25 ハッピーバースデイ
「聞きたいことも話したいことも、いっぱいあるかさ。この後、ファミレスに行かない?」
「ファミレス、ですか?」
「うん、お昼ごはんも兼ねてさ。テルくん、今回大変だったでしょ? だから今日は、わたしが奢っちゃうよ」
こちらの懐事情まで気にして、さらりと誘ってくれるカグヤ先輩。
そのさりげない優しさが、また心にしみる。
「あー、えっと、ですね……」
その優しさが嬉しいのに、素直に受け取れない自分が、またもどかしかった。
「あの火事の後……夏休みまでお世話になれる先が見つかったんです」
「そうそう、そういう話とかもさ、聞きたかったの。その言い方からすると……居候って感じ?」
「そんなところです。その代わりってわけじゃないですけど、家事全般を引き受けることになって」
「テルくんの得意分野だね。腕の見せ所ってやつじゃん」
僕は曖昧に笑いながら、小さく頷いた。
「今日は午前で終わりだから、お昼は作るって約束してて」
嘘だった。
誕生日に残したピザがまだ冷凍庫にあるから、それを食べるねって、ユエさんは言っていた。
「だから、折角のお誘いですけど……」
「そういうことなら、仕方ないね」
カグヤ先輩は残念そうに、眉尻を下げながら言った。
そのまま少しの沈黙が流れ、やがて、ふとカグヤ先輩は顔を上げる。
「ねえテルくん、そのお世話になってる人って……厳しい人だったりするの?」
「えっ、なんでですか?」
どうしてそんな話になるのかと、思わず目を瞬かせた。
「だってテルくん、どう見ても空元気だもん」
「そんな風に見えます?」
「ずっとテルくんのことは見てきたんだよ? そのくらいは……わかるつもりだから」
不安げな瞳が、真っ直ぐと僕を射抜いた。
たしかに今の僕は、きっと空元気に見えるんだろう。言い訳の言葉もぎこちなくて、誘いの断りかたもどこか白々しかったかもしれない。
きっと僕のそんな様子を見て、彼女は勘違いしてしまったのだ。
「だから、帰りたくないのかなって……そう思っちゃってさ」
「い、いや、違います! 居候先には、全然問題なんてありません!」
僕は慌てて、両手を振りながら否定した。
「むしろ、こんな都合よくていいのかなって思うくらい、快適なんですよ」
「本当に? 心配かけないようにって、無理してない?」
「してません、してません。むしろひとりで暮らしてたときよりも、ずっといいもの食べてるくらいですから」
そう言いながら、ポケットからスマホを取り出して見せる。
「それに、もう使ってないからって、スマホまで頂いちゃって」
「わっ、これ、ひとつ前のproモデルじゃん!」
「家ごと焼けた廉価版から、いきなり進化しちゃいました」
「へー、その居候先の人、気前がいい人なんだね」
「ええ。よすぎるくらいなので、せめて自分が任されたことくらいは、責任もってやらないとなって」
「それなら安心かな」
カグヤ先輩はほっとしたように微笑んだ。
けれど、その表情がふと変わる。
「そっか……なら、ひじりんのことか」
空元気の理由を、カグヤ先輩はまた別の角度で勘違いしてきた。
ひじりん。世界の真実に目覚めてしまった、僕の推し。
僕の身に起こった度重なる不幸は、彼女のSNSから始まったといっても過言ではない。
あの朝から、ひじりんがどうなったのか。自分の問題が落ち着いた今も、確認する勇気はなかった。知るのが怖くて、SNSもユーチューブもずっと開かずにいたのだ。
「まぁ……そんなところです」
僕はその場しのぎに、カグヤ先輩の勘違いに乗っかることにした。
「だよね……あれはキツイなんて軽い言葉じゃ済まないよね」
カグヤ先輩はまるで、自分のことのように顔を曇らせる。
「ヒィたんに同じこと起きたら……いと辛しとか言ってる余裕もないし」
「お家デートの炎上のときは、早退したって言ってましたもんね」
「うん。帰ってからずーっと、布団の中で発狂してた」
思い出すだけで胃が痛くなるような顔をするカグヤ先輩。
そのとき、電車が最寄り駅に滑り込む。僕が立ち上がると、カグヤ先輩もついてくる。
「あ、降りる駅は変わらないんだね」
「家が西口側なので、対岸の火事だったようですよ」
僕はこのまま改札を出るが、カグヤ先輩はここで乗り換えだ。でもどこか物足りなそうな顔をして、改札まで並んで歩いてきた。
その歩調がなんだが、名残惜しさを語っているようだった。
「それじゃ、カグヤ先輩。また学校で」
学校で話すことはないとわかっていながら、そんな風に別れの挨拶をした。
「――あっ、そうだ。ちょっと待って、テルくん!」
手を振りかけたカグヤ先輩が、思い出したように慌ててカバンをまさぐる。
「これ、プレゼント」
差し出されたのは、小さな紙袋だった。
「ほんとはサプライズで、誕生日に渡すつもりだったんだけど……テルくん、大変なことに巻き込まれちゃったでしょ? だから遅れちゃったけど、はい」
「あ……ありがとうございます」
現実感が追いつかぬまま、紙袋を受け取り、中をちらりと覗く。
「それ、わたしが使ってるブランドの財布なんだ。お揃いだよ?」
「カグヤ先輩と、お揃い……?」
「いや、ブランドがってことね! ちゃんとメンズものだから、安心して」
慌てて手を振るカグヤ先輩。
そして彼女は、改まってこちらに向き直る。
「あんなことが起きて大変だと思うけどさ。わたしにできることがあったら、ちゃんと力になるから。溜め込まないで、ちゃんと頼ってね」
微笑みながら、一言。
「ハッピーバースデイ、テルくん」
そう言って去っていく彼女の背中を、僕は見えなくなるまで見送った。
――カグヤ先輩。プレゼント、わざわざ用意してくれたんだ。
胸がじんわりと温かくなる。なによりも嬉しいはずのサプライズ。
なのに、心の中は素直な喜びだけじゃなかった。色んな感情がぐるぐると渦巻いて、喜びきれない自分がいた。
そんな自分が、彼女に申し訳なくて……ますます苦しくなる。
あの人は、なにも変わっていないのに。
ほんの一面を見ただけで、今までのようにいられなくなった自分が、情けなくて仕方なかった。
「ただいま帰りました」
「あ、お帰りー」
リビングのソファでアニメを見ていた、大人のお姉さんが振り向いて、手を振ってくる。
――人のことなんて言える立場じゃない。そんな自分が、カグヤ先輩の一面に悩んでいるなんて、あまりにも滑稽ではないか。
そうやって割り切れたら、どれだけ楽だろう。
「今日の夜、なにか食べたいもの、ありますか?」
「あ、リクエストしていいの? じゃあ……ハンバーグが食べたいな。中からチーズがとろって出てくるやつ」
気持ちの整理はまるでつかない。
でも僕は、今日もヒモらしく頑張ろうと、料理を作るのだった。




