9-1 宇宙人タツマキダー
「おは、よう」
バタンバタンといたるところでスチール製の靴箱が音を立てる。キャアキャアと朝からテンションの高い女の子たちの陰から、控えめに声がかけられた。相手を認識して笑みがこぼれる。
「おはよ西牧。ちょっと待ってて、教室まで一緒に行こうぜ」
小走りで近づくとすでに靴を履き替え終えてる西牧の肩を支えとして借りる。馴れ馴れしいしぐさだが彼なら怒らないだろう。シオンだったら文句のひとつも来たかもしれないが。
「サンキュー……ん、どした? もしかして嫌だった?」
気づけば眉間にしわが寄っている。そのまま険しい顔で視線をそらしていた。
あれ、もしかして怒った? ちょっと支えに使っただけで?
とたんに不安になる俺とは決して目をあわさず、西牧が首を左右に振る。教室までの道を並んで歩きながらぼそりと小さくつぶやいた。
「……うれしい」
うれしい?
どういう意味だと見上げると、眉間のしわをいっそう深くして顔を背ける。
え、うれしいって表情じゃなくね? つか、仮にそれがうれしいときの表情だとしても、さっきの流れのどこにうれしがるポイントが?
謎は解けぬまま、あっという間に教室へたどり着く。
理由を問いただそうとしたが、教室に入ってすぐ目に飛び込んできた光景に、一気に意識を持っていかれた。
人がまばらな教室で、実羚がシオンの横に陣取ってなにやら話している。
いや、それはいい。俺の愛する実羚ではあるが闇雲に束縛する気はないので、友人として話している分なら多少妬きはするが構わない。
問題なのはそのふたりが教室中の視線を集めているということだ。
まだ人が少ないとはいえ、ほとんどの人が教室の端にいるシオンを見ている。
視線を向けていない人もいるが、全体的に朝の教室としては異様なほど静かだ。おはよーと元気に現れた奴を人差し指で牽制したり、互いに目配せしたり。
なんだなんだ、一体これどういう状況?
「昨日特別棟の裏で物凄い竜巻が発生してねー。なんだろうとのぞきこんだら、すぐにもう一個発生した竜巻とぶつかって消えたんだ。あれ松岡じゃないかってうわさになってるんだけど、どうなの?」
げ。昨日のやりとりがうわさになってんのか。どんだけの規模の魔法撃ちあったんだよこいつら。
実羚は基本誰とでも平等に話し、聞きにくいことも直球で聞き出すタイプだ。クラスメイトから問いただし役として推薦されたに違いない。
焦る俺とは対照的に、注目を集めるシオンは腕を組んだまま冷静だ。「なぜ俺だと思う?」なんて涼しい顔で聞き返している。
「あんなにおっきな竜巻起こせるのって松岡ぐらいじゃん? でもさすがにふたつ同時に作るなんて無理じゃないかって」
実際のところは西牧が同じ規模の魔法を発動して相殺したらしいのだが、校内での魔法による決闘は禁止だ。ばれたら反省文を書かされたうえで三日間の停学になる。
成績優秀のシオンが停学なんてことになったら大騒ぎだぞ。それに相手として西牧も停学を食らうことになる。いままでひっそりと過ごしていたのにそれはあんまりだ。
俺は……一方的にやられたってことで免れるかもしんないけど。
いままでにない大ピンチに背筋がすっと寒くなる。
頼むシオン、いい感じにうまくごまかしてくれ……!
「だから、松岡が失敗してひとつの竜巻がふたつに分かれちゃった説と、自然発生した巨大竜巻を人知れず消滅させ被害を防いだ説。あと変わりどころで地球侵略しに来た宇宙人タツマキダーを正義のヒーローである松岡がやっつけたって説があるんだけど、本当のところはどれ?」
なんだそりゃ。
一気に力が抜け、肩にかけていたカバンと大きめの制服がずり落ちる。
シオン絡みのうわさは大きくなりやすく毎回楽しんで聞いていたが、最後の奴だけはいままでにないほどぶっ飛んでいた。
宇宙人タツマキダーって。分かりやすくていいがせめてもうちょっと捻ったネーミングでも良かったんじゃないか。
当のシオンは指を口元に当て「タツマキダーか……」となにやら考え込んでいる。あ、コイツ気に入ったんじゃねぇだろうな。
停学を免れるには適当な仮説を採用して、しらばっくれるのがいいのだが……都合のいい仮説がふたつも立てられているというのに、あえてうそっぽい宇宙人説に乗る必要はないんだからな、シオン。
「ふ……どうせ本当のことを言っても誰も信じないだろうからな。勝手に想像するがいい」
髪をふぁさっとかき上げ、斜め左下を無意味に見つめて愁いの表情を作る。あっ、コイツ宇宙人説否定しなかった。
だが自然災害防止説とどちらとも取れるはぐらかし方は結果的にはいいほうに転がるだろう。
普通の人は自然災害防止説を信じるが、少し夢見がちな者たちは『宇宙人説が本当なのではないか』と疑いを抱くことになる。
案の定「どっちだと思う?」と教室内がざわめきを取り戻す。
普通に考えたら自然災害説一択なのだろうが、最近一部の女子の間で心霊ブームが起きているらしく、非日常に寛容だった。あえて断言を避けた効果も高い。
断言すると矛盾が出てきたときにそれを追求する形で話が進んでしまうが、一見無意味に見える選択肢でも残しておくと「どちらが本当か」ということで議論が進む。
……つまり、どちらかは「本当」という前提で協議されるようになるのだ。
自然災害防止説の矛盾は、数多い宇宙人説の矛盾で隠されてしまう。
何にせよ他に誰かがいて魔法を相殺したという考えは皆の頭にはないようだ。
シオンと西牧以外にも強力な魔法使いはいるが、先生か女子生徒、もしくは学年の違う人だからな。誰が相手でもシオンが魔法を使ってケンカするとは思えないだろう。
西牧の魔法力が知られていなくてよかった。まぁ西牧も温厚な人間なので、知られていたとしてもケンカ相手とは思われないだろうけれど。
「本当のところはどうなの?」
胸をなでおろしていると、あいさつとともに律花が問いかけてくる。
「何で俺に聞くんだよ」
「松岡くんのことだし、健人なら知ってると思って」
「さぁ。宇宙人なんじゃねぇの?」
適当に答えてはぐらかす。下手に本当のこと話して広まったら大変だからな。この件に関してはノーコメントが一番だ。
俺がしらばっくれていると察したようで、律花が露骨に口端を歪める。
実羚にも話してないんだ。実羚の大事な友だちだからって、そう簡単に教えちゃやんねーよ。
当の実羚は竜巻の話に飽きたのか、昨日見たお笑い番組についてシオンに熱く語っていた。シオンもお笑いなんて見ないだろうに腕組みをしたまま適度に相槌を打っている。
そういえば前もお笑い番組について話していた気がするな。興味ない話はできるだけ切りにかかるシオンがおとなしく聞いているのは、俺が実羚のことを好きだって知ってて、優しくしてくれているのだろうか。
シオンに直接話したことはないが、バレンタインのときなど好きな人がいるということは何回か口に出している。半年近くも一緒にいるシオンなら気づいてもおかしくは……
「おはよう西牧くん」
考え事をしながら荷物を机に入れ替えていると、ターゲットを変えたのか。律花があいさつをしながら西牧のほうへと歩み寄っていた。
やっべ、あいつお人よしだからうっかり話しちまうかも。教科書を乱暴に突っ込むと慌てて後を追う。
「おい律花! おまえ……」
「何。私が西牧くんと話しちゃいけない理由でも?」
しれ、っと返すがそこはクラス内でクールと名高い律花様だ。相手を氷漬けにしそうな冷たい目でこちらをにらむ。こ、怖ぇ。
「こうして話すのは初めてよね」
恐怖で硬直した俺と、突然のことに戸惑っている西牧をよそに笑顔で話しかける。「笹生律花よ。仲良くしてね」という言葉に西牧はコクリとうなずいた。三人の停学がかかっているので必死に間に割り込む。
「いままで話したことなかったんだろ? なんで急に声かけたんだよ」
彼女は浮かべていた笑みをそのままに振り返る。逆に笑顔な分怖く見えた。
「健人が仲良くなったのなら私も仲良くなりたいと思って」
「……竜巻に、ついて?」
律花の狙いをすぐさま理解し、西牧がそう問いかける。律花はそれに動揺も見せず、あっさりと肯定した。
「ええ。でもあなたと仲良くなりたいってのも本当よ」
首を傾けて鋭い目で笑う律花の後ろで、人差し指を口に当て必死に「しーっ」のジェスチャーをした。
こっくりとうなずいてくれたが彼女は本当油断ならねぇからな。しばらくついていたほうが安心だろう。
「西牧くんと健人、急に仲良くなったわよね。なにかあったのかしら?」
「べつに。シオンが居ない間一緒に飯食ってただけだよ。なぁ?」
俺が話を振ると無言でコクリとうなずく。こーゆーときコイツが寡黙でよかったなぁと思う。言葉数が少ない分、よけいなことをしゃべる危険性がない。
「そういえば健人、体の調子はどう?」
「ちょ、調子って? べつにフツーだけど」
昨日のことは知らないはずなのにピンポイントで体のことを聞かれ慌てる。脇腹のあざは残っているが、他のところに見える傷はないはずだ。
「西牧くんと仲良くなってから、健人の調子が悪くなった気がするのだけど」
体の調子ってそっちのことか。うまい言い訳が思いつかずに「あ~……えぇっと~」と言葉を濁す。
俺では埒が明かないと思ったのか、律花はまた西牧のほうに照準を絞った。
「昨日の放課後だって。松岡くんがあなたに話しかけたあと、ふたりでどこかへ行ったわよね。あのときの松岡くんの様子、どう見ても友好的には見えなかったのだけれど。いったいなにを話していたのかしら?」
「……悪い律花、降参。それ以上追求しないで」
両手を上げてため息をつく。ここまでネタが上がってんならもうしらばっくれるのは無理だな。
「話したいけれど俺らの停学がかかってるから詳しく話せないんだよ。見逃してくんない?」
ダメ元で許しを請うてみる。停学がかかっている、という言い方である程度は推測してくれるはずだ。
「健人は大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
停学がかかっているのは俺も同じなので大丈夫ではないけれど……どう答えるのが正解かと迷っていると、西牧に聞こえないよう背中を向けて小さく耳打ちしてくる。
「彼に脅されているとか……」
「まさか! コイツ信じらんないくらいいい奴だぜ?」
なぁ、と西牧に同意を求める。本人は状況が分からずに目をパチパチと瞬かせた。
「西牧くんに健人がいじめられていて。助けるために松岡くんがケンカを挑んだのだと思ったのだけど」
「違う違う、コイツ本当いいやつだから。何でそんなふうに考えたんだよ」
いくら寡黙でクラスメイトと話さないからってとんだ誤解だ。大慌てで律花の誤解を解きにかかる。
「西牧くんの様子を過剰に気にしていたり、調子悪くなった次の日に違う制服着て来たりすれば。そう考えてもおかしくないんじゃない?」
「よく制服違うって気づいたな」
不満気に見つめてくる律花に別なところで感心してしまった。昨日の制服は泥だらけになってしまったのでクリーニングに出している。少し擦れてダメージが残ってしまったが、大きな破れは西牧が直してくれたので着るのに問題はない。
いま着ている予備の制服はちょっとだけサイズがデカい。成長したときのために大きめを買っていたのだ。
予定では二年になったらこっちの制服をメインに着ていたはずだったのだが……なかなかうまくいかない。そんなすぐ分かるほどデカいの着てるつもりはないんだけどなぁ。
「俺が調子悪くなったのはまったくの別件。制服もどっちかっていうとシオンのせいで洗濯出してる感じだから」
「別件の内容は話してくれないの?」
「……話せない、ゴメン」
心配してくれたことだし、誤解をしっかり解くならば話しておいたほうがいいのかもしれないけれど。どこで誰の口から漏れるかわからない以上、簡単に口にすることはできなかった。
「わかった。健人が大丈夫なら別にいいわ」
疑ってしまってごめんなさい、と西牧に謝る。当の本人は気にしていないのか、話についていけなかったのか。表情も変えずに小さくうなずいただけだった。
じ、と律花のことを見つめる。人のことによく気がつき、家業も秘密な謎のクラスメイト。
……人のことによく気がつくのは俺らを監視しているから、とかじゃねぇよな?
クラスメイトを闇雲に疑うつもりはないが、律花については知らないことが多すぎるため警戒心を拭うことができなかった。
誰にも話していない、秘密の家業。それがもし、レピオスに関係することだったら……?
律花はクラスが一緒になったとき、実羚を通じてすぐさま俺に話しかけてきた。他のクラスメイトとはそんな仲良くしようとしないのに。なにかというと好意的に俺らに接してくる。
……魔法力が強いシオンを警戒しているとか? 魔法粒子の秘密に気づく人間がいないか校内を見張っている……なんて。