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すれ違う人たちが物珍し気に俺たちを見ている。
ファンタジー世界の小さなお姫様と、彼女を守るように歩く黒スーツの大人が三人。
こんな連中が歩道を歩いてればそりゃ目立つ。
店の客が急にいなくなったのは、ガイドさんが人払いをする魔法を使ったからという事だが、こういう時の目立たなくなるような魔法はないのかよ?
周りの視線はほぼラビリスに向いているものの、俺も注目されてるようで落ち着かない。
そんなラビリスは行き交う車が珍しいようで、しきりにはしゃいでいた。
「アレは自動車という乗り物です。馬車や飛竜と同じ移動手段として使われています」
丁寧にセリカさんが説明している。
俺たちのところに来る時には見なかったのかな?
「体内に人を入れて動くとはたいした奴じゃ」
「いえ、生物ではありません。科学力という力で動かしているのです」
「カガクリョクな! 知っておるぞ。自動販売機もカガクリョクで作られておるのよな?」
「はい」
さっきまでの剣幕はどこへやら。
まるで観光している旅行者のようだ。
紗矢さんもニコニコしてるし、ガイドさんは、と見ると――
「…………」
厳しい目で周囲を睨んでいた。
直後、足を止める。
「止まれ。囲まれた」
瞬時に反応したのはセリカさんと紗矢さん。
遅れて俺と羽沙も異変に気づいた。
音が消えている。
当たり前に聞こえていた雑音が全て消えていた。
行き交っていた人も車も全て消え、突然静まり返った世界はそれだけで気持ちが悪い。
「え……なに? なにこれ?」
不安そうな羽沙が腕にしがみついてきた。
静かすぎて耳鳴りがする。
こんな異常な状況で、腕に伝わる羽沙の体温はちょっとだけ俺を安心させてくれた。
「何事じゃ?」
驚いた。
ラビリスはこの状況に全く動じてない。
ガイドさんがラビリスの隣に立つ。
「簡単に言えば奇襲だ」
「狙いはわらわか?」
「だろうな」
「まったく、こっちに来てまで襲ってくるとは大した奴らじゃのう。お前たち、天太と羽沙に怪我などさせてはならぬぞ」
「二人は俺に任せろ。お前たちは姫様だけを守れ」
こっちに向かいながらガイドさんが簡単な指示を出し、セリカさんたちは助かる、と頷いていた。
「あの、これって?」
俺と羽沙は状況についていけない。
「奇襲だ」
それはさっき聞いた。
問題はなぜそんな事をされなきゃならんのかってことだ。
「話すと長くなるんだが……とりあえず、ここを切り抜けたら教えてやる。だから大人しくしてろよ」
言われなくても下手に動こうなんて思わない。
「――ッシ!」
いつの間にかセリカさんは剣を出現させ、何もないところに剣を振り下ろした。
直後、歪んだように見えた空間から全身真っ黒な奴らが飛び出し、セリカさんの剣をヒラリと避けた。
「趣味わるっ!」
羽沙の意見に同意。
計五人の黒ずくめ。
よく見る間もなく、次の瞬間にはそいつらの姿は消えていた。
ギギンッ! ッゴ! ギィン! ゴッ!
金属音と打撃音は無音の世界に大きく響く。
「っ!」
「ハッ!」
セリカさんの剣が淡く光り、同時にいくつもの軌道を描く。
紗矢さんから舞うように繰り出される拳と蹴りは、黒ずくめたちをラビリスに一切近づかせない。
素人目に見ても二人の動きは尋常じゃない。
たった二人で五人の黒づくめたちの攻撃を防ぐどころか、ラビリスを守りながら反撃している。
俺たちにはお構いなしで、見るからに奴らはラビリスを狙っていた。
「…………」
こんな状況になってもラビリスは落ち着いているように見える。
「加勢しなくていいの?」
心配そうな羽沙に、ガイドさんは大丈夫と腕を組んだ。
「あの程度の奴らなら二人で問題ない」
「でも五対二じゃない」
「俺が動けばお前たちが人質にされるかもしれない。大丈夫だから心配するな」
事実その通りで、攻防も束の間、すぐに黒い奴らは歪んだ空間に身を投じて姿を消してしまった。
「……逃げたのか?」
「じっとしてろ」
ガイドさんたちは静かに周りを警戒している。
俺と羽沙は無言で息を殺し――
ブォォー……
車の走行音で変化に気づいた。
雑音が蘇り人の姿も見える。いつもの見慣れた風景だ。
「もういいぞ」
俺の背中を軽く叩くガイドさん。
「……っはぁー」
緊張を解いた羽沙がぐてーっと座りこんでしまった。
「大丈夫か?」
「よくわかんないけど、無駄に疲れた」
同感。
「すまぬ、お前たちまで巻き込んでしまった」
近寄ってきたラビリスは申し訳なさそうにしていた。
後ろのセリカさんと紗矢さんは依然と周囲を警戒している。
「決闘などしている場合ではなくなった。引き上げるぞ」
ラビリスの号令に大人三人は頷いた。
■ ■ ■ ■ ■
「すまぬな、世話になる」
ラビリスを先頭に、恐縮した面持ちで三人はリビングにあがっていった。
さっきの奇襲の件で調べたいことがあると、ガイドさんとはマンションの前で別れた。
「ちょっと天太」
気に入らない顔をしているのが羽沙。
「なんでここに戻ってくるの? もう関わらない方がいい気がするんだけど」
さっきの奴らといい、ますます面倒事に関わってる感じが増してきた。
とりあえずどこかで落ち着こうという話になった時、我が家を提案したのは俺だ。
「困ってるみたいだし、放っとくわけにはいかないだろ」
それに母さんの手紙のこととか、いくつか訊きたいこともある。
ラビリスの母親が俺と母さんの命の恩人というのなら、ここで見放すことなんてできない。
「……お人好しね」
「まあ……今回ばかりはそう言われてもしかたねーな」
「いいわ。お姉ちゃんが天太の件であの三人から何か話があるようなこと言ってたし、もうちょっとだけ付き合ったげる」
「付き合いきれなくなったら帰るのか?」
「警察に電話する」
「ええ―!」
「普通でしょ? むしろ勝手に家に入られて、別の世界から来たなんて話してる人らにここまで付き合ってるってどうなの?」
いや……まあ、そうなんだけどさ。
「話し中すまない」
俺たちがなかなか入ってこないから様子を見に来たのか、セリカさんが戻ってきた。
そして唐突に頭を下げる。
「本来なら我が国の派遣員の元へ行くべきなのだが、姫様の事情もありそれは避けたかった。迷惑を承知のうえでお願いしたい。もうしばらくここに滞在させてはもらえないだろうか?」
「あ、うん。好きにしてくれ」
俺の回答に礼を述べ、セリカさんは戻っていった。
「好きにしてくれじゃないでしょ、ほんとに」
嫌な顔をされると思ったが、意外にも羽沙は苦笑しながらリビングに歩いて行った。
ラビリスが狙われてる理由も気になるし、まずは話を聞こう。
リビングに入ると、羽沙が麦茶を用意してくれてるところだった。
そして対面に座るや否や、ラビリスの真剣な瞳が俺を映す。
「天太よ、おぬしに話さねばならぬ事がある」
「……なんだよ?」
そんな風に言われたら嫌でも身構えるだろ。
「おぬしに災厄が訪れようとしている。最悪の場合、命を失うかもしれん」
「…………?」
驚くとか以前に、あまりのいきなりな内容に何だかよくわからず、思わず羽沙と顔を見合わせてしまった。
「お姉ちゃんが言ってたことってその事?」
「うむ」
ラビリスはブローチを取り出してテーブルの上に置いた。
「これはエステニア王国のアステア王子が、天太へと贈ったストゥニールの宝玉という物じゃ。訳あって紅音が保管していたものを預かってきた。本来おぬしへと渡された物じゃ。大切にするといい」
ブローチを手に取ってみる。
なんというか、高価なアクセサリーという印象しか受けない。
「……アステアなんて人、知らんけど?」
「おぬしの父上の死に関わった者じゃ」
「っ……」
因果関係はわからずとも、その言葉だけで胸が締まる。
ラビリスはアステア王子が何故こちらの世界に来ていたのかを教えてくれた。その後の彼がとった行動についても。
俺は――何の反応もしなかったと思う。
父さんが幻覚を見てたんじゃないかっていう話は聞いていた。
その後の捜索で、そんな人物は現れてないし遺体も見つかってない。
でも、実際は父さんがその人を見て、彼を助けようと行動した。
ラビリスの説明では助けなんて必要としなかったわけで、意味の無い行動で父さんは死んだ。
「……そっか……そこに、人はいたのか」
意味の無い行動だとしても、そこに誰かいたのなら父さんには意味があった。
放っておけば命を落とすかもしれないという場面で、父さんが動かないわけがない。
「……天太」
羽沙の呼び声。
「心配すんな、泣かねーよ」
「いや、泣こうよ」
「なんでお前が泣いてんだよ!?」
羽沙の顔を見るとポロポロと涙を流してる!
「だって人がいたんだよ? 幻だったかもしれないとか、無駄死にかもしれないとか言われてたのに人がいたんだよ? ちゃんとそこに人がいたんなら、おじさんの気持ちは無駄じゃなかったんだよ」
幻影じゃなく、父さんの気持ちがちゃんと実在した人に向けられてたことに意味があった。
他人には理解してもらえないかもしれないけど、残された俺たちには大きな意味があった。
「王子を恨んでおるか?」
ラビリスの問いに首を振る。
「恨むわけねーだろ。そんなの逆恨みもいいとこじゃねーか」
「そうか」
むしろ向こうには一切責任がないのに、事情を知って名乗り出てくれたんだ。会える機会があるなら礼を言いたいくらいだ。
「……お姉ちゃん、ずっと一人でコレを抱えてたんだ」
俺の手にあるブローチを濡れた瞳で見ている羽沙。
当時の俺は本当に塞ぎ込んでいたし、気持ちにも余裕がなかった。
たとえアステア王子の話をされても、絶対に信じなかっただろう。だからこそ紅ネェは黙っていたわけで、こんな重荷をずっと持っていてくれたことに感謝しなきゃならない。
「この宝玉には特殊な魔法が施されておってな、指定された者以外には効果を発揮せんのじゃが、効果が表れたとしたら、それは絶対に起こる事象……で、いいんじゃったな?」
セリカさんに確認しているあたり、こいつも説明されたばかりのようだ。
「その事象が原因で、俺の命が危なくなると?」
「うむ」
うーん……嘘を吐いてるようには見えないけど、まったく信じられん。
「宝玉が反応する程の災いがおぬしに降りかかると知っていて、黙って見過ごすわけにはいかぬ。おぬしのことはわらわたちが守るから安心せい」
「お、おお……なんか悪いな」
少なくとも、俺の為に何かしてやろうって気持ちが伝わってくるから疑いづらい。
「そ、それで……じゃな。問題が解決したとして、もしその時にわらわのことを……す、好きに……」
ゴニョゴニョ。
「姫様、私が代わりに説明いたしましょうか?」
見かねたセリカさんが助け船をだすも、ラビリスはブンブンと首を振る。
「わらわが言わねば意味がないじゃろが。大丈夫じゃ問題ない」
と、威勢を張ったのはいいものの、次の言葉がなかなか出てこない。
「もしかして、キスして婚約を破棄するって話か?」
察して俺のほうから触れてやると、そうじゃ! と激しく頷いた。
「わらわがおぬしを助ければ、わらわのことを好きになるじゃろ?」
「好意は持つだろうけど……興奮しながらキスしなきゃならんのだろ? 好きになったとしてもラビリスに興奮できるかっていると、そりゃまた別の話じゃね?」
「おいいいい! 話が違うぞ! 災厄から守ってやればわらわを好きになると言うたではないか!?」
「言ってもねーし、その話も今聞いたばかりだ!」
うわーん! と叫びながら顔を真っ赤にして紗矢さんの胸に顔を埋めてしまった。
よしよしと頭を撫でている紗矢さんはどこか楽しそうだ。
「でもさ、正直なところラビリスに興奮しちゃうロリコン男は探せば結構いると思うよ?」
羽沙の発言に「そうかもしれないが」と苦い表情を見せるセリカさん。
「元よりこんな方法は望んでいないのだ。ならばせめて相手は姫様の求めた者であってほしいし、バァバの魔法で選出された者ならば我々も少しは納得できる。誰でもよいという選択は取りたくない」
キスをするんだ、誰でもいいだろうとは言いづらい。
かと言って、ラビリスに興奮できるかと言ったら無理な話だ。
俺はいたってノーマルな男だ。できればちょっと年上の女性のほうがタイプだったりする。
「不幸中の幸いと言うべきか、ガイドがこちらの世界に留まっている以上、王もすぐには後続を送ってきたりはしないだろう。姫様の事案については僅かばかりだが時間的な余裕ができた。だが――」
セリカさんは俺を見て一瞬考える。
「天太、すまないが私と一緒にガイドのところへ行ってはくれないか?」
その言葉に反応して、ラビリスが紗矢さんの胸から顔を出した。
「どうした? まだ話の途中じゃぞ?」
「私はガイドと今後の動き方を相談してきます。天太には周辺の地理を教えてもらいたいのです。もしもの時の為に安全な隠れ家を用意しておかなければなりませんので、早急に済ませてしまおうかと思います」
本当の事を言ってるんだろうけど、その裏に何か隠してるような感じがした。
「……そうか、苦労をかけるな」
「私たちの役目ですのでお気になさらず。紗矢、姫様のことを頼んだぞ」
「はい」
紗矢さんに頷き返し、セリカさんは「行こう」と俺を促した。
急だなとは思ったが、俺は素直に従い、彼女と一緒に家を出た。