#2 革命前夜 後編
いつもと変わらぬ静けさを纏っていた住宅地に男子生徒の怒号が響き渡った。
「てッめェ……殴ったなァ?このエリートの顔をッッ……」
ついノリと勢いで成績優秀者が正義であるこの『デジタル社会』に革命を起こすかのように、垣峰守郎は地位を利用し金を巻き上げようとした不届きものの顔面を殴り飛ばした。その光景を見て心がスカッとした天条心二だったが……改めて冷静に、避けて通れないであろう未来を考えてみるととても笑ってはいられないことに気づいた。
「……ねぇ心二?」
斜め後ろで心二と同じように傍観していた今西優璃は声音からもわかるくらいに不安げな表情を浮かべながらこちらに呼びかけてきた。
「……どしたの優璃ちゃん」
言わんとしていることは容易に察することができた。
「これ、停学モンだよね……?」
ザッツライト。守郎さん、御愁傷様。
学校での昼休み。学業の地獄から一時の安らぎを生徒達にもたらしてくれる至福の30分間。一つの放送が入った。
『一年三組垣峰ぇ天条。今すぐ生徒指導室に来るように。』
ただそれだけ告げられてお昼の優雅な時間を飾るクラシックが流れ出した。
(案の定呼び出しを食らったか。成績優秀で顔立ちもそこそこ整っていてしかも品行方正(笑)な眩しいくらいの秀才って化けの皮を被った我が桜南高校の一年生、橿場直之の顔面を殴り飛ばしたってんなら教師陣も黙っちゃいないだろう。)
「んじゃ、守郎。頑張ってこいよ~オレはこれから優璃と優雅なランチタァイム♪」
「……?おいおい。お前も呼び出されたろ」
ぇえ?と心二は目を見開きながら守郎に尋ねる。
「なんの冗談だ?オレはなにもしてないだろ」
「でも放送にお前の名も挙がってたろ」
守郎の死刑宣告じみた事実を未だ受け入れられない心二に通りがかった優璃が止めの一言。
「そんじゃ、がんばれー!あたし由美らと購買で数量限定のキャラメルラスク食べてくるねー♪」
「うわぁぁぁんオレも食べたいよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
涙が出そうになった心二だった。
生徒指導室に向かう心二、守郎の足取りは重いなんてモノではなかった。
ダッダッ、と発散しきれない怒りを地面にぶつけるかの様に歩んでいた。二人の心境は同じ。
「あのクソ野郎。オレの昼休みを邪魔しようってんなら容赦しねぇ。教師だろうがなんだろうが……」
「くそっ……くそっ!オレの優璃と過ごす優雅な昼休みに食べる至高のキャラメルラスクをあの野郎……」
「「……生爪剥がしてやる」」
生徒指導室前、本来ならここでノックの一つでもするんだろうが今の彼らにそんな常識などは毛頭ない。
ドアノブを回し勢いよく足蹴で扉を開け放ち一言。
「「オレらは悪くない(ねぇ)!!」」
早速生徒指導室を見回す。指導教師は二人。一人はおどおどしながらこちらを伺う心二達一年三組の担任教師、花江幸。いつも教室で見せる女神の微笑みは皆無だった。普段から笑顔を浮かべる花江先生にそんな顔をさせてしまったことに少し反省をしながらも隣で堂々と鎮座する男教師に目を合わせる。
生徒指導担当の鬼神勇次郎。その表情は名の通り鬼神の如し。それ負けじと心二も凄んでみせる。しかし、童顔な心二に威嚇の効果は期待できそうにない。隣の守郎を見てみると流石と言うべき威嚇顔がそこにはあった。さながら修羅の様。
「そこに座れ」
背後でズウゥゥン…、と効果音が聞こえそうな凄みをきかせた命令が鬼神先生からくだった。
望むところだ、と二人も凄みをきかせながら座る。まずは心二が物申した。
「なんでオレまで呼ばれてんですか?何もしてねぇでしょうが」
おかげでキャラメルラスクが食べられないでしょうが!死ね!ゴリラ!!と心のなかで付け足しておいてこちらは涼しい顔で鬼神先生の返答を待つ。
「……被害にあった橿場からは自分が垣峰に殴られたとき、後ろで天条がバカ笑いした、との証言があるんだが?」
(バカ笑いなんてしてねぇよ。)
流石はエリートさん。ちょっとスカッとしたような顔をしただけでバカ笑いまで話を盛りやがるとは…。ますます怒りが込み上げる。
「結論から言おう。」
……と、そんなことを話し始めようとしていた。
(異論を許さず即刻停学ってか?冗談じゃねぇよ優璃に会えないじゃないか!!)
「お前ら二人には、橿場と戦科試合を執り行ってもらう。」
「「!!?」」
事態を飲み込めず心二はおろか守郎までもが驚きを隠せなかった。
「……どういうことだ?なんでオレ達を停学なりなんなりの処分を下さねぇんだよ」
それには鬼神先生も疑問を感じているようだったが、話を聞く限りどうやら直之自らが戦科試合を心二と守郎に挑みたいと希望したようだった。
「今回の戦科は特別な措置を取ることになった。」
鬼神先生は続けて特殊ルールの戦科の説明に入る。
『生徒同士のバーチャル体が戦いあう』なんていう既に特殊というか異様な戦科が更にスペシャルでアブノーマルなモノになってしまうのか。
「今回は一対一が基本の戦科を複数対決にする。」
「複数対決?」
鬼神先生の説明に守郎な目付きを鋭くして鸚鵡返しをする。
「戦科って体育館を模した仮想空間に入り込んで対決すんだろ?急なワガママで三人も入れんのかよ」
言ってしまえば生徒同士が戦科専用に作られたゲームシステムの中の仮想空間に入ることを可能にしたこのバーチャル技術はいくつものプログラムを組み込んだモノだ。成績優秀者の一言ですぐに変更が効くワケではない。
「無理な訳ではない。時間はかかるが複数対決専用のプログラムを組み直すことになる。」
ひぇー……思わず口角を引きつらせる。改めてこの世の成績優秀者の優遇っぷりに驚かされる。
「……まさか反則とかしないよな?オレらだけ攻撃受けたらダメージ量倍にされるとか」
「そんな真似はしない。実力こそが正義だからな。」
聞いた感じ対戦ゲームみたいな戦科と言えども、戦科には学校の一般科目として増設するまでに至った理由がある。
それは前にも挙げた“近年の若者の体力不足”が深く関わっている。
戦科のバトルにて出血レベルのダメージを負うと痛覚までは再現されないがあたかも本当に血が吹き出しているかのように赤いポリゴン片が出現するプログラムが組まれている。
それがバーチャル体から出されると同時に、意識を空にしている本体に貧血作用を引き起こす“X”と呼ばれる薬を投与する。
ダメージを負えば負うほどに体は貧血作用の症状を引き起こすそれは個人差はあるが、日常生活に支障をきたすレベルにまで貧血を引き起こせば、仮想空間で死闘を繰り広げているバーチャル体と生徒を繋ぐリンクを強制切断して“戦科試合”を終了させる。
「基本的なルールは勿論同じだ。一定の出血相当のダメージを負えばそこまで。わかったな?」
「へいへい、よーするに現実身体が
貧血を起こしたら負けってんだろ。」
「本当、よく考えたよなぁ。戦科試合をこなして貧血に免疫をつけて体力を少しずつ上げていくなんて」
心二は素直に感心していた。何様なんだよ……って鬼神の視線が突き刺さるが気にしない。
……とは言え、話だけ聞けば得たいも知れない薬を知らぬ間に投与されるなんておぞましくはあるが、現に何回か戦科試合を経験している生徒にはちゃんと日常生活が送れているのだから、何とも言えぬ話である。
「話は以上だ。さっさと出ていけ」
へいへーい、と声高に気だるい身体を引きずって職員室を後にする心二と守郎を見送ってから、今まで眉間を押さえながら瞼を伏せていた花江先生がようやく口を開いた。
「すみません鬼神先生。ウチのクラスの生徒が失礼な態度で……」
「いえいえ、頭を上げて下さい」
深々と頭を下げて鬼神先生に謝る花江先生を見て慌てて制する。
「……私は結構気に入ってるんですよ。」
耳を疑う鬼神先生の言葉に花江先生は「え?」と間の抜けた声を漏らす。
「内申を気にして控えめな態度を取る生徒ばかりですからね。このご時世にあんな正直な態度を取る生徒は、やはり目立ちますな。」
苦笑いを浮かべつつ、鬼神先生は手を膝に付いた綺麗な姿勢で花江先生に向き直る。
「花江先生。大変な事と思いますが、彼らのことよろしくお願いします。」
そう言いながら今度は鬼神先生が頭を下げる。
こちらこそ……!と慌てて頭を下げる花江先生のおでこに鬼神先生の後頭部が直撃する中、昼休みはあと15分少々残し心二と守郎は既に自分の教室へと戻っていた。
「えーー!昨日の成績優秀者と戦科試合!?何でまたそんなことに」
「何か向こうが仕組んだみたい。まったく面倒だな〜」
椅子の背もたれに全体重を預けてうだうだする心二は姉特製のお弁当箱をカバンから引っ張り出す。
「いいな〜紅空さんのお弁当。」
「ん、欲しい?」
弁当箱を開けると綺麗に並べられたおかずが食欲を刺激してくる。特にご飯の上にハートマークで振りかけられた桜澱粉とか胃がキリキリする。
「てゆーか心二。」
自分の箸で摘んだタコさんウインナーを頬張りながら優璃は口元を隠しながら言葉を紡ぐ。
「成績優秀者には勝てないでしょ。」
あっさりそんな事を言われた心二も残るタコさんウインナーを摘みながら頷く。
優璃の言わんとすることは分かる。
前提として、戦科試合で用いられる生徒に模したバーチャル体は最後に受けた定期テストの国、数、英、科、社の合計点で基本ステータスが変わってしまう。戦科はお馬鹿に厳しいシステムなのだ。
成績優秀者が有利なルールも存在しており、成績優秀者の直之を相手にするとなると二対一でもこちらの方が分が悪いのだ。
何度も戦科試合で他の成績優秀者が使っていたその『有利なルール』を目の当たりにした心二達は充分理解している。
反則すぎるのだ。例えるなら丸腰の相手にマシンガンを突きつけるようなもの。あのルールを使えば、それだけの力量が生まれてしまうのだ。
「ま、何とかなるんじゃね?」
……裏の手を持ってるのは何も相手だけではないのだから。
下校時刻。今日は誰かが待つということもなく、スムーズに校門を出ることができた。そもそも同じクラスの三人が何故昨日みたいに校門に着く時間が別々なのかというと、やはり三人にも友達付き合い等の諸事情があったりするのだ。
特に垣峰守郎にその諸々の事情があったりする。
守郎が遅れてきても心二は何も聞かない。中学からの付き合いの心二には、分かっているのだから。彼自身なるべく知られたくない事らしいし、何も知らない優璃の前でわざわざ問いただすのも迷惑な話だろう。
「何だよ心二」
「ん?いや、何も」
スムーズに校門には出れた三人だったが、向かう先はそれぞれの帰路ではなくショッピングセンター内の大型書店だった。
足を弾ませながら愉快に書店へ入っていくのは今西優璃。顔立ちは整っているのに下ネタ大好きな女の子。
そんなアレな優璃は迷わずアレな本の置いてある所謂エロ本コーナーへと足を運ぶ。それに釣られ心二もひょこひょことついていく。いつのまにやらどこかへ行った守郎は少年漫画のコーナーへ行ってしまったようだ。
ふと優璃の方を見るとものすごい顔でエロ本をまじまじと見ていた。……正直引いてまう。
……引きながらも優璃の肩から顔を覗かせて心二も見ているのだが。
優璃の髪から女の子の匂いがする。エロ本より優璃の匂いの方が心二的性欲が刺激される。
こんなとき、心二はいつも不思議に思う。何で女の子はこんなにもいい匂いがするのだろうか。もうこれは一種のフェロモンなんじゃないか?なんて事を思っている心二なのだが、それなら男からも何かフェロモンが出ていないとおかしいではないだろうか?
匂いじゃなくてもいい、例えば女の子の性欲を刺激するなにか……。
そんな女の子からしたらくだらない……しかし男からしたら実にすばらしい……だろうと思いたい議題を考えながら、今日も今日とて平凡な日々を送るのだ。
「心二さ」
エロ本に目を向けながら優璃は背後から覗いている心二に声をかける。
「エロ本って好き?」
「う、うん。好きだけど」
「そっか。」
………………生まれる気まずい無言。
再度確認するが、ここはR-18指定のスペースだ。
「あたしは別に好きじゃないんだ。エロ本」
嘘だ!!鉈振り回し系の某ヒロインみたいなノリで心中にてそう叫んだが、敢えて口にはしない。そんな真剣な表情で嘘なんかつかないでほしい、突っ込みづらい。
「……オレの用は済んだぞ〜」
一番R-18コーナーが似合う本屋の袋を持った守郎がこちらへやってくる。
「はーい。行こっか、心二」
「ん、うん」
……エロ本を読んでいる時の優璃はどこか少し、違う人のように見える。
「あ、そだ心二。」
今度こそ帰り道。家の方向が違う守郎が先に別れて二人して歩く通学路。優璃は何かを思い出したかのように自分の鞄をごそごそと探り始める。
ようやく取り出したそれは購買の袋に入った何か。
「…………おまえ、それ」
それが何か、心二には直感でわかった。
優璃から渡されたそれはお昼に食べられなかったキャラメルラスクが一つ。袋には入っていたのだ。
「食べたかったんでしょ?あげるよ」
そう言って優璃は二人がバイバイを言う別れ道へと 手を振りながら走っていった。
(確か、キャラメルラスクは購買の人気商品で一人一個限定なんだが。)
ほんと、こういう女の子のプレゼントが男には死ぬほどうれしいと感じられる。
夜の闇が少し混じった夕焼けがそんなニヤついてる心二を照らしながら……夜は訪れる。