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19 単眼行

 斜路を下る僕らは、再び闇にいた。左回りの螺旋を静かに下降していく。流動なき湖水めいた闇は濁り、空気を遮断している。死した底魚を出入りする湖水のような闇は、そのまま僕らの鼻口を通じて水流し、微かに逆巻いた。その体内螺旋を感じつつぞっとしない気分で手を見つめれば、グレープの指先が繋がれているのだ。草馬高校の貯水タンクに浮かんでいた時もこの闇のような水に浸かりながら、白い肌をしていた。死色を思わせる握り手が、未練がましい死者のそれに見えて怖い。

 先を照らす懐中電灯は一つしかなかったので、心許ない僕らは身を寄せ合って進んでいた。明るさは光円の芯を除いて剥落しているかのように寂しかった。一点の光る単眼を共有するために僕らは不即不離でいた。一行が散り散りとなった第一の階段のようにキザハシがあるわけでなく、スロープ状に道は続くものの、こうも視界が利かないのでは、足許に大穴が開いていたとしても気づくまい。足を取られた時に助けあうため、いっそ死ぬ時は一緒に落ちるため、僕と彼女は不気味に手を取り合った。

 緩やかな勾配を爪先で探りながらの落下行は体力を奪った。単眼の光による視界不良は、一種の擬似的な盲目であり、緊張からくる疲労と相まってますます視力を弱めた。歩調を合わせ、呼吸を合わせ、握手に滲む汗を感じ、無言で落下していく僕らは、これも一種の擬似的な両性具有と化して存在を重ねているかのようだ。闇に狭められた空間を左螺旋する僕らはディー・エヌ・エーの配置図のような形で、新たに身体改変されていくのか。グレープの足のように……。

 自らの心臓と呼吸による体内時計には長針はなく、もとより正確な日時は不明だった。ここにきてから、どのくらい経過したのだろうか。“世界真実の歌”が聞こえてくる気配はなかった。“ミスティー”の介入のせいだろうか。

 やがて僕らは揃って壁にぶつかり立ち止まった。盲目夢中で降りていたものだから、闇と同化していた壁に気が付かなかったのだ。行き止まりだった。

 「センパイ、お客様ですよ」

 と、グレープの差し向ける光に例のガラス人形が現れた。刺激的な電光を体内に取り込む透明な少年的母親。シチューを食すように、音もなく身内に光を閉じ込めてしまう未婚の人形がうずくまっていた。辺りには人形群が次々と照らされ、僕らの行く道を示唆している。冥府行はまだ続くらしい。

 斜路はそこで終わり、横へと開けていた。踊り場かと思いきや、螺旋回廊に平坦はなかった。物事の限りない変化万生は螺旋の本懐でありながら、同時に反復の至福を体現せしめる“螺旋教父域”にはいまだ足を踏み入れてなかった。現実的な建築構造か、“ミスティフィカシオン”の介入による歪曲なのか、いずれにせよ、螺管を中心にトグロを巻く螺旋装置・僕はアナモルフォーシス的運動を、それと知らずに行っていたようだ。光の届かぬ遠くの闇に姉さんが鮮明に居る、手を振っている、ありがとう、と……。“重力解放装置”の動力は、まさか姉さんとアナモルフォーシス的運動なのかしらん。

 などと、佯狂ゴッコを嗜んでいたのだが、奥へ進むにつれガラス人形どもが増えていくようだ。以前は兵隊のように両側へ並べられていた。今度は加えて通路のあちこちに路傍されて、僕らの歩を鈍らせた。グレープの話では、それぞれが“静”と“動”を表している螺旋のマークであり、螺旋の中心へと近づくための試練が待ち受けている標識なのだという。

 もう一度、螺旋出廷しなければならないかと思うと、胃の捩れる感があるものの、恥ずべき一人児戯を思い返したような後ろ髪の想いが残った。身体の螺旋変化は奇ヴィジョンに過ぎない。しかし、あの時流れたる耳鳴り(歌)とともに半機械化する事の“楽しみ”を残していった。人と鉱物の合いの子、畸形の児。修道女のグレープ・ヴィジョンも綺麗だったなあ……。

 「単眼ニウス」

 通路は狭かった。兵隊人形のせいで両脇が圧されていて、転がるウズクマリ人形を踏み越えて行かなければならない。懐中電灯一つの単眼行には厳しかった。何度もつまずき、僕らは助け合って進んだ。またいだり避けたりと、大きく焦点をそらすグレープの単眼に照明の効果は小さいが、時折彼女の爪先を照らしだしたりした。

 靴がやぶれ、素足が出ている。しかし、左足は至って月並みだった。斜路を下るまで、彼女は足を引きずっていた。左足を着くと哀女エリザベータのように回転してしまうというので、僕の肩に掴まっていたのだが、螺旋法廷を出てしまうと何事もなく歩いて斜路に差し掛かった。やはり螺旋魔術による奇ヴィジョンに過ぎないのだ。とはいえ、靴が欠損している……。僕らは黙々と進んだ。

 電灯を専ら浴びるのは、針路上のガラス人形だった。一様にうずくまった人に見える。螺旋法廷の入口を施錠していた鍵人形に似ていた。大きさもマチマチで、手を着かなければ跨げないものもあった。施錠時の気味の悪い感触を思い出したが、あの時のような変質は見られなかった。同じように頭部が欠損し、光をいやらしく屈折し、呼吸もなく、静かだった。

 生者である僕らの息遣いが蛾のようにフスフスと浮遊するだけで、長い通路は音もなく、塵埃もなかった。汗ばんできたところでグレープが立ち止まり、ツ……と左壁を照らす。

 壁龕がある。特別に誂えたものか分からないが、半円状にくり抜かれ、敷石とつながっている。その窪みに一体のガラス人形が横たわっていた。仰向けになって、色調を帯びている。他とは容子が違った。

 今まで目にしたものは一様に膝を抱えてうずくまり、透明なガラス状であったが、そいつは赤子がひっくり返ったような、停止後の半翅目のような格好でいた。人の形であるが、下半分はガラス状に、頭部には赤味が差し、まるで生きているかのような、蝋人形のような……。グレープの光目電灯がジッと頭部を照らして、僕らはそいつが生きている事を知ってしまった。瞬きをしたのだ。眩しそうに巨大な眼をすぼめて――。

 そいつは赤子のような頭部だった。しかし、鼻口もなく耳もなく、顔一面に巨大な目があるのみだった。楕円形の頭骨は小さく、色の悪い皮膚が凧の布めいて張り付いていた。母に打ち捨てられたかのように仰向ける姿は鳥葬然として何とも憐憫を誘い、グロッタの闇に包まれてなお夜魄たる感があった。僕は変形に関する怖気、その社会的な作法のような態で思わず目を逸らしたが、単眼の魔力に引きつけられて凝視し、思えば社会の片隅で確かに運命づけられた誰かの姿形である事実に至ると、“重力”打倒に思いを致す。

 とはいえ、幻めいた眼前単眼王子と、実社会における出自を比する事は解離している。ここは螺旋グロッタだ。不詳の幻足る現実なのだ。

 グレープが息を呑みつつ、ソロリと屈んだ。無言で電灯を接近させると、単眼人形は両引き戸のような瞼を閉じた。左右に分かたれた上目蓋とまつ毛は肥大で、尖卵形の目を弱々しく覆った。同じくして、グレープの懐中電灯が急に暗くなった。

 「替えの電池は……」

 僕は持っていなかった。そう聞くと、頤から自分を照らしてニヤッと笑う彼女。不気味である。

 「妾もありませんわ。荷物の大半は第一階段で“貴種流離”してしまいました。今頃どこぞの壁の中にめり込んでいる筈です。ご心配なく。まだ明かりは生きていますわよ、虫の息ですけれども。それより、ホホ」

 と、弱り濁った光の灯で遺児を照らしながら、

 「電池の事よりもセンパイが気になるのは、この子なんじゃないですか。怖がりで有名なセンパイが、ホホ、この子を差し置いて他の事を気にかけるなんて」

 真っ暗闇をどう進めというのだ。巨人の子は驚異であるが、視界を奪われる事の恐怖で焦燥してしまう。グレープはいつもの調子に戻ったけれど、この先どうするつもりなのか。

 単眼児は、またそっと眼瞼を開いた。赤ん坊の息遣いが聞こえた気がした。ウス…ズ…という漏れるような音。鼻口はない。すると、不気味女の虫息電灯が息を吹き返して、煌々開眼とした。嬉しくなるなあ。

 「さあ行きましょう」

 電灯を手渡してくると、彼女は屈んだまま、歳不明の単眼少年に背を向けた。

 「ホラ、明星の少年を乗せて下さい。おんぶしますよ」

 「連れて行くのか」

 「センパイ引きますわー。子供を置き去りにするなんて悪党のする事ですのよ。“螺旋様”は観ています。この子は目印でありますし、一つ目故に視える光景がアナモルフォーズなのです。この児の頭部が螺管で、取り巻く周囲が螺旋を描くのです、キット、タブン、モシモ――モシモシ今アナタの後ろにイるの……」

 鳥葬少年を照らせば再び眼蓋を閉め、懐中電灯が明度を下げた。明かりをどければ開眼し、輝く。いつの間にか単眼児の弟めいた電灯は、やはり「単一」電池を内蔵しているのだから仕方がない。弟を従わせるのは兄の謎めいた魅力によるものだ。隠れ家・地図・樹上・屍体探し――いつだって兄の先導により「照らされる」。その魔力は、おそらく螺旋境と通底する筈だ。

 さて……と、半翅目単眼児を見下ろして躊躇した。恐くて触れたくなかった。そもそも実体なのだろうか。頭部を除いて身体はガラスなのであり、透き通っている。臓腑や血流はなかった。首元に硝子と肉体の境目が分かるものの、生の仕組みはまるで分からなかった。グレープが催促してくるので、オソルオソル硝子体に触れてみた。まずはうつ伏せにし、背負えるようにしなければならない。

 単眼灯を置いて、なるべく頭部を見えぬようにしながら、ヒンヤリと、微妙に柔らかい硝子像に手を掛けるが、かなり重い。腰が引けていては無理だ。思い直しヨッと深く腰を入れた時に、ウス…ズ…と音を発した。もしかしたら目縁の音かもしれなかったが、置かれたレンブラント・ライトに現れる単眼児の光罪はいよいよ非現実でありながら、生の恐ろしさを直感させた。正視できなかった。自身の可能性の一つでもあった。

 ヤケクソになって抱え上げると、背を向ける賢者よろしくグレープに押しつけた。支えきれず、おんぶしたまま突っ伏す彼女。ゴツンと鳴った。スマン、勢い余った。姉さんが笑った……。

 ヨロヨロと重量挙げをする彼女を介添えした。「フウン」と鼻息荒く女子力を発揮するグレープは華奢ではないらしい。僕は光罪灯を拾った。力んで微妙な表情の母親的グレープの肩口から、巨眼が覗いている。

 「子供が欲しくなっちゃった」

 と、おどける彼女達は奇異であった。しかし、像一体に結ばれる姿は霊妙でもあった。鷲と美少年、ヒュアキントスと単眼的円盤のような、正常ならざる一体であった。人魚メルジーナの在りし日の姿。

 架空の母子を支えつつ、僕は歩き出した。片手を添えて、歩調を合わせて、グレープの足先を照らす。変わらず左足はマトモだった。もしや単眼の魔力に、と思ったが、しっかり歩けるようだ。

 壁際の兵隊人形は、相変わらず僕の電灯を同時・過剰・多重に映していた。両列が明かりを導くようであったが、もう壁龕はなかった。ウズクマリ人形群も現れなくなり、平坦な敷石道がつづいた。単眼硝子人形がウス…ズ…と発すると、グレープがいちいち返事をした。本当の子供をあやすようだったが、僕は何も言わなかった。グレープが持ち直す度に、両腕の使えない児はずり落ちそうになった。

 光眼一点を見つめる歩は次第に眠気を誘った。不思議にも便意や空腹は全く感じないのだが、眼が効かなくなっている。睡魔は恐ろしく思えた。前後不覚になれば再び仲間とはぐれてしまうかもしれない。気を抜くと寝こけてしまいそうだと注意しつつも、現に膝が折れて転びそうになった。ガクンとする僕を、クスリと彼女が笑う。

 「歩きながら寝てしまうなんて、パパはとっても器用ね」

 「ウス…ズ…」

 「マア、そうなの。ここから下り道だってパパに教えてあげて」

 「…」

 ビックリしながら先を照らすと、なるほど、また斜路になっていた。まだ歩くのか。

 「そいつは本当に喋っているのか」

 「エエ。すごく小さい声ですから、そばだてなきゃ聞こえませんよ。言っておきますけど、おんぶさせませんから。ネー」

 「ウス…ズ…単眼ニウス」

 緩やかな斜路だが、母子が転倒せぬように僕は二人の目前を進んだ。最初と同じく左回りの螺旋だったが、少し明るく感じた。擬似母子の会話劇に励まされたと思いたいが、睡魔の来襲にもう余念がない。

 これといった物音もなく暗澹とする道のりが続き、僕は黙って会話を聞いていたが、無聊を慰めるには至らず、ついには気持ちの悪い眠気に支配されていた。夢魔の腰掛けとなった頭はドンヨリとし、頭痛に似た酩酊感が広がった。薄目で、正気を失いながら、垂れたヨダレで目を覚まし、キャグウ……と再び眼蓋を下ろしつつ、ヨダレが襟を濡らし慌てて拭う――僕は夢砂の揺籃に囚われていた。背後ではメルジーナの巨眼が見据えている――円眼の射程にも囚われ綱渡りするかのような僕に、グレープは心ともなく歌うのだった。

 子守唄かもしれない。その物寂しい口踊を聴きながら、砂男から瞳を庇うようにしばし微睡んだ。


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