第百二話『休暇が欲しい』
今は朝方。
『pudding』というプリン専門店みたいな看板をぶら下げている路地裏の喫茶店にて。
銀色の髪を耳の後ろに掛けながら、マリアナはまた僕のお金で紅茶を嗜んでいる。
モルはパンケーキが乗っていた皿を横に、うたた寝をしていた。
「まあ、おかげさまでいつもより情報とか安く売ってくれたので結果オーライなんですけど」
「人望がないと、苦労するみたいだね」
「まるで自分には人望があるみたいな言い方しますね」
「おや、まるで私に人望がないみたいな言い方をするね」
ウルくんがモルのお皿を片付けに、トテトテと通り過ぎる。そんなウルくんをマリアナは軽く手を挙げ捕まえて。
「紅茶をもう一杯」
「お任せ下さいです!」
楽しげにウルくんは、紅茶を入れるため走っていく。
それを見送るしかできない僕は、明後日の方を向きながら日差しを浴びてコーヒーを飲む。
「志東くん、そういえばなんだがね」
「急ですね」
店内は静かだ。
時計の音、鳥のさえずり、微かに人の歩く音。昨日のことが嘘かのように、穏やかな日の平和な朝。
「おかしいんだ、やっぱり、モルちゃんには空白の時間があるんだよ」
「空白の時間ですか」
話にいまいちついていけずに、とりあえず気になった言葉をかいつまんで返した。
いきなりすぎる話の転換から、訳の分からない言葉の洪水。朝から頭が痛くなる。
人の頭を痛くする天才かコイツは。
「収容からの実験検証、そして実験の際に彼女は1度暴走して逃げ出している、と書かれているんだがね、暴走は約3時間と書かれているね」
「そうですね」
モルのほう見ると、口元が洪水になっていた。
あとで、服を洗濯しないといけなさそうな惨状だ。
「彼女が暴走状態に陥ってから、再び収容されるまでの期間が、1年になっているんだが、それについてはどう思う?」
「報告書を書いた人の、時間軸が1年だったとかですかね、今や時間や日数なんて宛になりませんからね」
人によって過ごす時間がズレる、というのは前話した通りのことだ。
それぞれ、感じて過ごす時間に大きくズレが生じている。この現象のせいで、かなり面倒くさいことが各地で起きているようだし原因の究明を急いで欲しいものだ。
「そうだとしても、おかしいと、思わなかったのかな?」
「思ってはいましたよ、他にも謎は多いですし」
モルのことは、誰よりも知っていると僕は思っている。しかしそれでも、僕は彼女のことを知らな過ぎる。
「……それに彼女の能力に関する報告書、やはりズレているんだよ」
「ズレていると、言いますと」
「彼女が不思議と認定された理由と、記載されている彼女の異常性の結論が結びつかない」
たしかに、違和感は感じていた。
モルが不思議ではないかと疑われた理由、それは凶器に見合わない被害者の異常な裂傷の数々。
そして、判明したのは彼女が何にでも殺意や破壊衝動が湧いてしまう『認知殺衝性』ということ。
気になってギルドカードを作らせて、スキルや魔術、呪術や妖術や加護、とにかく何かそれらしい魔法を使ったものなんじゃないかと確認をしてみたものの。
それらしいものを、見つけることは出来なかった。
完全に彼女の、モルの特異の能力であることが立証されていたのだ。
「あ、ところでなんですけど」
「うん?どうしたのかな、お金は持ってないから催促はまた今度にしてくれたまえ」
「そうじゃなくて……休暇、とれます?」
僕の問いかけに、マリアナは運ばれてきた紅茶を一口飲んだあと、目を細めて朗らかに答えた。
「……うん、紅茶、美味しいね」
鳥が、外でさえずっていた。
〇
「モルちゃん、そういえば」
「マリアナさんどうしたの?」
志東くんが先に店から出て、モルちゃんもそれに続いて出ていこうとしていた。
だから、出ていってしまう前に少し声をかけてみた。
「モルちゃんは、お母さんの事とかは覚えているのかな」
「うん、覚えてる、優しかったよ」
「里親というのは、知っていたかな」
彼女の生みの親は不可色によって消された、そして彼女を育てたのは里親。そしてその里親は、皮肉なことに里子であるモルちゃんに殺されている。
彼女の真名には、『人の縁を固く結びつける』という運命が刻まれている。
あの時から、この2人が出会うのは必然だったのかもしれない。
「……うん、それがどうしたの」
「何か、それについて、悪い夢を見たりしてるんじゃないのかなと思ってね」
いつの日か、志東くんから相談を受けた。
放っておくのも、優しさかと思ったのだが。私は悪魔だ、優しさなんて言葉で濁して行動しないのは嫌いだ。
「……」
「ああ、無理に聞こうとしてる訳じゃあないんだ、話したくないならそれでいい」
「志東さんが、話したんだね」
明らかに、違った。
モルちゃんの、雰囲気が別人のようだ。
カフェオレから、ミルクと砂糖を取り除いたような一種の狂気を感じる豹変ぶり。
「……まあ、そうだね」
「えへへ、志東さん心配してたの?あのあと相談に来てたんだね?優しいなぁ」
あの後というのがいったい、いつを指しているのかは分からない。しかし、志東くんが私にモルちゃんの寝言のことで相談しに来たというのは事実。
寝言の話だ、そのはずなのにそれを彼女は把握している。
「……モルちゃん、君、まさかだが」
謀ったと、思った。
きっとそうだ、寝言じゃなく、彼女は志東くんに不安にさせるために、心配をさせるために、自分に関心を向けるその為だけに自分の心の傷を抉ったのか。
それとも、自分の手で親を殺すことなんてのは、この子にとって傷ですらないのかもしれない。
「なに?」
「いや、なんというかね」
「志東さん、なんて言ってた?」
恍惚とした顔は、普段から見ていた。
朝に志東くんとこの店に来ては甘いものを食べて帰っていく。その甘いものを口にほおばった時のような、いやそれとまったく同じ表情なのに。
この子は、思っていたよりまずいかもしれない。
「……まあ、心配してたさ」
「えへ、えへへ、嬉しいなぁ」
こんな時に限って、いやこんな空気を読んでこそウルくんは出てこない。空気を察知するのが、上手い子だ。
……まあでも、空気を読むのが下手なやつが先に外で待っていたんだった。
「モル?」
志東くんが、いつまで経っても出てこないモルちゃんを呼びに来た。
「あ!待ってー!すぐ行くからー!」
明るい声が、子供のような無邪気が、志東くんの声に返事した。
「マリアナさん、秘密ね」
「はあ、まったく」
どうやら志東くんは、とんでもない怪物を飼い始めたらしいと私は再認識した。