1-5-1 エピローグ その1
不自然なほどに心地の良い眠りから醒めると、俺は医務室のベッドに寝かされていた。
戦闘は……終わったのか?
あの後、どうなったのだろう。隣のベッドで呑気にエロ本を呼んでいた香椎さんに尋ねてみたところ、「天海」とだけ返って来た。
えらく夢中な様子で……。
俺に意識をやるつもりはこれっぽっちも無いらしい。察するに、俺達が倒れた後は天海が丸っと収めたという事なのだろうか。なら、最初から全部自分でやれよと思わないでもなかったが、ここは無事を以て「生きているなら、いいか」と前向きに投げ捨てる事にし、俺はもう一度眠りについた。
言うまでもないが、この「生きているなら」には、当然、俺以外の者も含まれていた。しかし、寝起きのぼうっとした頭で決めつけた「無事」という前提が間違いだった事を、俺は二度寝から起きた直後に知らされた。
「あ、ジンゾー爺さんの処遇が決まったみたい」
そう言って、香椎さんが見せてくれたタブレットには《人事ファイル:26d6-JP-229》のページが開かれていて、その備考14には、
〝精神干渉――不可。
危険性を鑑み、拘束処分とする。〟
と、簡潔な報告が綴られていた。
「精神干渉――不可?」
初っ端から引っ掛かった聞き馴染みのない文言を読み上げると、寝ぼけた意識の外から「知らねぇか?」とダルそうな声音が聞こえて来た。ゆっくりと振り向いた先には、眠そうな顔の灰崎さんが備え付けの椅子に座っていた。
お見舞いに来てくれていたのか。俺は、彼の視線から“あの話”をここでは出さない事を確認してから、続きを促した。
「脳だよ、脳ミソ」
そう言って、灰崎さんは自身の頭をトントンと叩いた。
「前にΕをヤるには脳を破壊するしかねぇと言ったが……実は、それにも落とし穴が合ってな。やる気が下がるといけねぇから、あの時は言わなかったけどよ、能力者の脳に死なない程度の傷が付いちまうと、能力が暴走しちまう事があんだよ」
「じゃあ、今の岸さんが……そう、なってると……?」
「多分な。前に似たような文で『拘束処分』になった奴はそうだった」
有形無形を問わず、周囲のありとあらゆる體へ向けて無差別に能力を行使してしまう。この時、Βであっても、Ε或いはそれ以上の干渉力を発揮するらしい。となれば、『深度優先則』もある事だし、箍の外れた超大な干渉力の中心に触れるなんてのは容易じゃない。『精神干渉――不可』とは、そういう意味か。
灰崎さんの説明を頭の中で整理し終えると、隣で黙って聞いていた香椎さんが口を開いた。
「でも、それって前例がひとつしか無いよね。結構話題になったけど」
「いや……レベル4資料まで入れると三例だ。相当レアな事にかわりはないがな。しかし、命あっての物種とは言うが、こうなっちまったのは果たして幸運か、それとも……」
続く言葉を適当に濁し、肩を竦めた灰崎さんは「それじゃあ、戻るわ」とだけ言い残すと、こっちの返事もまたずに立ち去っていった。
見送りながら、なんとなく見遣った時計の針は三時を少し回ったところ。つまり、前の瞳さんの様に、昼休憩の間に来た訳ではないらしい。
「ねぇ」
香椎さんが俺に話しかけてきた。
「彼と神辺くんね、私たちが麻薬カルテルの相手をしてた時に、普通の仕事を回される様になったんだって。普通の交渉だよ? 青とか黄色相手の」
「へぇー。MCGの人手不足もそこまで来ましたか」
「ははは。場合によっては、私たちもその内にやらされるんだってさ」
笑う香椎さんに「そういえば、六道さんは?」と聞くと、彼女も同じこの部屋に入室していたらしいが、俺が最初に目を醒ます前に何処かへ消えたらしい。
六道さんは猫か、何かか?
そうして、互いにベッドに寝転がったまま、他愛の無い会話が続くかに思えたが、その流れは灰崎さんと入れ替わりでやって来た足音に打ち切られた。
今度の見舞客は千覚原さんだった。相も変わらずファンシーな格好をしている。怪我はないと聞いているが、その厚い化粧越しの顔色は、まるでナスの様に変色していて、とても健康とはいえない。
カサカサに乾いた唇が、病的に震える。
「匡人くん……」
どうやら、俺に用があるらしい。
気を使ってか、それとも巻き込まれるのを疎ましく思ってか、香椎さんはまだ多少痛むだろう体を起こして席を外してくれた。
「千覚原さん、情報部の仕事は良いんですか?」
千覚原さんが小さく「うん」と頷いた。
「また、研修を受ける事になったから……」
「そうですか」
答えると、それで会話が終わってしまった。
千覚原さんは俺の足元に立ち尽くしたまま、口元を老人のようにまごつかせている。話しづらいのだろうが、そこを上手く引き出せるほど、俺は聞き上手じゃあない。それでも、拙くも促してみる。
「それで……何の用ですか? お見舞いじゃあないんですよね」
これが俺の限界なので千覚原さんの出方を見る。
彼女は暫く両手を落ち着き無くすり合わせていたが、秒針が一周する頃にようやく「ごめんなさい!」と叫んで頭を下げた。
しかし、俺に謝られるいわれなどない。
「何を謝られているのか分かりません」
意地悪をしている訳ではなく、本当に心当たりが思いつかなかった。
そもそも、千覚原さんとの関わり自体がそんなにない。REDに対して、恐怖らしき感情を抱いている様に見えたので、こっちからは余り近付かない様にしていたぐらいだ。まあ、最後の方には、彼女の方から妙によって来た様な気がしたが……それぐらいだ。
「あの時……私、工場の地下で変な事を言っちゃって……」
そう言われてから俺は初めて思い出した。「あの時」とは、女――艶島九蟠と戦った時の事だろう。確かに「変な事」を言っていた。しかし、あの時におかしかったのは千覚原さんだけでなく、香椎さんもそうだし、俺もそうだ。気にすることでもない。
「ああ! 何か言ってましたね。あんまり聞いてませんでした」
「それでも……ごめんなさい……」
俺は「良い、良い」と適当に返すが、千覚原さんの謝罪はポツポツと繰り返される。全く、「良い」と言っているのに……。
と、そうして何度も同じやり取りをする内に気づかされた。
彼女が真に許して欲しいのは『俺』でなく『自分自身』だ。
不意に過った考えだが、恐らく正しいだろう。論理パズルを解いた時のような妙な確信がある。彼女は自分で自分を許す為の禊として「俺への謝罪」という形を取っているのだ。
なんて、とんでもないエゴイスト。
要するに、この鬱陶しい謝罪は彼女が満足するまで終わらないのだ。
そう認識を新たにすると逆に段々と腹が立ってきた。これ以上、同じ答えを続けても意味薄だろうし、それに……俺だって少しぐらい『我儘』を言ってもいいだろう。
おあいこだ。
「ごめ――」
「じゃあ、千覚原さん。聞いてもいいですか?」
「……えっと……」
俺の唐突な切り出し方に当惑する千覚原さん。
だが、気にせず続ける。
これから投げかける問いは、実際、深いところで千覚原さんとは関係なく、現状に託つけて前から気になっていた“個人的疑問”の答えを得る為の問いだ。
「誰かを好きになると、人ってのはああするものなんですか?」
愛。
友愛だの、家族愛だの……俺にはとんと縁のないものだった。
前々から疑問に思っていたが、香椎さんにあれこれ言われてから余計に分からなくなった。
千覚原さんの言う「変な事」の内容を、俺はあんまり聞いていない。少しだけだ。その断片を思い返してみるに、あの時、俺より間近で「変な事」を聞かされていた筈の艶島は「昔に惚れていた男の話」と称していた筈である。文脈を辿って考えると、やはり、それは俺なのだろう。
だが、ここで「そうか! 千覚原さんは俺を好いていたのか!」と、単純に得心する事はできなかった。
共同生活中で、千覚原さんの態度が変化した事は察していたが、如何せん、彼女から受けた感情表現が非常に迂遠、かつ遠慮がちなものだったので、人間関係に長けている訳でもない俺には識別し切れなかった。加えて、艶島九蟠への異様に媚びた態度も見ている。
一体、そのどちらが本当の愛情表現なのか。言葉少なに伝わっているかは知らないが、表面的に、俺が聞いているのはそこである。
返答を促す様に正面からじっと見詰めると、千覚原さんは「えっと、えっと」と言葉を詰まらせて、あからさまに困った様子をみせる。
困れ、困れ、大いに困ってくれ。
今度は、ちょっぴり悪戯まじりだ。
しばらく続いた「えっと」の反芻を終えて、すっかり顔を俯かせてしまった千覚原さんは、蚊の鳴くような声で言った。
「……わかんない」
そうか。分からないか、千覚原さん。
俺もだよ。
「はは、参考になりましたよ。まぁ、あんまり気にしないで下さい、俺も気にしないので。……話は、もう終わりですか?」
千覚原さんは何も言わず、壁掛け時計の秒針の音が聞こえるほど静かに、くるりと背を向けた。その去り際、チラリと此方へ流された淡い目付きには、何か、夢想だにしない行間が隠れているように思えた。
白いパーテーションの向こうから、かすかに響いた閉扉の音を聞き、俺は枕に頭をうずめる。
そのまま、不貞寝でも決め込もうという腹づもりだったのだが、半分眠りこけた意識に、ふと、瞳さんの姿が浮かんできた。それも私服や現在のMCG制服でなく、初対面時の雨に濡れた姿だ。垂れた髪が、顔にピタっと張り付いていて、その表情は良くわからない。
この邂逅の後に俺は拾われた訳だ。
何て言われて付いてったんだっけ。
……あれ? おかしいな、思い出せない。
そもそも、声を掛けられたのかどうか、という所から既に曖昧だ。
声を掛けられた様にも思えるし、掛けられてない様にも思える。しかし、声を掛けられてもいないのに、当時、荒んでいた俺が初対面の瞳さんにノコノコと付いて行くというのも不自然な話だ。
そう昔でもない頃の筈なのに、考えれば考えるほど頭には霞がかかってゆく。
やがて、その答えを見つけられぬままに俺は眠りについてしまった。




