序章
「ふあ~~~~あ」
黒と白のメイド服姿の女性が、欠伸を噛み殺しながら暗い廊下を歩く。
新人時代はこの深夜の見回りが怖くて仕方なかったものだが、二年近くこの屋敷で働いている現在では、寝る前のちょっと面倒な仕事でしかない。
懐中電灯の小さな光と共に歩く、外から時折響く車の音と虫の声、後は自分の足音だけがこの廊下の音。
……の、筈だった。
――――くすくすくす
確かに、聞こえた。
「ひっ……!」
息を呑む。
そんなはずはない、あるはずが無い。
……しかし、確かに聞こえた。
――――あそぼう?
「……嫌っ」
恐怖に引き攣った声が自分の喉から洩れるのが、まるで他人事のように聞こえた。
(今の声は何?)
聞こえた声は、確かに小さな女の子の声。
そんなはずはない、ありえるはずが無い。
この屋敷に小さな女の子は一人しかいない、そして、その一人の……毎日聞いている声を聴き間違えるはずが無い。この声は、どう考えてもお嬢様の物ではない。
――――ねぇ、あそぼうよ?
またも聞こえる。
しかも、近づいている。
心臓が痛いほど高鳴る。背中には嫌な汗が滝のように流れる。今すぐにここから走って逃げるか、振り向いて懐中電灯の光を声の方に向けたい。
しかし、動けなかった。
―――――動いたら死んでしまう。
食われる側の恐怖が、彼女の全身の動きを完全に止めてしまっていた。
メイド仲間の間でで最近囁かれている噂を思い出す。
そんな訳ないと、鼻で笑った与太話が、現実の恐怖となって彼女の心を黒く塗りつぶす。
完全に恐怖に押しつぶされた彼女は、唯一動かす事のできた口で、言葉を紡ぐ。
それは、ありえない問いかけ。
しかし、彼女にとって逃げ道は、もうそれしか残っていなかった。
「お……おじょ、う……さま……ですか?」
――――ざぁんねん、はずれだよ。
耳元で、囁く声が聞こえてきた。
「――――――ッッッ!」
上げたはずの彼女の悲鳴は、ただ肺から空気が漏れただけの音になり、暗がりの廊下の空虚に消える。
――――さぁ、あそびましょう。
後ろからそっと重ねられた小さな手が、彼女の握る懐中電灯のスイッチを消した。




