告白と襲来と
夜、眠り込んでしまった男たちを森から離れた場所へ運んでから、急いでハルは家へと戻った。
明りの灯された家の中では、ユリがうつむいて椅子に座っていた。ハルは、そのすぐ横に椅子を置いて、ユリが話し出すのを待った。
「あのね、私、ハーフ・森人族なの」
ユリは、そう切り出した。
「お父さんが森人族で、お母さんが人族。昔ね、二人で駆け落ちして、この森に来たんだって」
「……」
ハルの無言を受けながら、ユリは語る。
「森人族と人族は仲が悪くて、でも、お父さんたちは結婚したくて。それでこの森で二人で暮らし始めたの。それで私が生まれて、一緒に住んで……。三人で暮らしてたんだけど、お父さんたちは変な獣に、殺されて……」
「……」
「見たことがない獣だったの。お父さんが倒してくれたんだけど、もうお父さんもお母さんも手遅れだったの。それからはずっと一人で暮らしてて、他の人とか知らなくて。だから、さっき、あんなに怖くて……」
ハルも、森人族については知っている。森に好んで住み、不思議な力を使うという種族。だが、それは、絵本や伝承での話だ。
ユリに嘘を言っている気配はない。
「ハルさんが、ハルがいてくれなかったら、私、あの人たちに酷いことしちゃってたと思う……」
心細そうに、ユリがハルの手を握る。
ここまでの言葉に、嘘偽りは感じられない。ユリは、本心から本当のことを話してくれている。まだ、ハルには事情が飲み込みきれてはいない。ただ、しっかりとユリの手を握り返した。
「お父さんたちは、人の都に行きなさいって、最期に言ってた。でも、私はこの森しか知らないから」
森人族と人族の仲が悪いというなら、どちらも他種族への迫害がありそうだ。ユリは見たところ人族にしか見えない。そっと髪に触れてみる。伝承の通りなら、森人族の耳は長く、尖っているはずだ。
「あ、耳のこと? 私、お母さん似みたいで、耳は長くないの。だからお父さんは行きなさいって言ってくれたんだと思うけど……」
確かに、ユリの耳は人族と大差ない。目を凝らしても、森人族らしい特徴がない。
これならば、人の都とやらに出ても大丈夫ではないだろうか。
が、すぐに思い直す。人に怯えている少女が、一人で都に出て何ができるだろうか、と。
ハルの苦々しい経験が、嫌な予感や予想を思い起こさせる。ユリがもし都に出られたとしても、生きていくのは難しい。
今日のことからして、森に残ってもいずれ人に見つかるだろう。結界とやらは、もう機能していないに違いない。
どちらを選ぶべきか、ハルにはすぐ判断できない。どちらを取っても、ユリには辛い運命しか待っていないように思える。
答えを出してやれず、慰めの言葉もかけてやれない。昔から今まで抱えている、ふがいなさを改めて痛感する。
家族を守れなかった自分は、この少女すら助けてやれないのか。
ハルは奥歯をかみ、悔しさの苦みを感じる。たった二週間とはいえ世話になったのだ。恩返しの一つくらいしてやりたい。
そこで、ハルは一つの気配を感じた。
慌てて立ち上がり、ユリを抱きしめる。
「えっ、あのっ、ハル……?」
突然のことに驚くユリだったが、説明してやる時間も手段もなかった。
脅威が、迫ってきている。それも、特別厄介な奴が。
ハルは、ユリを置いて外に出た。途端、目の前に大きな扉が現れた。
間違いない。見間違えるはずがない。これは、あのダンジョンの扉だ。
扉が焦らすように開かれる。嗅ぎ慣れた匂い、よどんだ空気。懐かしさすら湧いてくる。
ハルは家に飛び込み戻ると、自室から使い慣れた武器を引っ張り出した。怪物から作った、あの剣だ。
「ハルっ!?」
ユリも異変を感じたようで、身をすくめ、震えていた。そんなユリを外に出し、ハルはユリを突き飛ばした。
行け、と言えない代わりに。逃げろ、と言ってやれないがために。
「でもっ、ハルはっ!?」
答えてやれる余裕はなかった。扉が、もう半分も開いている。
ハルが通って来た扉は人用の小さな扉だった。せいぜいで、ハルの体よりも頭一つ高い程度だ。そんな扉の、五倍はあろうかというものが、ほぼ開きかけていた。
向こう側から、強烈な圧力を感じる。二週間前に戦った怪物よりも、大きいものだ。
やがて完全に開いた扉から現れたのは、大岩のような体を持った黒い獣だった。
丸めた背から犬か猫のように見える。しかし大きさは、それらの百倍とも二百倍とも感じられた。足は八本あり、尻尾も三本あった。
怪物が吠える。それだけで、森全体が震えた。
嫌な汗が噴き出る。ダンジョンを何階層も潜り抜けたハルから見ても、充分な化け物だ。
しかも、怪物は間違いなくハルを見ている。もったいぶった動作で、ハルの焦る心中を見透かすように向かってくる。
下手をすれば、こちらの刃を届かせる前に、怪物の体に吹っ飛ばされそうだ。
ゆえに、ハルは怪物が本格的に動き出す前に仕掛けた。一瞬でも早く、一太刀でも多く浴びせるために。
ハルが動くと、怪物もまた動いた。三本の尻尾が伸び、上から叩き潰す勢いで襲ってきた。
かかとで地面をえぐるように急制動をかけて、横に跳ぶ。一呼吸遅れて尻尾が草原を叩き、土を舞い上げた。
まずは一つ。次に転がって二つ目を避け、三つ目は後ろに跳んでかわした。
避けるついでに、毒の塗られた剣を振るった。浅くでも傷つけられれば効果はある。
三本の尻尾のうち、最後の一つに刃が当たった。手ごたえは上々。毒の効果が出るまで時間はかかるまい。
予想通りに、怪物が尻尾の動きを止めた。斬りつけた一本が、蛇のごとくのたうちまわる。
毒が本体にも回れば有利に立てるはず。ハルはそう考えた。それを裏切ったのは、怪物の後ろ足だった。
毒の回った尻尾を、ためらうことなく切り飛ばしたのだ。尻尾が一本宙を舞い、木々に突き刺さるように落ちた。
怪物は、その様子に興味もないようで、まっすぐハルに突撃してきた。八本の足が土を蹴り上げながら、重苦しい振動で地面を震わせる。
まともに受ければ、ひとたまりもない。
ハルはかがめていた身を起こすと。すぐさま横へと走った。
正面からぶつかるわけにはいかない。突進の軸をずらし、避ける瞬間に、また斬りつけるしかない。
両手で剣を握りしめる。相手の突撃を避けつつ、さらには動きの激しい足に吹っ飛ばされないように全力で斬り込んだ。
血が吹き上がる。前足を斬られながら、怪物は通りすがりざまに、後ろ足でハルを蹴り飛ばした。
体が宙に浮く。しかし、昔のままだったら砕けていただろう体が、今は軽い。
飛ばされながらも、体を捻って地に下りる。かかとで地面を削りながら、体を敵へと向け直す。
怪物は、前足を振るいながらこちらを見やっていた。血がまき散らされている。さすがに足までは切除できないらしい。
攻撃が通じると分かったならば、あとは我慢比べだ。
一撃を叩き込んでは、敵から離れる。交差する時にのみ剣を振るって、自分からは突っ込まない。
戦い方は単調だ。後は、敵と自分、どちらの体力が先に削れるかだけ。
守りに重点を置きながら戦っても、敵の攻撃は苛烈で防ぎきれないものばかりだった。
皮が裂かれ、肉に爪が食い込み、骨まで達する重傷を受けても、ハルは倒れない。
次第に、昔の感覚を思い出す。ただダンジョンを進んでいるだけだった、あの頃を。
傷を傷と感じず、痛みを頭の片隅に寄せ、敵の首を狩ることだけを考える。
じっくりと、しっかりと腰を据えて、相手をひたすらに追い込んでいく。
決着がついたのは、空が明るさを帯びてきた頃だった。
大地に血だまりがいくつもでき、草も、木すらも吹き飛ばされた真っ赤な場所で、ハルは一人、立っていた。
怪物は血だまりの中心に倒れ、動かない。体中に毒が回り、動けなくなった脳みそに、直接刃を突き刺してやった。
敵を倒した達成感はない。一つの物事が終了したのだという、事務的な感覚だけがあった。
返り血を拭いもせずに、ハルはあたりを見回した。
無事な場所などどこにもない。井戸も、菜園も、家も、何もかもが吹き飛ばされていた。
まだ足は動く。
ハルは、ユリを行かせた方へ、足を運んだ。さすがに、若くなった体も言うことを聞かなくなっている。一歩一歩が重い。
それでも、泣いていた少女を追いかけたくて、気力だけで歩いた。
意識がもうろうとしてくる。手足の感覚がなくなってくる。砕けた剣が手からすり抜け、自身もまた倒れそうになった。
血みどろの恰好で、あの少女に会えたとしても恐れられそうで、それでも進んだその先で、
「ハルっ!」
金色髪の少女は、一生懸命抱きしめてくれた。




