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Ascension / 次元上昇  作者: 塩麹絢乃
第五章 被支配世界のアセンション
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5-2-9 Operation Enduring Freedom : 不朽の自由作戦 その3



 一人の罪人はこう言った。

 ――俺は悪くない、と。

 彼がそう(のたま)理由(ワケ)は概ね『環境が悪いから罪を犯した』という具合に決まりきっている。バリエーションとしては『政治が悪いから』『貧乏だから盗みをした』『アイツが悪いから(復讐のために)殺した』なんてのもあるな。


 また、一人の罪人はこう言った。

 ――俺が悪かった、と。

 彼は自らが犯した罪に対して真摯に向き合い、懺悔し、今後の人生に於いて二度と不当なる行いに手を染めぬよう、更生に励むのだろう。その後、本当に更生するかもしれないし、しないかもしれない。


 ここで言いたいのは、果たして二人の罪人はどちらがより『()()()』のだろうかという事。世間一般の道徳的に言えば後者が『()()()』として問題ないが、俺はそのような観点こそズレていると考える。往々にして蒙昧な人間が陥りがちな発想の落とし穴。


 何度でも言わせてもらうが、()()()()()()()()()()()


 それは、寄る瀬なき宇宙を生き抜くために人間が作り出した形のない虚像。洞窟の影(イデア)……とは、少し違うか。言ってみれば、(さかずき)に映る月、呑み干さば消える酔の花でしかないんだ。


 さっきの罪人の喩えで言えば、実のところ、道徳的な善し悪しを除けば二人の罪人に違いはないと俺は考える。一人は現状を肯定し『自己正当化』しようと試み、一人は現状を否定し『正そう』と試みているだけ。

 二人の罪人は、共に『正しく』あろうとしているだけなのだ。


 では、動機は同じ『正当化』であるにも関わらず、行動に差異が生ずるのはなぜだろうか。

 俺は、その原因を突き止めた。


 ――思想だ。


 昔、遥か昔。

 人間が知性を獲得したその瞬間に限り、思想というものは純粋だった。

 教義、哲学、理想――古来より人間が自然より見出し、経験則に基づいて築き上げたもの、それが思想だ。しかし、その純粋さは一瞬の輝きでしかない。思想は、他の人間が持つ思想と交わることで、容易く歪み、穢れ、純粋さを失ってしまう。


 何故か?

 それは人間が『正しく』あろうとする()()を持った生き物だからだ。


 自然より見出される思想は千差万別。受け継いだ文化によって、育まれた土壌によって、或いは思想を生み出した当人の気質によって、行き着くところは当然のように異なってくる。

 そんな異なる思想が正面からぶつかった時、我々はどうすればいい?

 同趣(どうしゅ)の思想。

 異趣(いしゅ)の思想。

 慮外(りょがい)の思想。

 直面した別の思想に鞍替えするのか、それとも己が思想を固持するのか。或いは両方を取り入れ第三の思想(ジンテーゼ)に活路を見出すのか。


 俺たち人間は何をもってそれを選択すればいい……?


 ……分からない。

 寄る瀬なき宇宙では、人間はどこへ向かえばいいのか分からない。

 地面が必要だ。

 天上が必要だ。

 指針が必要だ。

 だが、自然界には判断基準を懇切丁寧に教示してくれる指導者など存在しない。自らの(うち)から見出さねばならない。どうすればいい? 必要なものが存在しないというのに、それでも人間は止まることができない。


 そうだ。

 分からなくとも、人間はいずれかを選び取らなくてはならなかったから。


 だから、人間は判断基準たる指針――()()()()()()を生み出した。

 ……生み出してしまった。

 生み出さざるを得なかった。


 これが人類最初の過ち。

 ()()とでも称すべき、進化の過程で会得した生存の術。

 またそれ自体も一種の思想。


 ――それが、『正義』という概念の正体だ。


 故に、俺は()()なのだと言った。

 飲まず食わずで生きられる人間がいるものか。子孫を残さずして何が生命か。

 それと同じこと。

 ただひたすらに『正しく』あろうとせずして何が人間か。何が社会性動物か。


 しかし……思想の価値を決めるのが、結局また別の思想?

 そう考えると、なんと愚にもつかない循環論法だろうか。

 それでも、俺はその()()を肯定した。『正しさ』が太陽のように明るく道を照らし、それにより人類が迷うことなく、幸福に繁栄を享受していけるのなら……。


 だが、現実はそうなってはいない。

 場当たり的な指針を定めた人間は、やがて、思想の取捨選択の為に生み出した筈の()()に振り回され、存在しない『正義』とやらを盲信し、『我が思想にこそ正義あり』と潔白の惹句(じゃっく)を以て、思想を歪め始めるようになった。思想の一種である、『正義』そのものの有り様すらも……。


 惹句の一つは権威。典型的なところでいうと『神』や『地位』だ。

 惹句の一つは道理。ただ『合理的』であることを由とする。

 惹句の一つは感情。不平不満を『煽り』、或いは募る『数』をもって圧する。


 馬鹿げた話だ。虚像といえど、せっかく見出した指針を自らの手で穢し、捻じ曲げるとは。度し難い。その所為で、人間はどこへ向かえばよいのか、また分からなくなってしまった。昨日は右を指していたものが今日は左を指し、また明日は後ろを指しているかもしれない。


 権威も。道理も。感情も。

 全てが『正しく』また『正しくない』……どうして、それが分からないのか。


 思想とは『正しく』あればあるほど良い。無数の思想から答えを選ぶ為に、人間はそう仮定せざるを得なかった。それ自体に文句はない。だが、その『正しさ』の正体とはなんだったか? それもまた、人間が生み出した思想の一つだ。その思想すらも捻じ曲げてしまうようなら……。


 もはや、()()()()()()()()()()()()()()()


 しかし、だからといって『正しさ』を求めなければ、指針が存在しなければ、人間はどこへ向かえばいいのか分からないままだ。それ故に、俺は『正しく』あろうとする()()を肯定し、惹句を排した思想を新たなる指針として広めるべきだと考えた。


 ただ『正義』、これのみを求めよ、思索せよ。


 かつて、権威、道理、感情の何れにも訴えることなく、今現在に至るまで影響を及ぼし続けるキリストや仏陀のように、正しき教義を打ち出し、目指すべき理想を掲げ、あるべき哲学を説いて回ろうかとも考えた。

 しかし、それでは駄目だ。不完全なのだ。

 仮に全世界を導けるほどの『羊飼い』を演じきれたとして、その後はどうするのだ。


 ()()()()()()()……?


 恐らく、現代に残るキリスト教徒や仏教徒のように、俺の説いた教義、理想、哲学――思想を、不肖の弟子(迷える仔羊)どもが好きに勝手に惹句(じゃっく)を以て歪め、その残滓を舐めるように生きるだけだろう。

 ()()に目を晦ませ、寄る瀬なき宇宙を彷徨い歩くことになるのだろう。

 その心に、平穏はなく、常に不安定なままなのだろう。


 未来永劫、けして揺らがぬ地面が必要だ。

 未来永劫、けして遮られぬ天上が必要だ。

 未来永劫、けして間違えぬ指針が必要だ。


 ……だが、果たしてそんなものが存在し得るのだろうか……?


 俺は……ないと思う。


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