12 立派な大人のお姉さんです
今日、二回目の更新です。
「かんぱーい!」
サチさんの音頭に合わせて、僕らはグラスを交わした。
隣のユエさんは二度、喉を鳴らすだけなのに対し、正面のサチさんはぐびぐびと豪快にあおる。ジョッキがテーブルに戻る頃には、すでに中身が半分以下になっていた。
「改めて、今日はありがとね。これで心機一転、憂いなく活動再開できるわ」
「聖徒としては、そこに貢献できてなによりです」
「こっちこそ、二日続けてご馳走になっちゃって。ありがとう、さっちゃん」
掃除のお礼ということで、二日連続サチさんからご馳走になることになった僕たち。
昨日あれだけのご馳走を頂いたのだ。ファミレスとかで十分だと告げたのだが、「今日はお寿司の気分だから」とサチさんが譲らなかった。
「懐に優しいチェーン店だから。遠慮なんていらないわ」
そう言って連れて来られたのは、名物社長が両手を広げているポーズで有名なお寿司屋だった。
「とりあえずセットを頼んで、足りなかったら追加注文しましょう。――ユエちゃんは生でいい? ツバメくんは?」
サチさんがタブレットで注文する中、僕はなんとなくメニュー表を眺めていた。
「あ、ほんとに懐に優しい」
仮にも回らない寿司屋だから、もっとお高いのかと思っていたら、地元で人気の回転寿司よりも全体的に安かった。
そう和んだのも束の間――
「うにが一貫……千円?」
それが一貫の値段と気づき、思わず声が出た。
それにサチさんが「なに、うに好きなの?」と聞き、答えを待つこともなく六貫も注文に入れていた。
それだけで頼んだセットの、三分の二近いお値段だった。庶民派の高校生としては、ただただ畏まるばかりである。
こうしてまずはドリンクが来て、乾杯に至ったわけだ。
「それに、ツバメくんもよかったね」
ユエさんが頬を緩めながら、こちらを向いた。
「店長さんの件、事件性とかなくて」
「まさかあれが、ただの切腹だったなんてね」
「切腹って、サチさん」
その言い回しが妙におかしくて、僕とユエさんは思わず笑い声を弾ませた。
さすが喋りを売りにしている商売だ。言葉のチョイスが絶妙である。
どうあれ腹部に包丁が刺さって人が運ばれたのだ。人によっては不謹慎だと目くじらを立てたくなるかもしれないが、第一発見者の僕が「よかったよかった」と、こうして笑っているのだ。そこは許してほしい。
サチさんが切腹と表現した通り、店長は自分でお腹を刺していた。
嘆きたくなるような不幸があって、世を儚んだわけではない。包丁を手にしたままホールに出たとき、手が滑ったらしい。
逆手で包丁をキャッチしたと思えば、今度は足を滑らせて――そのまま、グサリ。それを僕が発見したという流れだった。
そして、連絡のつかなかった尚子さんについても、蓋を開けてみればなんてことはない。単にシフトを勘違いして、出勤していなかっただけだった。
前夜、大学のサークルの飲み会で記憶をなくすほど飲んでいしまい、そのツケでダウンしていたらしい。
これが、あの事故の全容である。
次の日には、お店のライングループで一部始終が共有されていたらしい。
店長が退院して、渡せなかった給料について連絡していたとき、初めて僕があの日以来、グループラインで未読スルーを続けていたことに気づいたそうだ。
なぜそんなことになったのか?
カグヤ先輩とやり取りを控えたくて、スマホにラインを入れていないのだ。
カグヤ先輩には言い訳として、「今お世話になっている家の人が、その企業の国をよく思っていないから」と押し通している。
まさか、その弊害がこんな形で出るとは。
世の中、どこでなにが繋がっているか、わからないものだ。
「それで、お店はどうなるの?」
ユエさんがビールで喉を鳴らすと、尋ねてきた。
「退院はしたけど、まだ身体が本調子じゃないから。来月には再開する予定だって」
「へー。だったらツバメくん、そこのバイトはどうするの?」
「新しいバイトが決まってないなら、続けてほしいとは言われましたけど……ほら、今はユエさんのお世話になってるから」
僕は烏龍茶で一口飲んでから、続きを口にした。
「あの災害で家が焼けたことと、お世話になれる先が見つかったこと。学校にした同じ説明をして、続けるのは難しいと断りました」
「気にしないで続けてもいいのに。うちを出た後、また新しいバイト先探すのも面倒でしょ?」
「それもそうなんですけど……次の引っ越し先がどこになるか、まだわかりませんから」
僕は眉根を下げながら苦笑した。
「ここからだったら、駅から駅まで十分かかりませんけど。引っ越し先によっては二十分、三十分かかって、乗り換えの必要も出てくるかもしれませんし」
「あー、利便性の問題かー」
「同じ利便性なら、優先すべきは通学ですから。それにバイト先は、もう都心にこだわらなくてもいいかなって。ずっと考えてたんです」
元々、都会への憧れもあって、池袋に限定してアルバイト先を探した。
買い物に困らないからと一年近く通ったが、色んな店に足を運んだのは最初だけで、すぐに寄り道せず真っ直ぐ帰るようになっていた。
「新しい引っ越し先が近いようなら、お世話になりたい気持ちはあるとだけ伝えました。それなら仕方ないなって言ってくれて、とりあえず給料は、色つけて振り込んでもらえるって話になりました」
「ツバメくん、命の恩人だもんね」
「何事……は、あったけど、最後はこうして笑って終われてよかったです」
そこは心からホッとした。
バイト先の人たちは、みんないい人たちだった。初めて選んだバイトを、暗い影を落とすことなく卒業できたのは嬉しかった。
「でも、ツバメくんの引っ越しかー」
サチさんがどこか惜しむように声を出した。
「そうなったら、もう気軽に美味しいご飯を食べれなくなるのねー」
「そのときまでは、張り切って振る舞わせていただきますよ」
「ねえ、ツバメくん。もうこのまま、ユエちゃんの家に落ち着いてくれない?」
「落ち着いてくれないって……」
とんでもない無茶振りをされ、僕は戸惑いながら顔を引きつらせた。
「ユエちゃんのような美人さんのお世話をできるって、ある意味幸せ者よ? 家の環境だって高水準なんだし。ツバメくんも、今の生活が続けられるのは満更でもないでしょ?」
「そりゃ……いい暮らしはさせてもらってますけど。さすがにいつまでも、このままってわけには……」
「ユエちゃんだって、ツバメくんにはいつまでもいてくれたほうが嬉しいでしょ?」
サチさんは援軍を求めるようにユエさんへと水を向けた。
「そうだね。ツバメくんをこのまま手放すのは惜しいね。このままずっと、お家で飼っておきたい」
「でしょー? ほら、ユエちゃんもこう言って――」
「でも、ツバメくんの将来を考えるなら、さすがにそういうわけにはいかないから」
「え?」
急にハシゴを外されたように目を丸くするサチさん。僕もこれには、不意を突かれて目を丸めた。
ユエさんは名残惜しそうに微笑んだ。
「どんな事情であれ、ツバメくんは家族を騙す形で、こうして暮らしてるからさ。その後ろめたさはきっとあるだろうし、だからこそ、それに慣れるような真似はさせられないよ」
「ユエさん……」
いつも男心をからかいながら、ときには子供っぽい態度で僕を振り回してくる。
そんな人が、突然大人の顔を覗かせてこんなことを言うものだから、不意を突かれたように、胸の奥がジンと熱くなった。
お金を出してやってると、明確な上下関係を求めてくるわけではない。
僕を使い勝手のいい、便利なペットのように扱ってくるわけでもない。
そんな人じゃないとわかっていたけれど。
今の生活がどれだけ楽しくて、楽であっても、流されるようにして続けてはいけない。それは僕のためにならないから。
そう考えていてくれたことが、言葉にならないほど嬉しかった。
――きっと、ユエさんがこういう人だからこそ。
僕は今の生活が、こんなにも心地良いんだと、改めて自覚した。
「それに、家を出たからといって、それで縁が切れるわけじゃないでしょ」
だよね、と。それを確かめるかのように、ユエさんはこちらに顔を向けた。
「ツバメくんがいいなら、ハウスキーパーとして雇いたいと思ってるから。それだったら後ろめたさもなく、家族にも胸を張れるでしょ?」
「元々、なあなあで引き受けてたって設定ですからね。婆ちゃんたちも、安心してくれますね」
僕らは顔を見合わせながら、同時に頷いた。
それを見ていたサチさんが、どこか微笑ましそうに目を細めた。
「ちゃんとそこまで考えてたなんて、偉いわね、ユエちゃんは。これじゃあ、私ひとりが我侭でダメな大人みたいじゃない」
「なにせ、なんちゃってじゃないからね。なんちゃってじゃ」
これ見よがしに胸を張ったユエさんは、サングラスの隙間からこちらにんまりと見やる。
どうやら昨日、なんちゃって扱いしたことを、まだ根に持っているようだ。
ここは素直に降参しながら、正直な思いを口にした。
「そうですね。ユエさんは立派な、大人のお姉さんです」
◆
美味しいお寿司で舌鼓を打ち、満足した僕らはサチさんにご馳走様を言いながら、お店を出ようとした。そのとき、
「ごめん、ちょっと待ってて」
両手を合わせたユエさんが、引き返すようにトイレへと向かった。
僕とサチさんは出入りの邪魔にならないように外へ出て、店先の道路脇に寄ってユエさんを待っていた。
「今日はご馳走様でした」
「どういたしまして。あんなに嬉しそうに食べられたら、こっちも奢り甲斐があるわ。それはそれとして――はい」
そう言うとサチさんは財布からお札を取り出し、二枚をこちらに差し出してきた。
「えっと……?」
その意図が咄嗟にわからず、僕は戸惑いながらその一万円札を見つめた。
「今日、掃除してくれたお手当です」
「お手当って……いやいや」
僕は慌てて両手を振った。
「二日続けて、あんなにご馳走になったんです! 十分以上に、お礼は頂いてますよ!」
「それとこれとは話が別よ。昨日のお肉は、ツバメくんたちがいなかったら、今頃私は北海道にいたかもしれないってお礼。今日のお寿司は、ユエちゃんへのなあなあでやってく食費分と、私が食べたかっただけ。そしてこれは、今日ツバメくんが頑張ってくれた労働力への対価よ」
「対価って……それこそ、こんなには頂けませんよ」
「高校生の時給的に? でもね、今日ツバメくんにやってもらったこと。業者に頼んだら、これ以上かかるはずよ」
「そう、なんですか……?」
その辺りの相場がわからず、僕は首を傾げた。
「私はね、やるべきことをきちんとこなしてくれた人の労働力を、子供だからって買い叩くつもりはないわ。そしてツバメくんも、これから先のことを考えるなら、自分の労力と時間を安売りしちゃダメよ」
言い含めるように、サチさんは語る。
「世の中はね、経営者からお客様まで、みんなコストを抑えて人を使いたがる。そんな仕事ばっかりよ」
「ブラック企業的な話ですか?」
「ううん、どんな職種でもそうだって話。極端な話、ツバメくんのバイト先だって例外じゃないわ」
「僕のバイト先が……?」
「どれだけ任されることが増えても、バイトの時給なんて、上がってもたかだか知れてるでしょ? 何年尽くしたところで、五百円、千円なんて上がらないわ。だからって正社員なら安心って話でもなくて――要するに、上がり幅が決まってるの」
「決まってる?」
「この仕事ならこのくらいって相場感で決まっちゃうのよ。アルバイトならこのくらい、派遣ならこのくらい、正社員ならこのくらい、高校生なら……ってね」
「ああ、なるほど」
「でもね、そうやって押さえられたコストの恩恵を、消費者側としても受けてるわけだから。私たちの今の生活が、そういった仕組みの上で成立してるのも、また事実なの」
サチさんは皮肉げにそう口にした。
「だからこそ、高校生だからって理由で、自分の仕事を安く見積もるのは止めなさい。立派な仕事をしたなら、それに見合った報酬を受け取るべきよ。
世の中、お金がすべてじゃないけど、お金がなければこの世は地獄よ。今の居場所がどれだけ嫌いでも、お金がなくて逃げられず、我慢している人たちは沢山いるんだから」
それには覚えがあった。
地元から逃げてきた僕だからこそ、お金の大切さ、ありがたさは身に沁みている。
「ユエちゃんがハウスキーパーとして雇いたいと言ったようにね。私も月に一回は来てもらいたいと思ってるの。ほら、業者とはいえ、赤の他人を入れるのは抵抗ある仕事だし。人柄と能力を信用して、毎回、最低でもこれくらいは出すつもりよ」
「これで、最低……?」
見開いた目が、二万円をじっと掴んだ。
「これを貰いすぎだと思うなら、次からは仲のいいお姉さんのお手伝いじゃなくて、れっきとした仕事として引き受けなさい。プロと比べて足りないところを考えて、調べて、吸収して、そして時間を意識するの。そうやって成長していけば、マニュアル通りにバイトしてる子たちとは、また違う世界が見えてくるようになるから」
サチさんは穏やかに笑った。
「私もセインとして活動するようになってから、そうやって成長してきたつもりよ。だから、今日のところは時給二千円に、ちょっと色をつけたお手当ってことで。抜き身で悪いけど、受け取って」
改めてサチさんは、今日の労働分の対価を差し出してきた。
これは、お手伝いのお小遣いなんかではない。今この瞬間だけではなく、僕のこれからを思っての給金だった。
そこまで言ってくれたのだ。今更受け取れないなんて、口が避けても言えない。
「ありがとうございます」
これからの成長を願ってくれた想いと共に、僕はその二万円を受け取った。
「……て、テルくん?」
すると、どこからか僕を呼ぶ声が聞こえた。
声に釣られるように顔を向けると、そこには見覚えのある顔があった。
「……カグヤ、先輩?」
信じられないものを前にしたような表情で、カグヤ先輩が立っていた。
驚愕に見開かれたその視線の先を追うと、僕の手にある二万円。
その視線は、お札と僕とサチさんの間を小刻みに移動して――そして、こう言った。
「もしかして……ママ活?」
二章に入ってからのサチの濃さは、今この瞬間のため。
本来、明日の投稿分を更新しました。
理由は、我ながらいいシーンを書けた満足感です。
なので明日はお休みです。




