第百一話『残響』
終わったと、この場にいる誰もが思い込んでいた。それはもちろん、僕たちから少し離れた場所で気絶しているルベルトでさえ決着は着いたとわかっていたんじゃないかと思う。
「……!?」
「な、に?」
一目見て、視覚に飛び込んだ情報。
金髪の狐の獣人と思しき人物が現れていた、その人物はルベルトの腕を持って、何かを握ってそれをルベルトの腕へと────。
「まずい!!」
「……ッ!」
ほぼ反射的に、ヒバリさんは短剣をその人物へ投げつける。僕はと言うと、奥の手を使った反動で足を踏み込んだと同時に体から力が抜ける感覚に襲われ跪いてしまった。
「私、戦闘は苦手なので、ご遠慮します」
翻し短剣を悠々と避けたその人物はそれだけを言い残し、その身を布で覆う。
そのたった1枚の布だけを残し、さながら手品のように跡形もなくその人物は消え去った。
「……今のは」
「テトたちもあった事ないにぃ」
つまり、完全な乱入者。明らかにこちらの味方ではない、ということはあちら側の人間。
その割に、裏切りまがいのことをしていたテトさんとヒバリさんが知らないというのは少し引っかかる。
「待って、それより何かされて…」
ヒバリさんの言う通り、確かにルベルトは何かをされていた。動きは最小限だったが、僕が捉えた動きはなにか見覚えのあるもののような気がした。
あれは、そう、たぶん……。
「ん、んぁ、最悪の、気分だ、二日酔いより、ひどい頭が割れそうだ」
ルベルトがふらつきながらも起き上がった、その足元には注射器が転がっている。僕の予想は悪い方向だが的中していたようだ。
何を注射されたかは分からない、ただ考える限りで最悪なのは戦闘になるような事態だ。
「かえ、らナいと、俺は帰らないと」
「まって、ルベルト、あなた今どう見ても普通じゃない、一旦落ち着いて」
明らかに正気じゃあない状態のルベルトを、ヒバリさんがなだめる様に呼び止める。
ルベルトが大剣を拾い上げた、間髪入れずに大剣をフックガンのフックが手元から弾き飛ばした。
射撃手はというと、ヒバリさんだ。
「なんだ、邪魔すル気か、いや、待てよ、いやい、や、そうだ、そもソも殺さないと、志東お前を殺さないと、どっちにシろ帰れねえんだよ…」
今、ルベルトはこっちを見ていない。
けれども、どんな目をしているのかは容易に想像できた。伊達に殺されかけてきたわけじゃない、殺気というのは声色にも乗るものだ。
「テト、天秤」
「しどー兄ちゃん」
「わかった」
一体テトさんとヒバリさんが何を話しているかなんていうのは想像もつかないが、値踏みをするのはいつもテトさんの方らしい。
しっかりしたイメージのヒバリさんじゃあなく、いつもふわふわしている感じのするテトさんがその役割とは、意外な話である。
「すみません、僕はもう戦える感じじゃないっぽいです」
「分かってる、見たらわかるわ、私たちに任せて」
ヒバリさんは振り返らずにそう冷静に言った、テトさんはこちらに親指を立てている。
たぶん肯定的な意味だ、親指を立てる行為には様々な意味があるから断定はしかねる。
その込められた意味の違いは地域による認識の違いだったりするが、今この場面でテトさんが親指を立てるとしたら肯定的な意味だろう、というかそうであってくれ。
「あれ、たぶん黒灰です、どっちにしろ暴れ続ければあの人死にますよ」
雪国でみたフェンリルと同じような症状が、ルベルトの身体に現れている。黒いおよそ人間のものとは思えないような新たな部位が身体に生まれている。
こんなところで暴れられても困る、早く対処しなければならない。
「くろはい?あぁ、黒灰ね、そうみたいね、よし、テトやるよ」
「まかせるにぃ」
ヒバリさんは片手で扱うサイズの両刃剣を、テトさんは航空眼鏡を目に掛け円形のマガジンが特徴的なライフルのようなものを構えた。
僕は重い体を端に座らせて、実況に専念することにした。
「頼む、帰られせテくれ、帰りたいだけなんだ、たのむ……」
少しづつ歩いてくるルベルトは、片方だけに下駄を履いているように歩きづらそうだ。
左半身はほぼ、人である形を失っている。
「今、あなたが帰ったところで志東さんを殺さなければあなたは家族に会えません、志東さんを殺して帰ったとして、本当に今のあなたは家族を抱きしめることは出来ますか、自分の姿を見てください」
「俺は、帰ル、ぞ。約束したんだ!俺は帰るぞ!妻の故郷デ暮らす、娘トの6年間を取り返す!!」
黒い大剣が張り詰めた糸が切るように、正面にいたヒバリさんに降り掛かる。
動きを読んでいたようにヒバリさんは短剣を避け、テトさんはルベルト本体からから大きく逸れた左右にライフルを発射した。
「分かってる!それも聞いたわ!けど自分の手をみなさい!そんな手で娘を抱きしめる気なの!」
「……!」
黒い大剣は、拾ったものじゃない。彼自身の手が、腕が凶器と成って塞がれた未来への道を切り開こうとしていた。
ルベルトの周りをテトさんの放った弾丸が、宙にゆっくりと舞っている。
「もうあなたは死にます!私達が殺すって話じゃないんです!!あなたのその症状、あなたが暴れる度に人間の形を忘れている!」
「そうなってから、生き残った人を見た事ないにぃ」
ヒバリさんは、どうやら対話を試みているようだった。
テトさんはそれと対照的だ。
どうやら、僕は何か思い違いをしていたのかもしれない。この2人のことを。
「……ただ、帰りたいアけなんだ、たノム、生きて、帰レ、れバそれ、でいィんだ」
ルベルトは喋りにくそうだ。
口の中に指が生えている、指が内側から唇を掴むように。
口を開く度に、その喉奥の暗闇からなにか恐ろしいものがはい出てくるのではないかと少し悪寒がする。
「テト…」
「諦めるにぃ」
ヒバリさんからテトさんに送られた視線は、すぐに否定された。
今この場で現実を見れていないのは、2人だけ。ルベルト、それからヒバリさんだ。
「お前たチは、壁ダ、最後ノ壁だ、今マデ何度も遠回りヲして、ようやク見つケタ1番低い壁ダ、もウ回リ道はでキナイ!!」
「もう、遅いのよ」
皮肉なことに未来への壁を切り開こうとしている、という僕の表現は間違っていなかったらしい。
特に嬉しいとは思わないけれども。
「…焼却」
テトさんから紡がれた言葉が、宙を舞っていた弾丸、正確には魔石の類が熱を帯びるのを肌で感じた。
黒い大剣を無作為に振り続けるルベルトに、ルベルトを囲むようにして舞っていた魔石から熱線が照射される。
「ヴッ、ガッァ」
体が溶けて穴が空いているのにも関わらず動きを止めない怪物に、フックガンにより高くから勢いを伴って両刃の剣が襲う。
「こっちよ」
テトさんに気を取られた怪物は、完全な意識の外から放たれた一撃を避けることは決してできない。
「あとこっちもだにぃ」
完璧なタイミング。
燃える剣を避けることの出来ない怪物にとっての、一番苦しいの場所、そして機会への両剣の斬撃と高熱を帯びた魔石の射撃。
2人のコンビネーションは、怪物に必死の一撃を与える。
「フグァ…ァァ……ァ……」
穴だらけになった怪物は、この高所から下降の黒へと姿を消していった。
「……はぁ」
「死体確認はしておくにぃ」
テトさんの能力は、意識の方向を見ることが出来る。
ヒバリさんの能力にも、不思議な能力がある。
共感覚、特定の人物と感覚を共有できる力があるらしい。
「まあ、我が子が見れば間違いなく泣きわめく見た目してましたし、これでいいんじゃないですかね」
励まそうと声をかけてみたけれど、2人から帰ってきたのは沈黙だった。
もしかすると、今はジョークの気分じゃなかったのかもしれない。
「……テト、重要参考人、発見ね」
ヒバリさんは、あの獣人が唯一残していった布を拾い上げた。
「そうだにぃ」
彩りの戻った街から明かりが消え、冷たい風が吹いた。
僕には身震いをする体力すらも残っていなかった。