66 「だから、考えなさい」
捜索は難航する。
一秒ずれるだけで七・九キロの誤差。
角度が一度ずれるごとに、高度分の誤差。加えて、外乱がどのくらい入り込むか未知数という状況は、素直に計算すると、シベリヤ平原のほぼ全域が着陸予想範囲なのだ。
頼りになるのは、イリーナが発見した、確率統計学。
彼女が、連行される直前、ヴェルナーに託したノートに記していた、魔法のような方程式。
もっとも確率の高い地点を算出し、確認に向かう。発見できなければ、その旨を反映して、再計算して、確率の高い地点を算出する。これを繰り返し、探索する範囲を極力小さく絞っていくのである。
――連綿なる式のように解くといいと思います。
イリーナの声が聞こえた気がした。
彼女はとっくに、ヴェルナーの知る世界を超えていた。
彼女は自分で宇宙への船を組み、帰る方法までを入念に計画していたのである。
いまや、彼女の記した方程式こそが、彼女の居場所を突き止める、唯一の道標である。
その標を頼りに、ヴェルナーらは、ペンをひたすらに走らせる。
計算を書きつけていくのすらもどかしい。
いまは一刻も早く時間が欲しいというのに。
焦る。
焦ってもいい。
存分に焦れ。だが、間違うな。
「解けた」
ヴェルナーがマイクに飛びついた。座標をつげ、もっとも近い部隊が移動を開始する。発見の報告はなかった。
「もう一度、解きます」
ひとつの可能性を潰し、別の地点に落下している確率が高まっていく。
もどかしく感じながらも、生還に一歩近づいたのだと解釈し、必死にペンを走らせる。
二度目もヴェルナーがとき、三度目は計算班のひとりが解を出した。
どの地点にも、イリーナの姿はなかった。
何かが、おかしかった。
さすがに、ロケットの欠片すら発見できないのは、想定外の事態だった。
何かが、間違っているのだ。着陸地点を予測する、式のどこかが。
どこだ?
スピーカーからは、砂嵐が聴こえるばかり。
だというのに、焦りが募るばかりで、肝心の思考が働かない。
ヴェルナーのペンが、止まった。
「ヴェルナー」
大佐が肩を小突く。彼を現実に引き戻していく。
「すみません」
管制室の誰もが、ヴェルナーに注目していることに、やっと彼は気づくことができた。
「ヴェルナー。皆、あなたに期待しているわ。
イリーナちゃんを導いた、あなたの実力に。
だから、考えなさい。
あなたが他人より有利なことがあるとすれば、それは経験に依るところのはずよ」
経験。
彼が経験したことは、誰よりも先に、ひとを打ち上げたこと。
だが、その時は弾道軌道だった。彼女から直接、フィードバックを受けたわけでもない。
ヴェルナーは、叫ぶ。ほとんど泣きそうになりながら。
「そんな無茶言わないでくださいよ。
いまだってあの時だって、そのずっと前からだって、計算予測と着弾地点は一度も一致してはいないんですよ」
その時だった。
一度も一致していない。
自ら発したその一言が、ヴェルナーの記憶を開いていく。
確かに、一致していない。いつから一致していないのだろうか。
おもちゃのロケットを飛ばしたときから?
軍の嘱託になったときから?
ペーネミュンデで、V2を完成させたときから?
SYシリーズの何代目から、上手くいかなくなったのか。
はじめは、上手くいかないことは、製造技術が未熟だからだと思っていた。
だが、ドクツで世界一の加工技術を手に入れてからも、そうはなっていない。
むしろ、上手くいかなくなったのは、自分たちのロケットが完成してからではないか――?
彼の頭のなかで、飛び地だった知識同士が、明確に線として繋がっていく。
先ほどの会話。
回転が止まらないこと。重量が変わっていること。逆噴射エンジンの確かな燃焼。
何か、見落としているものがある。
どこだ?
自分はもう、気づいている。そういう、確信めいた予感がする。
ヴェルナーは深く、深く考えた。
SYシリーズの着弾予測が収束できない現象が、はっきりと思い出されていく。
そして、イリーナに託した武器を使って、自分でも問題を切り分けていく。
いままで、当たり前だと思って、疑っていなかった事象に焦点を当てて。
「大気の影響をもっと大きく想定するべきなんだ」
ヴェルナーが弾かれたようにペンをとる。
彼の気づき。
大気のリバウンドである。
突入回廊の突入式から得られる虚数解。
イリーナがノートにまとめた式は、完璧ではなかったのだ。
彼女が省略した、この数字の意味するところに、注意を払ってやる必要があるにちがいなかった。
ヴェルナーは脳裏で、克明にイメージする。
水面に弾かれてとぶ水切りの石のように、ロケットが空気の層に弾かれるところを。
大気の力を、侮っていた。
弾かれたとしても、地球の重力を振り切るほどの力はないと勘ぐっていた。ありえないと思って、考えることをやめていた。完全に盲点だった。
弾かれる度に、確実に減速するのであれば。
そして、機体の突入角が変わるのだとしたら、その影響は想像していたよりも。
自分が飛んでいきたい感情を、力でねじ伏せて、通信機にとびつく。
間も無く、一時間が経とうとしている。
一分、一秒が惜しい。
「東に向かって飛んでください。そう遠くまでいっていないはずです!」




