22 「お前、秘密は守れるか?」
基地にはあいかわらず、液体燃料型エンジンが剥き出しのまま鎮座していた。
エンジンからは吸熱用のパイプが伸びて、その先にはボンベが置かれている。ヴェルナーとリンドバーグが両手を伸ばせばいっぱいになる程度のガレージの半分を、エンジンが贅沢に占有している。
そんなエンジンの脇で申し訳なさそうに置かれた黒板を前にして、ヤスミンカがうなっていた。機体の絵の計算の後がたっぷり書き付けられている。推力天秤を運んでいたリンドバーグが、急に足を止めた。
「バランスが悪すぎるんだ。そうだろう?」
ヤスミンカが首肯した。
「どこへ飛んでいくかは、ロケット任せなのよ」
「どういうこと?」
つられて立ち止まったヴェルナーが会話に加わる。
「構造的な欠陥なんだ。いまの構造は投影面積を小さくする関係で、とにかくエンジンの上に燃料タンクを積み上げているだろう?
下から押し上げる形になるから、まったく安定しない」
リンドバーグが答えた。推力天秤をヴェルナーに預けると、立てかけてあったパイプを掴んで指先に乗せて、指の力だけで放り投げる。
パイプははじめこそまっすぐ飛び上がる。次第に傾き始め、彼が再び受け止めた時には二十度ほど傾いている。
「いま、俺たちが思いつける最良のロケットの構造が、このパイプだ。
一番したにあるエンジンで、積み上げた燃料を持ち上げるってのは、パイプの下端だけで支えて、真上に放り投げているみたいなもんだ。
いまは無風だからすこし傾くくらいですむが、風に吹かれると、とてもまっすぐには上がらないよな」
「飛翔体にはすべからく、重心を中心に回転運動が起こるのよ」
ヤスミンカが捕捉する。
「この回転運動をとめなければ、ロケットは縦にも横にも飛ばせないわ。正確には、飛ばしても無意味な結果になるとわかっているから、やりたくないってことなんだけど」
「それで、対策は?」
「答えをすぐに求めようとする姿勢は、いますぐにでも改めたほうがいいと思うぜ、ヴェルナー」
リンドバーグがたしなめるようにいった。
「けれど、お嬢にも対策は思いついていないらしい」
「なんでわかるんだ?」
「理由は三つある。
ひとつは、ヤスミンカ嬢が、俺たちの前で頭を抱えていること。
ふたつめは、なぜか今日は、俺が話の主導権を握っていること」
「みっつめは?」
ヴェルナーが尋ねる。
「俺たちが連日徹夜をしていないこと」
「おそろしく説得力があるね」
「だろう」
リンドバーグは力強くうなずいた。ヤスミンカが面白くなさそうに頬を膨らませるので、ヴェルナーは黙って頭を撫でてやる。素直にしぼんでいくあたりが素直で、ヴェルナーには微笑ましい。
「だから、俺たちにできることはと言えば、お嬢の脳が活性化するために、議論を重ねることにある」
「いまが、ヤースナの思考回路に近づくチャンスってわけだ」
リンドバーグは首肯した。
ヤスミンカも、ヴェルナーのされるがままになっている。異論はないようだった。
「ひとつ引っかかっていることがあるんだけど」
「なんだ?」
「ヤースナのロケットはうまく飛んでなかったっけ?」
ヤスミンカの肩が、ぴくりと震える。
よく気づいてくれました、という喜びを必死に押しとどめているようだったが、まったく隠せていない。
「風見効果を上手く利用しているのよ。だから、半分は解決してる」
ヤスミンカはチョークをとった。するすると流れる動作でロケットの形をかき、中心あたりに点を書いた。
「まず、ロケットは飛行中、あらゆる部分に重力を受ける。この中心が重心で、ロケットは外力を受けたとき、この重心を起点に回転するの。つまり、重心は回転の中心と言い換えても構わないの」
ヤスミンカは説明しながら、点に回転の中心と書き込んだ。
「つぎにロケットは、空気の中を進むわけだから、空気の流れによる力をうける。その中心を空力中心というの。ロケットの姿勢は、回転の中心と空力中心の位置関係によって決まるのよ」
ヤスミンカは、回転の中心より後ろに、空力中心の点をうがった。
「なぜなら空気からの力は、翼が力を生まなくなれば、なくなるから。どういう時かわかる?」
「ロケットの周りの空気の流れが、対称になればいいんじゃないか?」
リンドバーグがいった。ヤスミンカは首肯し。ロケットまわりに、空気の流れを書き足した。
「そのとおり。回転中心より後ろ側に空力点を置いておけば、機体は都合よく、安定してくれることがわかっている」
「なぜ後ろ側なんだい?」
ヴェルナーが尋ねた。
「あなたの指摘するとおり、空力点は前に置いても良さそうなものよね。
でも、ちょっとイメージしてみて。前方でちょっとでも姿勢崩して傾くとどうなるか。
翼が力を受けるわよね。その力がさらに、機体を傾けて、さらに傾いてしまうわ。そして勢いがついて、グルンと一周して、回転中心の後ろ側で、安定する。
だから重心の後方に空力点を置くことが、構想設計の最適解よ。
ちなみに安定解と不安定解という検討があって」
ヤスミンカは、数式を記述しはじめた。そして止める間も無く、黒板をかききってしまう。続きはどこにかくべきか、と黒板全体をみかえしたあたりで、本来の話を思い出したらしい。
そして、髪をわしゃわしゃとかき回してから、咳払いをして、ヴェルナーに向きなおった。
「話がそれるところだったわ」
分別のあるヴェルナーは、彼女の失敗を指摘しないだけの優しさを持っていた。
ちなみに要領の良いリンドバーグは、推力天秤をしまうとかなんとかいって、抜け出してしまっている。
「とにかく、進行方向と回転軸が一致するように上手く設計すると、飛翔体が空力的な安定を得られる構造を作り出すことができるのよ。
この原理が、風見鶏から見つかった原理だから、風見効果」
「話だけ聞くと、そのままロケットに組み込めばいいように聞こえるんだけど」
ヴェルナーがぼやくと、ヤスミンカは首を振った。
「でも、現実にはそうならない。なぜだかわかる?」
「重すぎる、とか?」
「そのとおり」
ヤスミンカが嬉しそうにいう。
面倒を見ていた学生の成長を喜ぶ教師の顔をしている。ヴェルナーもつられてうなずいたものの、実のところどういう意味かは、まだ正確に理解していなかった。
「風見効果を利用するには、前提として、風から受ける力が、機体を動かすために十分な力である必要があるのよ。
つまり、わたしたちは、エンジンと燃料と燃料の入ったタンクと、それらを覆う筐体を動かせるだけの力を、風の力から取りださなければならないことになる」
淀みなく話していたヤスミンカは、なぜか言葉をきり、少ししてからまた口をひらいた。
「機体が受ける力を大きくする方法は、流体力学の点からみれば二つあるわ。
ひとつは相対速度を上げること。速度差が大きいほど、得られる力は大きくなる。これは、強い向かい風が吹いているか、機体の速度が速ければ速いほど効果を発揮する。
もうひとつは、翼面積を大きくすること。力を取り出す面積が広ければ、より力は取り出しやすくなる。
けれど、これはどちらも達成困難な課題だわ。
前者は、速度が遅い状態、つまり打ち上げ直後は全く機能しないし、後者はわざわざ、空気抵抗を大きくし、かつ機体の総重量を増やすことになっているのよ」
ヴェルナーはうなずいた。繰り返し似たような説明を受けているうちに、なんとなく、言わんとしていることが理解できてきた。
細部はともかく、ヤスミンカのロケットがうまく飛んだのは、全体が軽かったという結論らしかった。
詳しく説明することは、必ずしも相手の理解には繋がらないんだなあと実感するヴェルナーである。
「軽いって正義なんだね」
「ええ。でも金属って、重いのよねえ」
ヤスミンカはぼやいた。
「じゃあ、エンジンの出力をあげてみる?」
ヴェルナーは軽い気持ちでいった。
「溶けるわ」
ヤスミンカはあっさり断言した。
「素材を替えるとか」
「軽くて丈夫で加工が簡単で熱にも強くてそこそこ流通しているお手頃価格な夢の材料があれば」
「別の手を考えよう」
ヴェルナーは主張を引っ込めた。
ヤスミンカが答えようとしたとき、リンドバーグがどこか楽しそうな足取りで戻ってくる。
「つまり、風見効果とは別の何か見つかればいいわけだよなあ」
ようやく戻ってきたリンドバーグが、身を乗り出していった。
「長いトイレだったね」
「そう褒めるな」
ヴェルナーの絡みを軽くいなし、ヤスミンカにいった。
「機体そのものを回転させることを提案する」
理屈よりも実験して確かめるほうが早いということで、ヤスミンカの作ったロケットを改造すること二時間。打ち上げた機体は想定通り機体軸を中心に回転しながら、まっすぐに飛翔した。
「気持ちよくまわってるね」
ヴェルナーが目で追いながらいった。
「だろう。少しだけ尾翼を傾けてみただけでこれだ。最高の成果だ」
リンドバーグは、誇らしげにいった。
「なんで?」
「回転を加えれば、安定するんじゃないかと思ったんだ。銃弾とか砲弾が狙った通りに当たるのと、同じ原理のやつ」
「ライフリングの事であれば、確かにそのとおりよ。でも、だめ」
ヤスミンカはばっさりと切り捨てた。
「配管だらけで軸の定まってないエンジンが、わたしたちのエンジンなのよ。無理に回転させたら、向心力だか遠心力だかで自分から壊れにいくようなものよ」
「機体の一部だけを回転させるってのはどうだ?」
ヤスミンカが、しばらく真剣な表情で考えこんだ。
うつむいてあごに手をあて、ぶつぶつとつぶやくこと数秒。
ヤスミンカはさっと身をひるがえし黒板の前に駆け戻ると、チョークを手に取った。
熱にうかされたように文字やら数式やらを書き殴り、黒板に書ききれなくなるとしゃがみこみ、なんのためらいもなく床に書きつけていく。思いつきを取りこぼすまいと、一心に追いかけている。
「これから忙しくなりそうだぞ」
リンドバーグが満足そうにいった。ヴェルナーはうなずいた。
「いいアイデアだよ。さすが先輩」
するとリンドバーグは、微妙な表情で頭をかいた。
「ライフル云々てのは、後付けなんだ。お前、秘密は守れるか?」
ヴェルナーはうなずいた。
「もちろん。ないしょ話は大好きですよ」
リンドバーグは、耳元で彼だけに聞こえる声でささやいた。
「ここだけの話、トイレで小さい方をしているときに思いついたんだ」
ぎょっとして、リンドバーグを見るヴェルナー。
けらけらと声をたてて笑う彼の先輩は、まさにいたずらが成功したときの悪ガキだった。
ヴェルナーは深々とため息をついた。




