25 ボクの視る夢
月日は巡る。時計は回る。
ボクの日常は穏やかに、そして目が回る勢いで過ぎ去っていったけれど、色々な事件あり試験ありでしばしば失敗もした……赤点はともかく巡る季節の早さでボクを追い抜こうとした数々の事件にはホントにヒヤヒヤしたよ。
野外授業で突然外車から出てきた女性に一ノ目が平手打ちをされた「謎のフォルクスワーゲン子事件」。
夏の雷雨と、雨宿りをした少女の傘をたたむ速度との関係を定義すると言い出した奇寺の「傘と残念な結果事件」。
クリスマスを駆け抜けた「ミサ・ホワイトテール事件」と、新年に渡って立て続けに起こった「第2時計塔盗難事件」もあったし、始業式の最中に一ノ目のポケベルから端を発した「ベル番296889286事件」も大変だった。
――ソウソウ結局奇寺の狂言で終わった「第4迷い猫事件」なんてものもあったっけ。
ボクも一ノ目も奇寺もその他のクラスメートもつつがなく、実に高校生らしく、なんら問題のない日々を送っていた。けれど、変わったこともあって、ボクは眼帯をするようになった。片目の病後だ。目を隠して保護する……。
それ以来、一ノ目の態度が冷たくなった気がしていた。朝食の時や体育の時、クラス移動、入浴、深夜のお茶会――明るく声をかけてくれるはずの彼が、ボクの脇を伏し目がちに通り抜ける。まるでボクの体に触れたくないように体をすぼめる。一体何が気に入らないと言うのだろうか? 眼帯のせいだろうか……そもそもボクはなぜ眼帯を付けているのだろうか?
繰り返される日々、季節――太陽の高度、雨粒の数、蚊に刺された回数、虹が描く滑走路だけじゃない。一ノ目が喉を鳴らす回数、一ノ目のアクビの回数、食べた米粒の個数、バツが悪い時のまばたきの上下数、8月31日の帰るさに零した涙滴の美しさ――ボクはそれらをそらんじる。明日はまた一年後に訪う。同じ日は繰り返し巡り、違う日が訪れることはないんだ。
雨に濡れた日の自販機のホットココアの温かさ、ホームシックで苦しくなって深夜に点けたラジオドラマのミステリアスな優しさ、窓から入ってくる野焼きの匂いの清々しさ、図書室にて耳をそばだてる時の密やかさ、一ノ目タヅルの薄い胸から伝わる存在感、鼓動、頼もしさ――何年も何回も繰り返される同じ出来事――未完成の温かさ――家の中から安心して見つめる窓の外の雨。決して雨漏りはしないユートピストの気取った眼差し。不変調和の崩れない建築で語らう夢……。目のかゆみ……。
ボクを避ける一ノ目を片目で追う日々。物語に囲われた永遠の日常的非日常は不変であるハズだけれど、一ノ目の態度はますます硬化し、ボクの眼帯も取れなかった――。
もし誰かがこの独白を聞いていたとしたら――変わってしまったボクの――不変であるハズのボクの独白を聞いたとしたら変に思うハズだね。意味が分からないハズだ。誰かの夢の中での出来事というのも分からないハズだし、その中でボクは親の勝手な取り決めでイヤイヤ転入してきた役回りなのだから。
ボクは当初の「ボク」ではなくなった。そもそも「ボク」は彼女の視る夢――クレープの夢世界の住人ではないんだ。彼女の妹に背負われた時、その肩越しから輝くものが視えたんだ。あの螺旋グロッタの真っ暗闇の中で、ボクを拾ってくれた妹――ボクを捨てた韜晦的母にソックリの妹が光る石灯で照らし出してくれた。ボクを背負ったその先には……卵型に渦巻く真っ白な夢のサナギ……。妹の髪越しにしか視えない不詳の幻足るクレープ姉の心の支えが視えたんだ。
ボクは誰でもない。自分が誰だか分からない。螺旋斜路にウズクマル人形、兵隊のように列する人形群、そのガラス的な少年性をかたどった物のひとつ。冥闇に転がり暗涙を零す石ころ……存在しないにも等しい。書物を開けば物語があるように、いつの間にか在り続けたボクは一個の運動に過ぎない。風や電気のような無始無終のものだった。つまり、ボクは始まりを知らないのにボクで在り続けた。
不詳の時間に螺旋迷宮へ闖入した天使的母ミスティフィカシオンが一体のガラス人形に触れたことで、ボクは在った。母は息吹を架空の個人史的な煙に変じて人形へ吹き込み、そうしてボクはボクを気取っていた。この独白も在らざる脚本のように無始無終の、極めて曖昧でかつ断定的な個人史的偽史によって立っている。つまり、ボクは演劇の俳優なんだ。脚本と名を与えられて、様式的な人生を送る有名で無名な人的な形。誰もがボクの誕生と死を知っているのに、ボク自身はまるで知らない。
そんな思考的隙間を言い訳にするボクという存在しない存在――これ以上の説明は退屈だね。つまり、“螺旋教父域”という領域に踏み込んだ電波的母がイジワルをしようと企んだ。妹が言っていたように最初の階段で“貴種流離”してしまったクレープ姉は、電離層的母の妨害なんだ。その夢を盗んで、いたずらに生まれた不完全なボクに見せた。けれど、ボクは不完全ゆえにボクであった。この単眼はアナモルフォーシス的魔力ゆえに不完全で……おまけに短命だけれど。
虹傘天使的母の思惑をボクは知らない。ボクの眼の作用についても何も知らない。ボクを造ったことに意義などないんだ。だって、ラジオ的母は総じてペテン師なのだから。そもそも物語的な反復による夢なんて“螺旋様”のやることだよ。隣の芝生が青く見えるというやつだね。どうせ羨ましくなったのに違いない。
そんなぺ天使的母はボクを捨てたけれども、多少なりとも母の役に立てただろうか? 今ボクは夢を視ている。幸せな夢だ。一ノ目は兄のように優しく温かい。真っ白い貝殻ような輝く夢をボクは見ている。手を伸ばせないけれど、妹の肩越しから見つめている。焚き火へあたるように視えざる手をかざしている。
しかし、もう終わる。クレープ姉の分身・一ノ目の表情が優れない。単眼のアナモルフォーシスによって歪曲してしまった。「ボク」の眼帯も取れない。かゆみが痛みに酷く変わって目を開けていられない……。
まるで砂が入ったかのように涙が溢れ、痛い、イタイ、居たい……。目をつむっていると眠くなるものだ……。もうお暇しよう……彼女の夢世界が壊れてしまう……妹が泣いてしまう……ホラ子守唄が聴こえてきた……優しい声……重力解放を歌う……人の形の限界……それを打ち破るには……。
姉の夢の中で……グレーテ光が眩しい……このまま……。




