がお金を貰える立場だからね」
サチさんは同調するように、自慢げに言った。
たしかに会話のキャッチボールを一往復するためだけに、サチさんに一万円を差し出すものが後を絶たない。そう思えば、サチさんとの会話で浮いたお金が現金化されていたなら、僕は今頃、億万長者だ。
「ツバメくんは男だから妊娠のリスクもないしさ。法律と道徳にだけ目を瞑れば、本人にとっていいこと尽くめじゃない?」
「たしかに……そうかも、しれませんけど……」
カグヤ先輩は俯いたまま、膝のスカートをギュッと掴む。
「パパ活とか、ママ活とかって、みんな悪いことだとわかってて……色んな理由があってやってて……そこに外野が口を挟むのは、ただの余計なお世話だって、わかりますけど……」
それは、なにも言い返せない自分への苛立ちではなかった。
「それでも、大切な友達が間違った道に進んでるのを、仕方のないことだって諦めることは、したくありません……!」
わかっていて、それでも譲れない。そんな真っ直ぐな意志が、カグヤ先輩の言葉に込められていた。
ユエさんが、どこか面白くなそうに目を細める。
「でもそれって、自分が嫌だ嫌だってだけの、ただの感情論だよね?」
「そうです。テルくんにそういうことをしてほしくない――そんな、ただの我が儘です! 一番の友達だからこそ、そこは諦めたくないし、譲りたくないんです!」
カグヤ先輩は一切怯まず、自ら口にした我が儘を押し通すように、真っ直ぐ言い切った。
「主人公だ……主人公がここにおる……」
場違いな感動を滲ませながら、サチさんが拍手を送る。
「しょうがないわね……そこまで言われたら、私も潔くツバメくんから手を引くわ」
「さっちゃん。これはそういうお話じゃありません」
「あ、そうだった」
ユエさんにたしなめられ、サチさんは我に返ったように言った。
こほんと咳払いをひとつして仕切り直すと、ユエさんが卓上で両手を組み、口元を隠すように構える。
「実はね、カグヤちゃん。このふたりを結んでいるのは、ママ活なんてあさましく卑しいお金のやり取りじゃないの」
「じゃあ、なにで結ばれてるって言うんですか?」
「それはね、愛だよ」
「……愛?」
まるで聞き慣れない単語でも耳にしたように、カグヤ先輩が怪訝そうに首を傾げた。
「そう、ふたりは深い男女の愛で結ばれているんだよ」
「はい、私は若井燕大くんを、深く愛しております」
「うっ……」
サチさんがここぞとばかりに、ひじりんの声音と口調を扱うものだから、心が揺さぶられ、頬が一気に熱くなる。それを見られたくなくて、大人たちから思わず顔を背けた。
「そうなの、テルくん……?」
期せずして、カグヤ先輩からも顔を背ける形になってしまった。
「愛……か。愛があるなら……」
僕の態度が、変な確信を与えてしまったのか。カグヤ先輩は思い悩むようなうめき声を上げながら、両手をゆっくりと上げた。
お手上げ――ではなかった。
その手は大きな丸を作る。まるで、ふたりの愛を祝福するかのように。
「いや、でもやっぱり……!」
それがすぐに、三角に変わった。
「テルくんのご家族が交際を許すなら、わたしも許せます」
「燕大くんのご家族には、私たちの関係をお知らせしてはおりません」
「なら!」
サチさんの返答を受けて、カグヤ先輩は頭上でバツを作る。
「テルくんの気持ちは本物だったとしても……あなたがどこまで本気でテルくんのことを考えているのか、わたしにはわかりません。だからこそ、テルくんのご家族にお付き合いしていることを報告して、遊びじゃないって伝えること。それが大人として、通すべき筋だと思います!」
「……それはできません」
「なんで!?」
「私にも、社会的立場というものがありますから。訴えられるかも知れないリスクは負えません」
「だったら、テルくんが十八歳になるまで、あなたは待つべきでした!」
「それもできません」
「なんで!?」
「食べ頃の時期を逃すなんて……そんなもったいないこと。私には……!」
「食べ頃!? やっぱり、テルくんの身体目的だったんですね!」
「それはそれ、これはこれです。愛しているがゆえに、求めずにはいられないものがある。子どもにはまだわからない、受け入れがたいことかもしれませんが……カグヤちゃん。いつかあなたにも、それがわかる日が来るはずです」
まるで説法でもするかのように、サチさんは穏やかな微笑みを浮かべて言い切った。
「なにより、一番許しを得るべき御方は、きっと私たちのことを祝福してくださいますよ」
「誰ですか、その御方って?」
「神です」
「神っ!?」
「そう。だから私たちの愛を否定するのは、すなわち神のご意思に背くこと。私たちを引き裂こうとするものには、必ず天罰が下るでしょう。ならば、神の祝福以上に必要な許しなんて、一体この世のどこにあるというのでしょうか?」
「テルくん……ダメ。この人はダメ……ヤバイって」
胸元で祈るように手を組むサチさんに、カグヤ先輩は震えながら僕の腕を掴み、揺すってくる。ヤバイもの前にして怯えるその目は、ここから逃げようと訴えかけてきた。




