第十章 いない場所
こんにちは。いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
前回のあたたかい対話から数日後。
悠はいつものように駅へ向かいますが、そこにあるはずの「いつもの風景」が欠落していることに気づきます。
第十章は、日常の中に突然ぽっかりと開いてしまう喪失のお話です。
とても悲しい出来事ですが、悠がその悲しみの中で何を見つけるのか、どうか一緒に見届けていただけたら嬉しいです。
それでは、第十章「いない場所」をお読みください。
それから数日後のことだった。
悠は塾へ行くため、いつもの時間に駅に向かった。
しかし。
ホームの端に、老人の姿はなかった。
ただ、春のぬるい風が、誰もいない空間を吹き抜けているだけだった。
「今日は体調でも悪いのだろうか」。
悠はそう思い、電車に乗った。
しかし、次の日も。
その次の日も。一週間経っても。
老人は、二度とホームに現れなかった。
悠の胸に、嫌な予感が膨らんでいった。
ある日の夕方、たまらず悠は改札横の窓口に行き、年配の駅員に声をかけた。
「あの……すいません」
「はい? 乗り越し精算ですか?」
「いえ、そうじゃなくて。あの、このホームの端に、夕方になるといつも立っていた、古いコートを着たおじいさん……知りませんか?」
駅員は怪訝な顔をして少し考え込んだが、やがて「ああ」と手を打った。
「あの方ね。いつもホームにいらっしゃった」
そして、業務連絡でも伝えるかのように、ひどく事務的に、淡々と告げた。
「亡くなったそうですよ。先週、自宅で倒れられたとかで。警察の方が身元確認にうちの駅にも話を聞きに来てましたから」
その言葉は、とても簡単だった。
あまりにもあっけなく、日常の一部として消費される「死」の報告だった。
「そうですか、ありがとうございます」。
悠は無意識にお礼を言い、改札から離れた。
しかし悠の胸の奥で、何かが音を立てて大きく崩れ落ちた。
目の前が真っ暗になり、膝から力が抜けた。悠は壁に寄りかかり、荒い息を吐いた。
名前も知らない。
どこに住んでいたのかも、家族がいたのかどうかも知らない。
ただ、週に何度か、冬の冷たいホームで少しだけ言葉を交わしただけの人。
自分にとっては、たったそれだけの関係性だったはずだ。
それでも。
悠の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
胸の奥の穴が、ちぎれるように強く痛んだ。
半径18ミリ。
そこに、老人の喪失という巨大な風が吹き抜ける。
しかし、その風はもう、自分を凍えさせる冷たいだけのものではなかった。老人が残してくれた、温かい体温のようなものが、確かにそこに残っていた。
第十章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
駅員からあっけなく告げられた、老人の死。
名前も、住んでいた場所も知らない。それでも、悠の目から零れ落ちた涙は、二人が冬のホームで共有した時間がどれほど大切だったかを物語っています。
喪失の冷たい風の中にも、老人が遺してくれた確かな「温かさ」が悠の胸にはしっかりと残りました。
次回(第十一章)は、季節が巡り、三年生になった悠の新しい春のお話です。
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