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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第二章 イリーナ・セルゲーヴナ
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48 「スプートニクの唄です」

 フルシチョフが指示をだし、まもなく官製のラジオが運ばれてくる。

 無骨で面白みのない、この国のどこでも見かける、ラジオである。大佐がタブを合わせる。

 わぅわぅわぅ、というサイレンの音が響いた。


「これは?」


「人工衛星、スプートニクの唄です」


「どこから」


 大佐は、黙って指を上に向ける。


「まさか」


「成功してもらっては困る人たちがいるのです、同志」


 だから、連絡が来ていないのだ、と大佐は言外に、指摘する。

 あなたの組織は機能していますか、と。


「さて、同志。もう一度お尋ねします。あなたはどこまでご存知でしたか?」


 大佐は妖艶に微笑んでみせる。


「打ち上げにいらしてください。もう一度、成功させてご覧にいれます。

そして、その目で確かめてください。わたしの言葉が、虚言ではないということを」


「よかろう」


「それと、お願いがございます。あと、すこしだけ、国家安全委員会に鼻薬を嗅がせていただけませんか。同志が懇意になさっている組織です。お力をお借りいたしたく」


「なぜだね?」


「有能な科学者を取られてしまいまして。できるだけ穏便に取り戻したいのです」


 フルシチョフは、すこしだけ意外そうな顔をした。


「それだけかね」


「他の連中のように、対抗馬を消して欲しいと泣きついてきたと思われたのですか?

 密偵も、内部告発も不要。わたしは結果を出しますから。

 同志の力を借りにくる部下ならば、不要ではありませんか?

 第一、誰かを排除するというやり方、同志は好きではないでしょう?」


「いい性格をしているようだね、君は。よろしい。中央委員会に、君の席を用意しよう。もちろん、君がR-7の開発を完遂してくれれば、であるが」


「おまかせください。同志フルシチョフの顔写真で、西側の科学雑誌(N・タイムズ)の一面を埋めてみせます」


「それができれば、我々は苦労しないのだが」


 フルシチョフは肩を震わせて喉を鳴らした。

 大佐はすました口調でいう。


「可能ですよ。R-7開発計画からは、外貨が匂うんですもの。きっと、この国の皆さんの想像以上の衝撃が、世界中に走ることを予言しておきます」

 目をむくような額を稼いでみせた人間がいう言葉である。根拠に乏しい匂いという表現すらも、凡人のそれとは重みが違う。

 フルシチョフは遂に声を立てて笑い、それから、思い出したように尋ねた。


「だが、鼻薬の方は、難しいそうだ。急いだ方がいい。遺憾ではあるが、この国ではいまだに、ひとを消すことにかけては一流でね。ひとり消えるまで、三日もかからんはずだ。

 君、エリア68への連絡手段を知っているかね。最短でも六時間はかかるのだよ」


 サ連の電信会社は、雪のない時期は、自転車で電報の回収をおこなっている。内容を複雑なコードで暗号化し、自転車で回収する。しかもすでに十七時を回っているため、営業はとっくに終えている。

 冗談のように聞こえる内容であるが、この葉を隠すなら森の中。暗号文を隠すなら、電信の山こそが定石であり、特別扱いをあえてしないことで、合衆国の密偵をあざむいているのである。

 フルシチョフの問いは、電信事情を承知していたからこその、心付け。何も知らなければ、そう聞こえたはずの、親切。

 だが。


「それは、おかしなことをおっしゃる」


 大佐はにっこりと笑う。


「冒頭でも述べました通り、わたしは、真に、同志の信念に賛同しています。

 政敵を殺さなくてもすむような政治をすべきであるという、あなたの信念は、正しく伝わっていると思います。

 ですから」


 大佐の目的ははじめから、イリーナの救出などではなかった。

 そんなこと、自分の力だけで出来るのだから。


 ――ヴェルナー、あなた、政治家としてはまだまだね。なぜ自分が、発砲が一発だけだったと把握していなかったんだもの。


 この、現場に居合わせなければ知らないはずの簡単な矛盾に、気づいていない。その甘さ。

 大佐は、イリーナが誘拐されるところまで、監視部隊から報告を受けている。なんなら、どこに監禁され、どんな扱いを受けているのかまで、知っている。

 大佐が動かなかったのは、身内が未だ、取り返しのつかないほどに、傷つけられていないからだ。

 その上で、ヴェルナーの交渉に乗せられたふりをしたのは、別の目的があったから。

 それは、フルシチョフから譲歩を引き出すこと。

 そして、その譲歩を橋頭堡に、駆け上がること。サ連の国家中枢に食い込むこと。


「街とロケットを取るか、末端組織を失って、使い道のなくなるホットラインを取るか、選択してくださいません?」


 国家の命運を握るプロジェクトを、監視下に置かない政治家がいるはずがない。


「軍という表だって動かせない道具は不便でしょう。

 さりとて、秘密警察のように、全方位に恐怖を振り撒く存在も排除したい。

 だが、危険な手札を持っているという事実は、相手にも伝わっていなければ意味がない。

 わたしは、最高に使い勝手のいい暴力装置であると、自らを規定しています。その点、いかがでしょう?

 それに、せめて、試金石にされた本人たちの気づかぬところで、解決することが、大人の礼儀ではありませんか?」


 大佐がいう。フルシチョフはニヤリと笑った。


「君を鎖をつけて飼い殺すのは、随分と難しそうだ」


 人間の本性を見極め、手懐け、自分のために働かせる。清濁をあわせのみ、結果を出し続けることを覚悟し、実践するだけの度量がある男だからこそ、あと一歩で、世界の半分を手にするところまで来たのだろうから。


「ご安心を。鎖を噛みちぎるだけの能力があったとしても、檻の中で昼寝をしていますから」


「食えないやつだ」


「お褒めに預かり光栄です。それでは」


 大佐はそういうと、素晴らしい敬礼をして、退出する。フルシチョフは、無言で見送った。




 無事にベールイドームを出た大佐は、夕闇に染まりつつある空を見上げながら、葉巻をくわえて、優雅な動作で火をつける。

 久方ぶりの、緊張感に満ちた交渉だった。

 大佐が利用したのは、集団的パラノイア。この国の中枢が感染している病気だった。

 この国はかつて、誰もが信じられず、恐怖に支配されていた。

 そこからの脱出を図ろうと試みるフルシチョフは、実に豪胆かつ勇気のある人間だった。


 だが、彼もまだ、囚われている。

 誰かが、裏切っているかもしれない。知っているべき情報を、確保できていないかもしれない。信じられるのは、自分の目でみた情報だけであり、だからこそ彼は、自分の目で視察に来るのだ。

 彼は、完全にはサ連邦中央委員会を信用しきれていない。

 その点こそが、付け入る隙であった。

 大佐のポケットにあるのは、小型の発信器。人工衛星に積まれる発信用の電波を覚えさせただけの、おもちゃである。


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 大佐は、文字通り自分の人生を賭けたのだ。R-7の成功に。

 彼女がもぎ取ったチャンスは、あと一度だけ。

 失敗は、絶対に許されない。


 よどんだ灰色の空で、街にはまもなく夜のとばりが降りようとしている時間帯。

 着いたのが昼間であったから、通されるまでに随分と待たされていたらしい。

 だが、一仕事終えた後の葉巻に勝る喜びはなく、甘い煙が先ほどまでの緊張を洗い流してくれる。

 ふかぶかと吸い込み、一気に吐き出した紫煙は、風に巻かれて消えてゆく。

 ぽつんと灯った炎が、道しるべのように先行きを照らしている。


「あとは上手くやりなさいよ、ヴェルナー」

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