18 不幸中の幸い(辛辣)
買い物の一発目に訪れたのは、まるで幼児向け絵本から飛び出してきたかのような、ペンギンのマスコットがトレードマークの総合ディスカウントストアだ。
普段、生鮮食品は近所のスーパーを贔屓しているが、調味料や袋麺などのような既製品は、いつもこの店で買っている。
雑然と詰め込むように並ぶ商品棚に、初めて足を踏み入れたときは「ここは迷路か」と戸惑ったものだ。けれど今では、そのジャングルのような光景に、居場所のような安心感さえ覚えるようになった。
衣料品も一通り揃っているし、これからの生活に必要なものは、大抵ここで賄える。あっちこっちとユエさんを連れ回すのも気が引けるし、この店こそがベストな選択だと思えた。
「パンツは……このふたつで十分だな」
僕は三枚組のボクサーパンツを、二セットまとめて買い物かごに入れた。
毎度のことながら、なぜどれも微妙に色違いのセットばかりなのかと、ツッコミを入れたくなる。黒や紺みたいな無難なやつを、単色三枚で揃えてくれればそれでいいのに。
そんな小さな不満も、『税込み889円!』と大書された赤と黄色のポップを前にすれば、すぐに引っ込むのだった。
「へー……ツバメくん、ボクサーパンツ派なんだー」
買い物かごを覗き込んだユエさんは、意味ありげにニタニタとしながら、上目遣いでこちらを見上げてくる。
顔を赤らめるような反応をしたら、ユエさんの思う壺だ。男のプライドを守るためには、あくまで毅然とした態度が肝心だ。
「小学生の内に、ブリーフは卒業したので」
「へー、そうなんだ? ――それはいいとして」
ユエさんは買い物かごから、ボクサーパンツを一セット取り出した。
「三枚セットで九百円って……もっと、ちゃんとしたものを選びなよ。もしかして遠慮してる?」
「別に遠慮ってわけじゃ……ないですけど」
そう返しながら、棚一面に並ぶボクサーパンツをざっと見渡す。
「どれがちゃんとしたものなのか、よくわからないんで。高いものは高いなりの着心地があるんでしょうけど……こういうセットのやつで不満を感じたこともないし。いつもどおり、これでいいかなって」
「大人のお姉さんのプライドにかけて、こんな安物を貢ぐわけにはいきません」
そう言ってユエさんは、三枚セットのパンツをきっぱりと棚に戻した。
その直後、なにか悪戯を思いついた子どものように、ニタァッと口の端を持ち上げる。
「というわけでわたしが、ツバメくんのパンツを選んであげます」
「なっ……!」
さすがにその宣言には、思わず声が裏返った。
「きょ、拒否権を求めます!」
「求めるだけはタダだから、どうぞご自由に」
涼しい顔で言い放ち、ユエさんはパンツ売り場の前にしゃがみ込み、真剣な目で物色を始めた。
二度もからかいが空振りに終わっていたせいか、機嫌は上々。語尾に音符マークでも浮かんでいそうなテンションで、「どれにしようかな」と鼻歌でも聞こえてきそうな勢いだった。
ユエさんのことだ。少なくとも僕が選ぶものよりはまともなものを選んでくれるだろう。でも下着というジャンルにおいて、パンツは別格だ。シャツならまだしも、パンツを他人に選ばれるなんて、恥ずかしさのレベルが違う。
想像してしまった。
『今ツバメくんは、わたしが選んだパンツを履いてるんだー』
そのニヤついた顔が、簡単に浮かぶ。
からかい道具として、ことあるごとに使われる未来が見えた。
尊厳を貶められるとまではいかずとも、辱められることは確実だ。
そんなことを考えていたら、いつの間にかユエさんの姿が消えていた。
「つーばーめーきゅーん」
耳の奥が痒くなるような、甘ったるい声が後ろから届く。
完全に気を抜いていた僕は、ビクッと肩を震わせた。
振り返ると、そこには小悪魔の仮面を被った悪魔がいた。
「どう、可愛いでしょ?」
その手に握られていたのは、ビキニパンツだった。
色はパステルピンク。フリルなんてものはついてないが、形状だけで十分すぎるインパクトがある。前面の不自然な立体感が、これが男物であるという現実を、生々しい形で突きつけてきた。
こんなものを履いて登校して、万が一バレた日には……僕の高校生活、いや、人生そのものが破滅することになる。
「これ、ツバメくんに絶対似合うなー、ってビビってきたの」
ユエさんはにっこり笑いながら、破滅の布を掲げた。
「似合う似合わない以前の問題です。今すぐ、元の場所に戻してきてください」
震えそうな声で言うと、ユエさんはぷくっと頬を膨らませた。
「えー。一枚くらい試してみない? ほら、結構いい生地だよ」
そう言って、ぴらっとパンツを僕の目の前に差し出してくる。
生地の質感を確かめるだけならと、渋々と受け取った。
「あ、めっちゃ滑らかですね」
想像以上の肌触りに、思わず指先が二度三度、布の上をなぞる。
そうやって油断したそのとき、タグが目に飛び込んできた。
「さん……ぜんえん?」
愕然としながら、口を開いた。
三枚で八百円が当たり前の金銭感覚の身からすると、異次元の価格帯だった。
そうか……世のちゃんとしたパンツとは、こういうことなのか――と、形状があれなだけに、妙に納得してしまった自分が悔しかった。
しかしこのままユエさんのペースで押し切られたらマズイ。
ということで、僕は話題を逸らすように、奥の棚へと視線を逸らした。
「と、とりあえず、パンツは保留ってことで。一旦、服を見に行きましょう」
ユエさんにパンツを突き返すと、その場から逃げるように歩き出した。
「ちょ、ちょっとー!」
置き去りにされることへの不満は、今だけは聞こえないふりをした。
そんな感じでメンズ服売り場へと移動し、目の前に並ぶ数々のシャツをさりげなく眺めていると、一枚のTシャツが目に飛び込んできた。
「お、これいいな」
「なにかお眼鏡に適うもの、見つけた?」
商品棚に戻してきたユエさんに、僕は選んだシャツを見せた。
「ええ、これは買いだなってものが」
「えっ……」
ユエさんはそのTシャツに一度目をやった後、疑い深そうに、しげしげと僕を見てきた。
「さっきの仕返しで、からかってるわけじゃ……ないよね?」
「え、なんでそう思うんですか?」
「うわー……この感じ、まさかのまさか?」
ユエさんは信じられないものを見たかのように、目を細める。
一体、このユエさんの態度はなんなのか。それに見当がつかず、狼狽えるばかりだった。
そのとき、ユエさんは急にシャツの物色を始めた。
「どう、これ。ツバメくん好み?」
ユエさんは一枚のシャツを選び出すと、僕に見せつけた。
その白いシャツは、氷の表面に亀裂が走るような黒い模様があり、左半身には流れるような筆記体で英字が配置されていた。袖口と襟元からは、黒いインナーがちらりと覗いている。
僕がこれだと選んだ、英文が乱雑に並んでいる、スカルや剣のマークが特徴的なシャツしかり、
「あ、ドンピシャですね」
まさに自分好みのセンスである。
そんな僕のセンスを完璧に見抜いたユエさんは、がっくりと肩を落とした。
そして一度深呼吸をして、気合を入れ直すように顔を上げ、まっすぐと僕の目を見据えた。
「いい、ツバメくん。お洒落にはね、正解なんてものはない。でも、絶対的な間違いはあるんだよ」
出来損ないの生徒を諭すように、優しい声音で語りかけてくる。
「帰る家と一緒に、持ち物すべて燃えちゃったツバメくんだけど、服を失ったことだけは不幸中の幸いだったね」
「ひ、酷い……」
ただかけられた言葉は、辛辣の二文字であった。




