28 現実 ~あとがきに代えて
――結局の所、「僕」はドラッグストアから出たところで家路につかなかった。真夏の日中どこへも行かず佇んだまま消えてしまった。現実が流れるままに物語は更新されず、もはやその場に靴跡すらない……。
それに天使的な「彼の女」やら「重力解放装置」やら、含みをもたせた連中も今や消えた。そして終局を迎えるにあたっての「異次元病院」だとか、その病院で亜鉛板と銅板を刺されて通電し、その作用によって夢を視ていたミカンのありかとか……。
唐突だが、これらについて作中の「僕」に代わって筆者の「私」が顛末を書きたいと思う。第27部分からこの28部分まで長い時間が流れに流れて――「僕」は失踪した(この長い時間とは筆者自身の現実時間5年を指す)。その後始末をなぜ「私」がするのかはおいおい説明するとして、その足跡を辿ればおのずと「私」に行き着く。かつて両者は同一人物だったのだ。そのよしみで物語を完結できるのは「私」をおいて他にいないだろうし、同時に「僕」の足跡を辿る事で失踪の理由が分かるだろう。「僕」と「私」が混在するが、同一人物だと思ってお読み下されば良い。作中の「僕」と筆者の「私」は虚構から現実への延長線上にいるのだ。
さて話を戻して、第27部分の最後、ドラッグストアの外で立ちっぱなしで思い出すのは深沢美潮先生の『バンド・クエスト』3巻のあとがきだ。そこで先生は「夏の暑い中、ツーニー達を3年もの間立たせっぱなしにしていた」と仰っていたように思う。先生の作品は完結されていたが、私の愚作はそうではない。
私が書いてきたものは引きこもり当時に手書きで溜めたものであり、他者に読ませるものでなかった。当時影響を受けたサブカルの感想を中心に、そこに資料本だとかラジオ番組だとかゲームだとか、或いはそれらの思い出とかを詰め込んだ日記のようなものだ。自室にいながら行き場のない私が私自身を慰めるために書いた理想の物語になる過程で「僕」は現れた。しかし年月が経つにつれ、生活は変わり、引っ越しのどさくさでネタ帳を紛失してからは「僕」も消息を絶ったが、私の頭の隅では「僕」の影がいつまでもゾエトロープのように明滅していた。
かつて「僕」は魂の家族を求めて旅に出た。第2部分からノイズがひどいのは当時流行っていた「電波系」の影響を受けていたし、実際私も少しばかり精神が滅入っていたからだ。電波系は都市伝説ブームにも重複し、『新耳袋』などの怪談ブームにも広がって私が大きく影響を受けていた事による。その不条理性は私達の暮らしの病理であって、憎むべきものであり、さらに当時の私の不運とそこからの脱出を示唆する相反したもののように感じた。それが過剰な文字数としてノイズになったが、そもそもノイズを意識したのは天野こずえ先生の『クレセントノイズ』で、やはり魂の家族を求める少年の物語だった。
そこに故・村崎百郎氏の『電波系』、鶴見済氏の『無気力製造工場』『檻のなかのダンス』の著者独特な「日常感覚の気持ち悪さ」だとか、先んじた夢野久作の『ドグラ・マグラ』『白髪小僧』などが読書体験に絡みついて、全体的にちょっと頭のおかしい文章になったのだ。やれやれ。
余計な話はいったんやめよう。70~80年代の前衛だとかサブカル、中世博物誌や少女マンガ、90年代前半までの児童書の国連世界思想だとか、様々な影響下で僕の足跡を辿るのは煩雑であるし蛇足だった。例を挙げればきりがないし、読み手には至極退屈な事だから省こう(もしも読み手がいてくれたらの話だが……)。
上で「「僕」の足跡を辿る事で失踪の理由が分かるだろう」と述べた。すでに挙げたように理由は引っ越し時の紛失だったが、それまでの経緯について少し述べたい。
さて、実家での数年の引きこもり生活が突然に終わり、着の身着のまま単身世帯となった。そこからさらに1年引きこもってはいたが、金が底をつき働かざるを得なかった。支援の相談だとか通院だとか社会的リハビリもなく、風呂なし四畳半一間のボロアパートで夜勤のパートを始めたのだった。
この頃が今まで一番辛かった。壁床は薄く虫だらけで和式便所のうえ定期的に警官が立ち寄った。隣室にはアルコール中毒の幻聴おじさん、カネゴン(ウルトラシリーズの怪獣)に似た不気味なおばちゃん、歯並びが悪くカビ臭い中国人の老女、奇声を上げる女が連なっていた。特に幻聴おじさんには何度も身の危険を感じた。
そこから引っ越しを繰り返すうちにネット環境を整えて小説の投稿を考えた。読者を作るのではなく書庫代わりにと思っていたが、世の人々がこぞって自作を投稿している様子には驚いた。実家にも前出のマニアック・マンション(アパートだが)にもネット環境などなかったのだ。
夜勤は続けつつ投稿作品に感想を書き込む趣味もはじめ、その縁で出会いもあり他県に引っ越した。夜勤は辞め、通院を開始した。そして自分に合った働き方を模索し生活と家計両面を見直して、嫁(予定)のためにももう少しまともな社会人になりたいところではある。経緯はこんなところだ。
長々と解説めいた事を書きたくなるが、そろそろおしまいにしよう。
しかし不思議なものである。引きこもりの頃に書いたものが転機となって女と付き合うようになり、その後の生活を改めるようになった。誰にも見せる価値のなかった物語は魂の家族同様消え去ったが、この虚構の夢は「私」の現実として軌跡を残している。そう思うと「僕」の退場は意味深長で、物語の続きを外――現実に移行したといえなくもない。作中でしか生きられなかった「僕」が「私」として、今では人の世話を焼くためにせっせと外出したりするのだから。
今後の生活を考えると不安ではある。善にも悪にも人の心は変わる。何年経っても引きこもりの気質は完全には抜けないものだ。とはいえ、実家の湿った布団の中が恋しくなる事はなくなった。もう帰る場所はないのだ。
心血を注いだ引きこもりの物語の結末が現実生活に帰結したのは悪くはない。ただ完結させるための技量と熱意が不足したのは、恥ずかしい事ではある。これは他の自作にもいえる。
ここまで全編をお読み下さった方、申し訳ございません。ご丁寧にお読み下さり、ありがとうございました。
自戒しつつ本作を終えよう。




