40 「中途半端な優しさは」
設計第一局の一室で、ヴェルナーは頭を悩ませていた。
そこは、イリーナの個人的な研究のために色々と設えていた場所で、つまるところ、人工衛星開発部隊の工房である。
工房にいるヴェルナーと、大佐の二人を除いて、R−7打ち上げの準備に駆り出されていた。
「大佐、そろそろ」
ヴェルナーが、念のため教えておくという感じでいう。
大佐は振り返りもせずに、肩をすくめてみせる。
「あきれた。これを一月あまりで組み上げたわけね? しかも、二つも」
大佐の視線のさきには、衛星を特別な存在であると知らしめる、台座が二つ並んでいた。
片方の台座には、全長三メートルあまりの円錐金属が乗せられており、もう一方には、ベルベットの布が敷かれているだけ。ただし、布には重い何がしかを置いた証拠である皺がよっている。
皺の意味するところはひとつである。
「すこし、小さくなったのかしら?」
「いろいろ諦めましたから」
衛星は、欲張りなくらいに盛り込んだ、意欲作である。
基本的な機能に加え、観測衛星として、できうる限り許されたスペースに、とにかく盛り込んでいる。
位置と成功を示す送受信器をはじめ、アンテナが四本、電離層の観測装置に、ガイガーカウンター、二台の光度計。データ保存用のテープレコーダー。主電力を担う一対の太陽光パネルと、予備の蓄電池。そして、犬か猫くらいなら乗せられる実力をもった、生命維持装置。
もちろん、装置を詰め込めば重量は増加する。重量増加を推してもなお、搭載を許容する度量。
ロケットの運搬能力に対する、自信の現れでもあった。
「誰の設計?」
「イリーナです」
「そう。彼女はどこに?」
「どこにって、そりゃ、打ち上げ準備ですよ。あの子が目の回る忙しさだから、病床からでてきたばかりの僕が大佐の相手をしているんですよ」
「まるで、わたしの相手をするのが重荷である、みたいな口ぶりね」
「うがった見方ですよ、大佐。恩人を疎ましくおもうわけないじゃないですか」
「そう? 過分に嘘が匂い立っているのだけれど」
「いじめないでください」
ヴェルナーが両手をあげる。大佐はくつくつと喉の奥で笑いながら、胸元をまさぐり、シガレットケースを取り出した。流れるような優雅な手つきで葉巻を引き出し、口に咥える。ヴェルナーが泡をくったようにとめに入る。
「禁煙です」
大佐が不本意な表情をするのをみて、気密作業時に紫煙が機械に与える影響について事細かに主張するべきか否か、ヴェルナーは瞬刻思案する。
「あなた、本当に真面目ね。ちっとも変わらない」
大佐が面白そうに微笑むのをみて、本気で吸うつもりはなかったと察したヴェルナーは、胸を撫で下ろした。
「人間が、そう簡単に変わってたまるもんですか」
「でも、イリーナちゃんは、結構変わったと思わない?」
「そうですね。ちょっと期待を押し付けすぎたかもしれませんけど」
「あら、わたしは褒めてるのよ。
この国が失敗するとすれば、一極集中の弱さのためね。
優秀な人間に資源を集中し、他が追随できない成果を上げる。これはつまり、それ以外のところには手が回っていない、ということの裏返しなんですもの」
「それは、ドクツ時代の反省ですか?
ロケット技術への過度な期待がドイツの財政をひっ迫した、という戯言を大佐の口から聞きたくはなかったですね」
戦略的に、ミサイルとしてのSYシリーズは役に立たなかった。防衛は不可能でも、過度な弾薬が載せられず、命中精度にも難があるのだから、兵器としては二流以下だ。
しかし、防御不可能かつ、後方の安全地帯という概念を打ち崩した心理的な影響は計り知れるものはなく、圧倒的な物量を背景に合衆国が宣戦を布告、戦争の趨勢を決定付けた。
合衆国は恐れていたはずだ。
自分たちが開発できてしまった核兵器が、ミサイルに搭載されるのを。ミサイルを造る技術力を持ったドクツであれば、容易いことなのではないか、と。
現実には、ドクツに核開発をするだけの余力はなく、合衆国は自国の影に怯えていただけであったとしても。
「まさか。あそこで浪費しなければ、今頃ドクツという国はもっと悪徳を重ねていたはずよ。
でも、今回は状況が違うわ。サ連は核を手に入れている。そしてまもなく、核弾頭を運ぶ船を手に入れることになるわけね。そうなれば、本当に、戦争が変わるわよ」
「変わりませんし、変えさせません。ロケットが成功したら、次は、衛星と有人飛行です。
その次は、月。宇宙への旅は、まだ、始まってもいないんです」
ヴェルナーは力強くいう。
「そう言えるあなたを好ましく思えるわ、ヴェルナーくん。あなたたちは、確かにチャンスに向かって正しく努力している。とても上手くやっているわ。
その点は、高く評価するのだけれど。わたしは二つばかり、心配していることがあるのよ」
「大佐が心配事だなんて、今日は嵐になりそうですね」
大佐は薄く笑う。
「かもしれないわね」
「それでも、僕は、宇宙に行きたいんです。どんな手を使ってでも」
「あなたが、そこまで宇宙を目指すのは、なぜかしら?」
「それが、心配事ですか?」
「ええ」
「誘われたからです」
「誰に?」
「ヤースナにです」
「あなたが頑張るのは、あの子のため。そうなのね?」
「いけませんか」
「まさか。あなたは変わらないなって思っただけよ」
大佐はにっこりと微笑む。
「あなたは、変わらない」
確かめるように、大佐は繰り返す。ヴェルナーは、話の先が見えないもどかしさと、打ち上げの時間が差し迫っていることを気にして、端的に問う。
「もうひとつの懸念点は?」
「あなたが変わってしまっていないか、ということよ」
「どういう意味です?」
同じ意味合いの言葉を告げられて、ヴェルナーは困惑する。
大佐は、火のついていない葉巻をもてあそびながら笑う。
「なぜ、『あの子』はここまで、頑張れたのかしら」
「それは僕の口からはなんとも――」
軽く口にしたところで、『あの子』という言葉の指し示す対象が変わることを、悟る。
ヴェルナーは、一秒に満たない時間、正体を失った。
それは、ヴェルナーが胸の奥に仕舞い込んでいた難題だった。無造作に、突きつけられるそれの鋭さは、物理的なナイフよりも鋭く、ヴェルナーの心を刻む。
「ヴェルナー、『あの子』が何を欲しがっているか、あなたはちゃんとわかっているの?」
「家族、だと思います。 信頼できて、安心できる家族」
ヴェルナーはいう。なぜか声が震えてしまいそうになるので、彼は必死に抑えなければならなかった。
大佐は、つまらなそうにいう。
「あなたに、今のわたしの気持ちを理解できるかしら。あなたが何も分かっていないことを、わかってしまったわたしの気持ちが?
もっとも、わたし自身、とても奇妙な閉塞感を覚えるいまの心境を、うまく言葉にできないのだけれど。
あの子は、誰よりも努力したわ。
たった一年で、ロケットの全容を理解する人間を、わたしは知らない。たとえ勝手を知るあなたに指導されたのだとしても、『あの子』は紛れもない天才だわ。
それで、質問なのだけれど。
あなたやあなたの想い人が宇宙を目指す根底には、互いを思いやる心の割合が少なくないわけよね。それじゃあ『あの子』の場合はどうなのかしら」
「イリーナの力を借りるたびに、なんだか申し訳ない気持ちにはなります」
ヴェルナーは懺悔するようにいう。
「だったら、せめて、優しくしてやらないことね。中途半端な優しさは、かえってあの子を傷つけることになるのよ?」




