13 もしかしなくても修羅場
ママ活。カグヤ先輩の口からはっきりと、その言葉が飛び出した。
意味はわかる。でも、なにを思ってその言葉を口にしたのか、察しがつかなかった。
重たい沈黙の中、僕は手にしたお金の感触を、ふいに思い出す。
「え、いや……これは」
目の端で、サチさんを見る。
「……ちゃうねん」
あの日、カグヤ先輩が漏らした関西弁が、僕の口に乗り移った
疚しさのないはずのお金を、思わず後ろ手に隠してしまう。それが悪手だとわかっていれば、そもそも関西弁なんて出るはずもなく。パニック寸前で、冷静ではいられなかった。
誤解であってほしい。
そう願っていた瞳が、やがて確信を帯びるように細められていく。そうして歩み寄ってきたカグヤ先輩が、そっと僕の手を取ると、両手で包みこんだ。
「ダメだよ! テルくん!」
潤んだ目で、強い気持ちを込めるように訴えかけてくる。
「お家があんなことになっちゃって、大変かもしれないけど……それでも、こんなことしちゃダメ! テルくんがこんなことしてるって知ったら、お婆ちゃんたち、悲しむよ……?」
「か、カグヤ先輩、これは誤解――」
「遊びのつもりじゃないのは、わかってるから。生活に困って、仕方なくやってるんだよね……? 今まで気づいてあげられないで……ごめんね」
僕の声など聞こえていないかのように、カグヤ先輩は後悔の念を吐き出すように続けた。
「相談だったら、いくらでも乗るから……頼りないかもしれないけど、テルくんの力になるから……!」
「いや、だからこれは、そういうわけじゃなくて……」
「だからもう、こんなことはこれっきりにしよう? 間違ってることは、やっぱり間違ってるから……ね? お願い」
カグヤ先輩の涙が頬を伝う。
掴んだその手を、拝むように持ち上げる。まるで想いが通じるのを願う、祈りのような姿だった。
誤解を解く云々の前に、どうすれば聞く耳を持ってくれるのだろうか。
そうやって狼狽えることしかできずにいると、
「ツバメくん、私たちが初めてあったときのこと、覚えてる?」
横から、サチさんの声が差し込んだ。
「え、ええ……それは、もちろん」
「じゃあ、耳を傾けるべき相手はちゃんと選びなさいって言ったあと、なんて続けたか覚えてる?」
もちろん、覚えている。
一字一句、胸に刻んでいる。
『たとえば、『それは間違ってる』って、本気で心配して、君の気持ちに寄り添いながら手を差し伸べてくれる人が現れたとき。そこで罪悪感や葛藤を抱くようなら、それが悪いことを卒業するタイミングよ』
うん、と頷くと、サチさんもまた満足げに頷いて、
「まさかあの言葉、こんな形で返ってくるなんてね。うけるわねー」
「うけてる場合ですか!?」
他人事のように、ケラケラと笑い始めた。
ママ活だと勘違いされている状況で、なぜここまで楽しそうでいられるのか。もしかして、これを配信のネタにしようとしてるのではないか、という疑念すら浮かぶ。
「お願いだから……テルくん」
「か、カグヤ先輩……えっと、その……」
とうとう嗚咽まで漏れ始めたカグヤ先輩を前にして、僕は狼狽えることしかできなかった。
サチさんは、まるで頼りにならない。
――誰か……誰か助けてくれ……!
「お待たせー」
その願いが届いたのか、ユエさんが合流した。
「あ、ユエさん! 助けて!」
「えっ、助けて?」
いきなり助けを求められ、ユエさんはきょとんと目を丸くする。
彷徨わせた視線はカグヤ先輩を定め、「んー?」と細められた目が、次の瞬間「あっ!」と見開かれた。
「その子、例の先輩ちゃん?」
僕は力なく頷きながら、鋭い洞察力を肯定した。
ユエさんはしばし顎に手を添え、状況を把握するため沈黙し――十秒ほどして、ポンと手を打った。
「あ、もしかして修羅場!?」
「なんでそんなに嬉しそうなんですか……」
助けを求めたつもりが、頼りにならない大人がまたひとり、増えただけだった。
僕は力なく肩を落としながら、誰か助けてくれ、と空を仰いだ。
「あれ……この人は?」
少しは落ち着きを取り戻したのか、カグヤ先輩はユエさんの存在に気づいた。
「えっと、こちらは――」
と、学校向けの説明をしようとしたところ、ユエさんが手のひらを軽く上げて制した。
「ツバメくんの先輩で、お友達のカグヤちゃん……だよね?」
「……ツバメくん?」
「あー、わたしが付けた、この子のあだ名」
「あ、テルくんのテルは……」
「そうそう。だからツバメくん」
「それは、わかりましたけど……えっと、お姉さんは?」
「そのことも含めてちゃんと説明するからさ。この後、少し時間あるかな?」
「それ、は……」
ユエさんは穏やかに語りかけているのに、カグヤ先輩は不安そうに僕の顔を伺った。
その気持ちはわからないでもない。何しろ現在のユエさんはお忍び姿。キャップを深く被り、サングラスで顔立ちを隠している。怪しいか怪しくないかで言えば、疑わしさに傾くのも無理はなかった。
「それとも……このままもやもやした気持ちのまま、お家に帰る? それならわたしたちも、このままツバメくんを連れて帰るけど?」
そんな怪しげな人が、挑発的に口端を吊り上げてそんなことを言うのだ。
「行きます……! 話、聞きますから!」
見た目はギャルザベス、心は陰キャを自称するカグヤ先輩でも、その挑発には火花が散ったらしい。僕の片腕を両手でしっかり掴むその姿は、まるで僕を渡さないと示すような、決意表明にすら見えた。
そして大人ふたりは、そんな僕たちを無言で囃し立てるように、にまにまと観察している。そのままユエさんがサチさんに顔を寄せ、ひそひそと囁いた。
「ほら……ここらで……させたくない?」
「あー、したいしたい。――じゃあ、このまま先輩ちゃんを、人気のない場所に連れ込みますかー」
「おー!」
なにやら悪乗りしたサチさんが、不穏なワードをさらりと口にした。
「テルくん……」
それをきちんと耳にしていたカグヤ先輩が、不安そうな涙目で僕を見つめていた。
大丈夫ですよ、なにも心配ありませんよ――とは、口が裂けても言えなかった。なぜなら僕も、不安で胸がいっぱいだからだ。
学校向けの説明をしたら、それで済んだ話なのに……。
ユエさんは一体、なにを考えているんだ?




