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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第二章 イリーナ・セルゲーヴナ
130/138

60 ――叱られて終わるんだと、思っていました。

 組織のトップは孤独である。

 誰にも相談できない。目指すべき方向を聞いてくる部下はいても、正しい道を教えてくれる先達はいない。

 いま、自分が感じているのは、かつてヴェルナーが感じた孤独なのかもしれない。そう考えると、少しだけ慰められるような気がするイリーナだった。


 彼女はひとり、夜空を見上げていた。今宵は新月で、つまり月明かりはない。

 星々は、天高きところから、自分を見下ろしている。

 命の木霊が呼んでいるような、はかない明るさだった。あの中に、自分が打ち上げた人工の星が加わっていただなんて、数日たった今でも冗談にしか思えない。


 自分は星に呼ばれているのかもしれない、と柄にもなく思う。詩的な表現を使っている自分を発見して、イリーナは苦笑した。

 ひざの上で丸まっていた猫ちゃんが、イリーナの心の不安を察したように、にゃーごと鳴いた。猫ちゃんの喉もとをかいてやりながら、はやりイリーナの視線は、いまだ宇宙へ向けられている。

 彼女の思考を邪魔するものはなにもない。イリーナは、散発的に頭に浮かんでくる事柄を、吟味していく。

 自分は、事実を正しく認識している。

 少なくとも、そう思い込もうとしている。

 成功したのは、一回のみで、統計を取れるだけの数をこなすだけの資金も機会もない。


 ――叱られて終わるんだと、思っていました。


 イリーナはぼんやりと思った。

 式典までの期間は、残すところ一ヶ月。

 計画を進めていけたとして、仮に欠陥が見つかった場合、解決策を見出すための時間はない。ひとを打ち上げた後、バックアップとして救援に向かえるような技術もない。

 無事に帰還するための方策は、いまだ未熟なままであるとの認識は、なにもヴェルナーだけのものではない。

 宇宙へ臨むイリーナ本人が、技術的困難を認めていた。

 だが、ヴェルナーは気づくことができなかった。

 現場から離れてしまっていたからか、イリーナの実力を読み違えていたからか、あるいは、その両方か。

 とにかく、彼は見逃した。


 自分が、はじめから、帰ってくる気がないことを。


 スプートニクは、打ち上げからおよそ三ヶ月で、地球の重力に引かれ落下し、大気圏で消滅する。

 重量を削減するなかで、必死に盛り込んだ温度センサーが、彼のために貴重なデータを残してくれることを期待している。そして自分も、スプートニクと同じように、知見を残して消えるだろう。

 理論による試算では、五○○○度を下らない。

 大気圏再突入時、ベリリウムが十分に熱を溜め込んでくれるという、確信が持てない。

 唯一の可能性は、エンジンの燃焼試験時に見つけた、プラスチック部材。

 ロケットノズルに利用した際、ガラス繊維を配合したプラスチックに覆われた部分だけ、意外なくらいに熱に耐えていたことを、たまたま発見したのである。

 イリーナの経験に裏打ちされた勘が告げる。これが、今後一○○年に渡っての最適解になる、と。

 だが、自分の部下たちは、ガラス繊維との配合比も、母材の樹脂を量産できる技術も、それを衛星に貼り合わせる十分な加工技術も、持ち合わせていない。

 おそらく、ヴェルナーのチームにも、知見はないだろう。

 だからこそ、彼は聞き、イリーナははぐらかした。

 それでも、イリーナがやりたいと望み、結局は、彼女の望みを達成するために動いてくれるという。


 ――なんて、優しいひと。


 彼を想う心に、偽りはない。

 だから、十三・七Gの根拠についても、誤魔化すことしかできなかった。


 ――まず僕は、この十三・七Gという数字の根拠について聴きたい。


 彼が問うたことの意味をイリーナは痛いほど理解している。

 自分がロケットを通して学んだことは、まさにこの根拠を持つということなのだから。

 でも、その根拠をイリーナは語らない。

 語れない。

 語るつもりもない。

 本当に知る必要などないのだ。


 サ連がかつて、月を目指したことがあるなどということは。


 極限環境への挑戦。

 ひとはどこまで耐えられるのか。なにをすると、死に至るのか。

 仮想敵国に対する、科学的な絶対優位性の確保を目的に、科学者が暴走した事案。

 独裁者スターリンが科学者をシベリヤに追放した、本当の理由。

 かつて、陸海空軍から独立した連邦宇宙軍なる組織が存在したことなど、知らない方がいい。

 科学者が粛清対象になった最大の理由であり、イリーナが通訳として生きることになった直接の原因。


 ――まさか、唾棄すべき過去が役にたつなんて。


 でも、だから、言う訳にはいかなかった。


 ――兄さん。あなたにはわからないでしょう。あなたの心の片隅に、わたしの存在を刻み付けておきたいと願う気持ちは。


 覚えておいて欲しい。

 願わくば、綺麗なままの自分を。


 望まなければ、楽だった。

 気づかなければ、傷つかなかった。


 きっと、いまの自分に必要なことは、人形になりきって、魂の震えを抑えることだろう。

 ロケットに本気になっているという前向きな感情以外に、何もないと自分を騙すのだ。

 彼と共に勝ち取れるものに価値を感じ、その上で、彼を自分の計画に引きずり込むことが、記憶してもらうための絶対条件。

 通信の届かない、地球の裏側まで、たった九十分程で行って帰ってくる。

 そして、灰になって、燃え尽きる。

 これで全て、綺麗さっぱりだ。自分にとっても、彼にとっても、この国にとっても。


 また、猫ちゃんがにゃーごと鳴く。

 捕まえるまもなく膝から飛び降りると、何を見つけたのか、ベッドの下に潜り込んでしまった。

 ぽかぽかしていた膝元が、急に冷え始める。

 そのひんやりした感覚が、先ほどから感じていた孤独を増長させる。


 ――わたしはいま、まともなのだろうか。いびつで、嫉妬に狂って、いるのではないだろうか?


 何度問いかけても、結論は出ないまま、夜は更けていくのであった。

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