村の入口
床の扉は、思っていたより静かに閉まった。
ぱたん、という小さな音がして、その上に木の板が戻る。さらにベッドを少しずらすと、さっきまでそこに穴があったことは、ぱっと見ただけではほとんどわからなくなった。
創磨はしゃがんだまま、その床をじっと見た。
下には、望来と赤ちゃん村人が座れる小さな空間がある。
たいまつが一本。
水。
焼きじゃがいも。
少しのパン。
それから、望来の薬袋と白い薬ケース。
全部、ちゃんとある。
あるはずなのに、創磨の胸のざわざわは消えなかった。
「そうま」
芽依が横からのぞきこむ。
「まだ見ると?」
「……うん」
「もう閉まっとるやん」
「閉まっとる」
「じゃあ、よかやん」
芽依はそう言ったけれど、その声にも少しだけ迷いがあった。
芽依だってわかっている。
扉があるから安心、というほど、この世界は簡単ではない。
望来は床の近くにぺたんと座り、両手で床板を触っていた。
「ここ、ひみつ」
「うん。ひみつ」
芽依が答える。
「みくと、あの子の」
「みくと、あの子だけじゃなか。みんなの」
芽依が言い直すと、望来は少し考えたあと、こくんとうなずいた。
「みんなの、ひみつ」
その言い方は、どこかうれしそうだった。
でも創磨は、床ではなく窓の外を見ていた。
家の中は、前よりずっと整っている。
三つのベッド。
チェスト。
かまど。
たいまつ。
つよし号。
水の入ったバケツ。
床下の避難場所。
ここだけ見れば、少しずつ守れる場所になってきた気がする。
けれど、窓の向こうには村があった。
畑。
井戸。
村人。
赤ちゃん村人。
そして、その外から来たピリジャー。
昨日、灰色のやつらは村の外れから入ってきた。旗を背負ったやつを止められたのは、ほとんどたまたまだった。ボートがうまくはまって、鉄ゴーレムが動いてくれて、どうにかなっただけだ。
次も同じようにいくとは限らない。
「……家だけじゃ足りん」
創磨がつぶやくと、芽依がすぐに顔を上げた。
「またそれ?」
「うん」
「今度はなに」
「村の入口」
芽依は窓の外を見た。
村には、ちゃんとした門なんてない。
家と家の間に道があって、畑の向こうに草原が続いていて、少し離れたところに森があるだけだ。どこからでも入ってこようと思えば入ってこられる。
「入口って、どこ?」
「昨日、あいつらが来たとこ」
創磨は外を指した。
村の外れ。低い丘のほう。
ピリジャーが最初に見えた場所。
「そこだけ守っても、別のとこから来るやろ」
「うん」
「じゃあ意味ないやん」
「意味ある」
創磨はすぐに言った。
言ってから、自分でも少し驚いた。
さっきと同じ言い方だった。
時間があれば逃げられる。
時間があれば、鐘を鳴らせる。
時間があれば、望来と赤ちゃん村人を床の下に隠せる。
何かを完全に止めるんじゃない。
少し遅らせる。
その少しが、たぶん命に関わる。
「全部守るのは無理」
創磨は言った。
「でも、来やすいところを少しでも入りにくくする」
芽依は腕を組んだ。
「……柵とか?」
「うん。柵と、扉」
「また扉」
「今度は外の扉」
芽依は少しだけため息をついた。
「扉ばっかりやん」
「扉、大事やろ」
「まあね」
望来が二人を見上げる。
「とびら?」
「うん」
創磨は望来の頭に手を置いた。
「外から悪いやつが入りにくくするやつ」
「ぐるる?」
「ぐるるも、昨日の灰色のやつも」
望来は少しだけ目を丸くして、芽依の服をつかんだ。
「こわい」
「だから作ると」
芽依がすぐに言った。
「みくが怖くならんように」
望来は芽依の顔を見て、それから小さくうなずいた。
「つくる」
「みくは見る係」
「また?」
「また」
芽依が言うと、望来は少しだけ不満そうに口を曲げた。
「みくも、する」
「じゃあ、つよし号で見とる係」
「つよしごうで?」
「うん。大事な係」
望来は「大事」と言われると、少しだけ機嫌を直した。
「じゃあ、みく、つよしごう」
創磨は家の外へ出た。
朝の光は明るかったけれど、昨日までと同じようには見えなかった。
畑の村人がゆっくり土の列の間を歩いている。井戸の近くにも村人がいる。鉄ゴーレムは村の端を大きな体でのそのそ動いていた。
その向こうに、昨日ピリジャーが現れた丘がある。
近く見える。
けれど、いざ歩いてみると少し距離があった。
創磨は石の斧を持ち、木のところへ向かった。
「また木切ると?」
芽依が聞く。
「柵にする」
「どんだけいると」
「わからん」
「わからんのに作ると?」
「作らんとわからん」
芽依は少し黙って、それから言った。
「じゃあ、いっぱい切るしかなかね」
「切りすぎたら、あとで困る」
「じゃあ、ちょうどよく切るしかなかね」
「その、ちょうどよくが難しかと」
創磨がそう言うと、芽依は少しだけ笑った。
「そうま、むずかしい顔しすぎ」
「してなか」
「しとる」
そんなやり取りをしながらも、創磨は木を切った。
ごっ。
ごっ。
ごっ。
石の斧の重さが手に響く。
最初に素手で木を叩いた時よりは、ずっと早い。でも、体はちゃんと疲れる。ゲームみたいに何十本も平気で切れるわけじゃない。
腕が重くなる。
肩が痛くなる。
腹も少し減る。
創磨は息を吐きながら、心の中で思った。
お腹ゲージ、減っとる感じする。
でも、口には出さなかった。
今それを言うと、芽依にまた「ゲームの言い方」と言われそうだったからだ。
木材にして、棒にする。
棒と板を並べて、柵を作る。
作業台の上に、知っている形を置くたび、ぽん、と柵が現れる。
便利だ。
けれど、そのたびに材料はちゃんと減っていく。
魔法みたいに見えても、何もないところから増えているわけじゃない。
「これ、何本?」
芽依が数える。
「六」
「足りんやろ」
「足りん」
「もっと作る?」
「うん」
また木を切る。
また棒を作る。
また柵を作る。
望来はつよし号の中で、柵が増えるのをじっと見ていた。
「これ、なに?」
「さく」
「さく?」
「入っちゃだめ、ってするやつ」
「みく、入ってよか?」
「みくは、だめなとこはだめ」
「えー」
望来はすぐに不満そうにした。
芽依が横から言う。
「みくはすぐ入るけん、柵いるんやろ」
「みく、入らんもん」
「入るやん」
「入らん」
「昨日もあの子のとこ、すぐ行ったやん」
「ともだちやもん」
望来は自信満々にそう言った。
創磨は少しだけ笑いそうになったけれど、すぐに丘のほうを見て表情を戻した。
柵を持って村の外れへ向かう。
昨日ピリジャーが来た道は、はっきりした道ではなかった。草原のゆるい斜面から、村へ向かってそのまま入れてしまう場所だった。
そこに、柵をまっすぐ置いても、たぶん横から回られるだけだ。
創磨はしばらく地面を見た。
草の段差。
土の出っ張り。
家の位置。
井戸までの道。
村人が走る方向。
鐘の位置。
全部を頭の中でつなげる。
「そうま、止まった」
芽依が言う。
「考えよる」
「また?」
「大事やろ」
「うん」
芽依はそれ以上急かさなかった。
創磨は柵を一本、地面に置いた。
まっすぐではなく、少し斜めに。
次の柵を、その横に置く。
さらに、曲がるように置く。
「なんでまっすぐじゃなかと?」
芽依が聞く。
「まっすぐやったら、壊されたら終わり」
「曲げたら?」
「入るのに時間かかる」
「めんどくさくするってこと?」
「うん」
芽依は納得したような顔になった。
「めんどくさくするの、めい得意かも」
「それはちょっと違う」
「なんで」
「なんでも」
柵を置いて、道を細くする。
完全にふさぐのではなく、わざと一か所だけ通れるようにする。
その場所に、木の扉――フェンスゲートを作ってはめた。
「これが入口?」
「うん」
「でも、村人も通るやろ」
「だから開けられるようにする」
「ピリジャーも開けるかもしれんやん」
創磨は少し考えた。
「開けるかもしれん。でも、たぶん一瞬は止まる」
「一瞬?」
「一瞬でもいい」
創磨は柵を押して、動かないか確かめた。
完璧じゃない。
低い。
頼りない。
大きな敵が本気で壊そうとしたら、たぶん壊れる。
でも何もないよりはずっといい。
「時間があれば、鐘を鳴らせる」
創磨は言った。
「鐘が鳴ったら、村人は走る。みくとあの子は床下。おれらは扉閉める」
「……うん」
芽依はうなずいた。
「一瞬でも、大事やね」
「うん」
昼近くまで、二人は柵の位置を変え続けた。
最初に置いた形は、つよし号が通りにくかった。
次に置いた形は、村人が引っかかりそうだった。
三回目は、望来が勝手に小さい隙間から入ろうとして、芽依に止められた。
「みく!」
「入れた」
「入れたらだめなやつ!」
「なんで?」
「だめなとこやけん!」
望来は不満そうにしたが、創磨はその場所を見て顔をしかめた。
「そこ、空きすぎか」
「ほら、みく役に立ったやん」
望来が言う。
芽依がすぐに言い返す。
「たまたまやろ」
「たまたまじゃなか」
「たまたま」
創磨は二人の言い合いを聞きながら、柵を一つずらした。
たしかに、望来が入れる隙間なら、赤ちゃん村人も入れる。
逆に言えば、敵も何か入り込めるかもしれない。
小さい目線で見ないとわからないこともある。
「みく、そこ見つけたのはえらい」
創磨が言うと、望来はぱっと顔を明るくした。
「えらい?」
「うん。でも勝手に入ったらだめ」
「……えらいけど、だめ?」
「えらいけど、だめ」
望来は少し悩んでから、こくんとうなずいた。
「わかった」
たぶん半分くらいしかわかっていない。
でも、それでよかった。
昼は、焼きじゃがいもとパンを少しずつ食べた。
創磨は自分の分を小さくちぎって、先に望来へ渡そうとした。
芽依がそれを見て、眉を寄せる。
「そうまも食べんば」
「食べよる」
「それ、ちょっとやん」
「足りる」
「足りん」
芽依は自分のパンを半分ちぎって、創磨の手に押しつけた。
「食べて」
「芽依のが少なくなるやろ」
「めいはじゃがいも食べるけん」
「芽依、じゃがいも好きじゃなかやろ」
「今日はいい」
強い言い方だった。
創磨は少しだけ黙って、それから受け取った。
「……ありがと」
「別に」
芽依はそっぽを向いた。
その横で望来が、焼きじゃがいもを両手で持って言う。
「みく、じゃがいもすき」
「みくは何でも好きやろ」
「きのこもすき」
「今きのこなか」
「きのこ、さがす?」
「今は探さん」
少しだけ、空気がゆるんだ。
でも、村の入口の柵を見ると、創磨の顔はまた真剣に戻った。
午後は、たいまつを置いた。
入口の左右に一本ずつ。
明るすぎるわけではない。けれど、夜になった時、そこに柵があることはわかるはずだった。
さらに、鐘までの道を何度も歩いた。
入口から鐘まで。
鐘から家まで。
家から床下の扉まで。
望来と赤ちゃん村人が走れるか。
芽依が支えられるか。
つよし号を通せるか。
「もう一回」
創磨が言うと、芽依は少しだけ顔をしかめた。
「また?」
「最後」
「さっきも最後って言った」
「今度こそ」
「そうまの今度こそ、あてにならん」
それでも芽依は、望来の手を取った。
ちょうどその時、赤ちゃん村人が畑のほうからとてとて歩いてきた。
望来がすぐに手を振る。
「あの子!」
赤ちゃん村人も、望来のほうへ近づいてくる。
創磨は鐘を見た。
「ちょうどいい」
「なにが?」
芽依が聞く。
「練習」
創磨は鐘の前に立った。
本気で鳴らすわけじゃない。
でも、音は村に広がる。
創磨は少し迷ってから、軽く叩いた。
カーン。
澄んだ音が、村の中に広がった。
村人たちが動いた。
畑の村人が顔を上げる。
井戸の近くの村人も家へ向かう。
赤ちゃん村人は一瞬だけ止まり、それから望来のほうを見た。
「こっち!」
望来が呼ぶ。
「こっちよ!」
芽依も手を伸ばす。
赤ちゃん村人は、迷ったように少し足を止めたあと、望来のほうへ走ってきた。
小さい足。
遅い。
でも、ちゃんと向かってくる。
「家!」
創磨が言う。
芽依が望来の背中を押す。
望来は赤ちゃん村人の手を取ろうとして、うまく取れず、それでも一緒に走る。
二人は家に入る。
芽依が床の扉を開ける。
「はやく!」
望来が先に入り、赤ちゃん村人が続く。
芽依が扉を閉める。
床板を戻す。
ベッドを少しずらす。
静かになった。
創磨は家の入口からその様子を見ていた。
見えない。
何もないように見える。
けれど、そこにいる。
ちゃんと隠れている。
「……いける」
創磨は小さく言った。
昨日より、声に重さがあった。
でも次の瞬間、外から足音がした。
村人の足音ではない。
ざり、と草を踏む音。
創磨は体を固くした。
芽依も振り返る。
窓の外を見る。
村の入口の向こう。
森の手前に、白いものが見えた。
骨みたいな細い腕。
まだ遠い。
一体だけ。
たぶん、スケルトン。
昼の明るさの中、木の影のほうへすっと隠れていく。
創磨の喉が鳴った。
「そうま」
芽依の声が低くなる。
「今の」
「……見た」
「敵?」
「たぶん」
「来る?」
「今は来んかもしれん」
創磨はそう言いながら、柵のほうを見た。
まだ頼りない入口。
でも、なかった時とは違う。
もし夜にあれが来たら。
もし矢を撃ってきたら。
柵だけでは足りない。
扉だけでも足りない。
次に必要なものが、頭の中で形になっていく。
盾。
見張り。
もっと明かり。
もしかしたら、弓。
でも、今は全部はできない。
まずは、今日作った入口を確かめる。
創磨は床下の扉へ近づいた。
「みく」
小さく呼ぶ。
下から、望来の声が返った。
「なに」
「大丈夫?」
「だいじょぶ」
少し間があって、望来が続ける。
「あの子も、おる」
創磨は目を閉じて、少しだけ息を吐いた。
よかった。
その気持ちと同時に、胸の奥がまた重くなる。
守らなければならないものが、増えている。
家だけではない。
望来だけではない。
赤ちゃん村人も。
村人たちも。
畑も。
この村そのものも。
でも、それは悪いことだけではなかった。
守りたいものが増えたから、創磨は次に何をすればいいか考えられる。
怖くても、手を動かせる。
夕方になった。
村の入口に置いたたいまつへ火を移すと、柵の影が地面に長く伸びた。
ただの木の柵。
ただの小さな門。
でも、昨日まではなかった線だった。
村の外と中を分ける、最初の線。
芽依がその横に立って、腕を組んだ。
「これで、ちょっとは入ってきにくかね」
「うん」
「でも、さっきの白いやつ、矢ば撃つとやろ」
「うん」
「じゃあ、柵の外から撃たれたら?」
「……困る」
「困るじゃなくて」
「盾がいる」
創磨は言った。
芽依が少しだけ目を細める。
「作れると?」
「たぶん」
「鉄いる?」
「ちょっといる。木もいる」
「鉄、まだ残っとる?」
「少し」
芽依は村の入口を見て、それから家のほうを見た。
「じゃあ、明日は盾?」
創磨はすぐには答えなかった。
床下には、望来と赤ちゃん村人がいる。
棚の上には、不吉な瓶がある。
外には、柵と小さな門。
その向こうには、森と道。
遠くで、かた、と乾いた音がした気がした。
骨の音。
創磨は唇を結んだ。
「うん」
小さくうなずく。
「盾がいる」
芽依は何も言わず、創磨の隣に立ったまま、村の外を見た。
家の中から、望来の声がした。
「そうまー」
「なに」
「もう出てよか?」
「まだ」
「えー」
「もうちょっと」
芽依が少しだけ笑った。
「みく、すぐ出たがるね」
「うん」
創磨も、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
でも、目は村の入口から離さなかった。
柵はできた。
入口も作った。
隠れる場所もある。
それでも、夜は来る。
敵は外にいる。
そして自分たちは、まだ小さい子どもだけだ。
創磨は村の入口に灯ったたいまつを見つめながら、小さく息を吐いた。
――入口はできた。次は、盾だ。




