9-2 暖かい時間
なんの根拠もない。邪推もいいところだ。
浮かんでしまった馬鹿な考えを軽く頭を振ることで取り払う。
疑心暗鬼に満ちた考えに囚われている間に、いつの間にかシオンや実羚もこっちの会話に加わっていた。
西牧の机を取り囲むようにして話が始まってしまったが、本人はあまり言葉を発しないながらも一生懸命うんうんと相槌を打っていて。
意外と話をするのは嫌いではないのかもしれない。遅ればせながら俺も会話の輪の中へと突入する。
「昔そういう映画あったよねー。宇宙人が侵略しにやってくるんだけど、返り討ちにあってそのまま友だちになるっていう」
どうやらタツマキダーから派生して映画の話になっているみたいだ。
「そんなのあったっけ?」
「あったよ。タイトルなんだったかな~。ほら、あの泣ける映画ベスト10に選ばれたやつ」
その時点で俺が見ている可能性は限りなくゼロだ。
もともと映画館へはあまり足を運ばないうえに、恥ずかしい話だが涙もろい。一年のときなんか国語の教科書に載っている話で泣いてしまったくらいだ。
結果、映画を見に行くとしたらコメディー色の強いものとなる。ホラーも苦手だからな。サスペンスや推理モノなんかは好きなんだけど。
「チャッピー星人と四つの秘宝じゃなかったかしら?」
「……なんかそれ聞いたことあんな。どんなヤツだっけ。もしかしたら見たことあるかも」
たまに本を読むときテレビをつけっぱなしにしていて、そのまま流れてくる映画を所々見ていたりする。チャッピー星人というなんとも気の抜けたネーミングが記憶のどこかに残っていた。
「こんな猫、出てくる」
西牧が率先して声を出し、ノートの最後のページになにかを書きはじめる。「秘宝は三つじゃなかった?」という議論が交わされる中、カリカリと無言で西牧はひとつの絵を完成させた。
ふたつの尖った山をつなぐ直線の下に、大きな三角がひとつ。その横に馬鹿でかい黒丸がふたつ描かれ、ガタガタとした曲線でくるりと囲まれている。その周りに何本ものイトミミズが……
「……何描いたん?」
「猫」
さも当然といったように返される。向きの問題かと思ってノートを取り上げ、自分のほうに回してみたが……ねこ?
「猫、目大きい。かわいい」
「だからって顔の半分以上が目だとちょっと怖いかなー」
これはもはや目玉のお化けだ。かわいさアピールで描いたのかまつげが破壊力を増していてヤバい。耳も小さすぎてもはや眉毛に見える。猫って眉毛あったっけ。
「ちょっと世界観とか思い出せないからさ。他のも描いて説明してくれる?」
興味本位で提案すると素直にうなずく。
ノートを元の向きに直すと、目玉お化けの隣に矢印を引きながらぐねぐねと線を引き始めた。矢印の横に書かれた「飼い主」という文字が達筆なだけに、隣に引かれる毛虫みたいな線が理解できない。
「何コレ」
「人」
「こっちは?」
「ロボット」
「……おまえさ、これキャラクター化してどっか売り込めよ。前衛的過ぎて売れるぜ」
正直アメーバが突然変異をおこしたようなものばかりだった。
わかりやすく輪郭だけにした「飼い主」は人というよりヒトデに見える。頭が少し尖り気味なのがいけない。
そこから目玉お化けと逆方向に伸ばされた矢印には「宇宙人」の字。うん。これはまごうことなき宇宙人だ。こんな地球上生物見たことない。強いてたとえるならば、なまこにタコの手足が生えた姿とでも言おうか。
俺と西牧の会話に気づいたのか、秘宝の数議論に決着がついたのか。他の奴らもノートに描かれていく、不思議な図形の数々に興味を示し始めた。
「なんだコレは」
じっくりとノートを眺め、しばし考えたあとでシオンが問いかける。それに偉大な芸術家は自信満々に答えた。
「人」
「……ここまで下手な奴、久々に見たな」
ああっ! 人が気を使っていままで言わないでいたのに!
「こんなゆるいキャラクターが出ていたら、せっかくの感動作品も台無しだな」
「どうせどんなに感動的な話でも泣きゃしねぇ癖に。あんま言うなよ、かわいそうだろ?」
シオンは自己申告ではあるが、ドラマや映画を見て泣いたことがないらしい。一年のときに芸術鑑賞会で見た感動モノの舞台も涙一滴流さなかったと評判だ。
生徒を含め、教員にいたるまでその場にいるほとんどの者が泣いたという伝説の舞台だったのに。
なぜか生徒を泣かせることに燃えている校長先生がしきりに悔しがっていたのを覚えている。
「かわいいー! 私こーゆー絵好きだよ」
実羚に褒められ、無表情な西牧が目を細め、両の口端を頬が持ち上がるほどに引き上げる。
あのうまい弁当を食べているときでさえそんな顔しなかったというのに。おまえどんだけうれしいんだよ。
心持ち頬も赤らんでいるような気がする。
頼むからコレをきっかけに実羚に惚れたりなんかしないでくれよ。ただでさえ実羚が俺になびく気配が見えず焦っているのに、ライバルなんかが現れたらたまったもんじゃない。
そういえば実羚も芸術鑑賞会では泣かなかったらしい。その他の自習のときに流されるビデオや友人同士で行った映画の話などでも実羚が泣いたという話は出てこない。
『全米が泣いても泣かない男、全米が泣いても泣かない女』
いつしかあまりにも泣かない人たちにこんなキャッチコピーが付けられていた。
実羚とシオン。このふたりは確実に全米クラスだ。「箸が転がっても泣く男」と言われた俺の話には触れないで欲しい。
「ホームルーム始めるぞー。席つけー」
扉の前でスタンバっていたのではないかと疑うほどピッタリなタイミングで、チャイムを入場曲に先生が現れる。
ガタガタと机を鳴らしながら一斉に皆着席した。
出欠を取る声を聞き流しながら、俺は自分の胸がいつになく暖かく満たされているのを自覚する。
こんなふうにまた心から会話を楽しめる日が来るなんて。
中学のときに離れていった奴らや、一年のときに仲が良かったのに疎遠になってしまった友人。そいつらの姿を思い出す。
どうせいつかは離れていく。そう分かってはいるが、楽しい時間を過ごすたびにこれからもずっと一緒に居たいと願ってしまう。
西牧は誰にも話していなかった秘密を打ち明けてくれたし、シオンは情けなく歪んだ俺の根性を理解したうえでたたきなおしてくれた。
彼らとの会話は面白くて、いままでの誰よりも仲良くなれる予感がしていた。
だからこそよけいに思う。もっとこいつらのことを知りたい。もっといろいろ話したい。
幼い頃に家族を亡くしているせいで、俺は寂しさに敏感だ。無慈悲に縁を奪われることを誰よりも恐れている。
気を許したら気を許しただけ後のダメージがでかくなる。17年に満たない年月しか生きていないが、これまでの経験でそれを痛いほど学んできた。
期待しては駄目だ。そう思っているのに、温かい時間が希望を胸に抱かせる。
願わくば神様。どうか。
机の上で軽く組んだ指に唇を当て、目をつぶる。
今年だけでいい。ずっとだなんて高望みはしないから。
こいつらともっと仲良くなれますように。
誰ひとり欠けず一緒に過ごせますように。……友達でいられますように。
闇の世界で人が消されていることを知っている分、そう強く願わざるを得なかった。
人なんていつ誰が死んでもおかしくない。どんなに強固に互いの糸をつないでも、死神の鎌は容赦なくそれを断ち切ってしまう。
……この一年だけでいいんだ。幸せな時間が続きますように。
点呼に気づかず無様な声を上げ、クラス中に笑われるという失態まで犯したんだ。
そんくらいは聞いてくれてもいいだろ? 神様。




