エピローグ
「――で、それからどうなったの?」
「え?」
私は聞き返した。
年が明けてから数日。今日からまた学校が始まった。
インフルエンザの流行はまだ少し尾を引いてるみたいだけど、学校が閉鎖するほどじゃなくなったみたい。
授業を休むわけにはいかないから、一昨日の内にペンションから大学のあるこの町に戻ってきている。
昨日は下宿先のお掃除と空っぽの冷蔵庫を満たすためのお買い物をしただけで終わっちゃった。
で、今日久しぶりに学校で典子ちゃんや恵美ちゃん、晶子ちゃんたちに会った。
今は、授業が終わったところを典子ちゃんに(文字通り)捕まって、大学の構内にあるカフェテリアで根掘り葉掘りペンションでの出来事を報告させられていたところだ。
聞き返した私のことを、呆れ切った表情で典子ちゃんが眺め返す。
「だから、その『昴さん』と雪奈のことだよ。誕生日プレゼントをもらって、その後!」
「え? 別に何も……」
「え?」
「え?」
「……」
典子ちゃんが信じられないものを見るかのような目つきで私の方を見ている。
なんでそんな表情をされるのか全然わからなくて首をかしげた私に、典子ちゃんが尋ねてきた。
「……ホントに何もなかったの?」
「うん」
典子ちゃんが机に突っ伏した。
「嘘でしょ? その流れなら普通告白して『ちゅー』でしょーがッ!」
その言葉に私は飲みかけていたコーヒーを噴出しそうになる。
なんとか呼吸を落ち着かせてから口を開いた。
「もー、典子ちゃんってば冗談言わないでよ。そんなこと、ありえないよ」
典子ちゃんはまだ何か言いたそうに上目遣いで私の方を見ていたけど、しばらくして溜め息とともに大きく肩を落とした。
「ま、そういうトコが雪奈らしいんだけどね」
典子ちゃんはそう言うとにっこり笑って話題を変えた。
「でもさ、その『昴さん』がいなくなっちゃった後、バイト大変だったでしょ?」
「あ、ううん。えっとね」
確かに、昴さんがいなくなっちゃうからお仕事が大変になるなって覚悟はしてた。もとはと言えば私のせいだし、文句を言うつもりもさらさらなかったし。
だけど、昴さんがペンションを去った日の夕方のこと。たまたまたくさんもらったお芋をお裾分けに来てくれた森田さんが事情を知り、晴人さんを昴さんの代わりに無償で使ってくれと申し出てくれた。
すごくありがたい言葉ではあったけど、さすがにそういうわけにも行かなくて、って初めはマスターも遠慮していた。だけど、晴人さんの方が何故か俄然ヤル気を出しちゃって、逆にマスターに拝み倒して。そこまで言ってくれるならって、結局お手伝いしてもらうことになった。
晴人さんは相変わらずとっても明るくって、常に表情がくるくる変わるし、一秒としてじっとしてない。昴さんがいないっていう寂しさを感じさせないようになのか、口を開けば、冗談なのか本気なのかわからないような面白いことばっかり言うし。
でも、昴さんの容態も気にはしてたみたいで、「雪奈ちゃん、オレ、昴がいない隙に付け入る気はないから、そこんトコよろしく」とか「雪奈ちゃん、アイツと連絡取ってるの?」とかよく言ってた。
そんなワケで晴人さんが手伝ってくれたから(多分今も手伝ってくれてると思うから)、ペンションのお仕事は大丈夫だったよって内容を伝えると、典子ちゃんは大笑いし始めた。
「ホント、雪奈ってすごいよね。さて、けっこういい時間になったし、そろそろ行こうか」
なんで笑われたのかさっぱりわからなかったけど、私は頷いて椅子から立ち上がった。
カフェテリアから校門にあるバス停までは、ちょっと距離がある。遠いってわけじゃないんだけど、真夏や真冬だとちょっと嫌だなって思うくらいの距離だ。
並んで歩いていたら、典子ちゃんが私に話しかけてきた。
「そういえばさ、今週末、雪奈はどうするの? やっぱり実家帰るの?」
「あ、うん」
今週末は成人式が控えている。私は実家の方で成人式があるから、地元に帰る予定だ。
お母さんとお父さんはその前の日に帰国するらしい。
振袖はもうとっくに用意してあるし、着付けも頼んであるし、あとは当日を待つだけっていう感じ。
だけど、今の実家のある場所は高校を卒業したときの実家とは違う都市にあるから、お友達も知ってる人も全然いない。だから実は、典子ちゃんや恵美ちゃんほど楽しみにしてるってわけでもなかったりする。
私の晴れ着姿を心待ちにしてるお母さんやお父さんには言えないけど、ね。
「そっかぁ。雪奈、成人式の会場で男の子に声かけられてもホイホイ付いてっちゃダメだよ?」
「あはは、典子ちゃんってば心配しすぎだよ」
「いや、でもね、雪奈、バイト行く前と比べてすっごく綺麗になったから」
典子ちゃんからの思わぬ言葉に、私は吃驚して足を止めた。
「どういうこと?」
「恋をすると、女の子って綺麗になるって言うからねぇ」
その言葉に一気に顔が熱くなる。このままじゃ頬から火が出る、かも。
典子ちゃんの目から逃れようと俯いた視界に、鞄に付いている昴さんにもらったお星様が写った。昨日、手芸屋さんでキーホルダーの部品を買ってきて、作り替えたんだ。お守りみたいに、いつも持っていたかったから。
「好きなんでしょ? 『昴さん』のこと」
追い打ちをかけるみたいにズバリと聞いてきた典子ちゃんに、私は観念して一つ頷いた。
「――いい恋してるんだね、雪奈」
典子ちゃんが言い、それを合図に私たちはまた歩き始めた。歩く先に、校門とバス停が見えてくる。バス停のあたりに、待ってるらしい人たちが何人かいるのが見えた。
「恋してる……って言うのかなぁ?」
「なんで? 『昴さん』とはケータイとかで連絡取り合ってるんでしょ?」
「うん。三回くらいメールやりとりしたよ」
「今日?」
「ううん。昴さんがいなくなってから昨日まで。今日はしてないよ」
典子ちゃんが呆れたように頭を振った。
「二週間近い間にたった三回? その三回のメールって、全部向こうから送ってきたのが始まりだったんでしょ。で、長くて二往復じゃない?」
「えっ? なんでわかったの?」
「あのね……」典子ちゃんが大きく溜め息をつく。「それじゃ『昴さん』が可哀想だよ。もっと頻繁に、毎日くらい送ってあげなきゃ。向こうはせっかくの冬休みなのに動けなくて、家で暇を持て余してたんだし。それに、向こうから送ってきてくれたってコトは、『昴さん』はもっと雪奈と話したいって思ってるんじゃないかなぁ」
言われると、そうかもしれないって思う。脚に怪我してるんだから、外出とかできないはずだし。だけど。
「でも、お付き合いしてるわけでもないし、用事もないのにメールするのって変じゃない?」
「……私が聞いた話からだと『昴さん』はそんな風に捉えないと思うけどな。ま、私が何を言ってもただの想像になっちゃうから、説得力ないけど。だからさ、直接話して聞いてみたら?」
典子ちゃんはそう言って校門の方を指差した。
「アレ、『昴さん』じゃない? 雪奈から聞いてる容貌にそっくりなんだけど」
びっくりして首をそちらに向ける。
私の背丈ほどの校門の柱に寄りかかるようにして、短い金髪の男の人が立っている。私と目が合うと、傍らの松葉杖を手に起立して手を振ってきた。
それは、紛れもなく。
「昴さん!?」
「よぉ、雪奈。よーやく出てきよた」
思わず走り寄った私の頭を、昴さんは当たり前のようにぽんぽんと撫でた。
「あーさすが女子大やなぁ。さっきから来る人来る人、女の子ばっかりや。すごいわ。オレめっちゃ浮いとった」
それは女子大なんだから当たり前ですよ。そんなことよりも!
「何でこんなところにいるんですか? 実家は?」
「オレかて学生やさかいなぁ。怪我してるけどまったく歩けへんってほどでもないし、単位取らな卒業できひんやろ?」
規定の単位を取らないと卒業できないのは私も同じだからわかるけど。でもそれって私の質問に対する答えになってないですよね?
ハテナマークを頭の上にいっぱい出してる私を見て、昴さんの笑顔が訝しがっているそれに変わる。
「あれ? えっと……もしかして言うてへんかったっけ? オレの通ってる大学な、雪奈の大学のすぐお隣さんやねん」
「え? ――えぇっ!? そんなこと一度も聞いてませんよっ!!」
「そーやったっけ? ま、隣って言うても電車で一駅あるんやけどな。とにかく、ご近所さんやねん」
誤魔化すように、昴さんが笑った。
昴さんの笑顔が目の前にある。
たった二週間前に別れたばっかりなのに、懐かしいとさえ感じる。
もう会えないって思ってたから、驚きと嬉しさとが混じり合って涙が出てきそうだ。
瞬きしたらいなくなってるんじゃないかって怖くてじっと見つめていたら、昴さんはちょっと困った顔をした。
――と、そのとき。
「はいはい、二人ともそこまで。公然といちゃいちゃしない」
私の背後から典子ちゃんの声がかかる。振り返ると、典子ちゃんは腰に手を当てて仁王立ちしていた。
ごめんなさい、典子ちゃん。すっかり忘れてちゃってました……。
「まったく、完全に二人の世界なんだから。バス待ちの子たちに注目されてるわよ?」
そう言う典子ちゃんの肩越しに、バス待ちしてる女子学生さんたちの顔が見えた。一人残らず私と昴さんの方を見ていて、なんだか急に恥ずかしくなってくる。
ちょうどそこへバスがやってきて、彼女たちの視線を遮ってくれた。
「はぁ……本当にもー。お邪魔虫は退散。私も、あのバスに乗って帰るから。雪奈、聞きたいことがあるならちゃんと聞くのよ?」
典子ちゃんは一方的にそうまくし立ててバス停の方へと踵を返す。
典子ちゃんが乗った後すぐにバスが去り、私と昴さんだけが校門付近の変な沈黙の中に取り残された。
えっと……。
何から話したらいいのかな。話したいことはいっぱいあったはずなのに、いざってなると上手く出てこない。
「雪奈、オレに聞きたいことあるんか?」
結局、昴さんの方から声をかけてくれた。
「あ、えっと。そう、そうなんです。聞きたいことがね、あるんです。あの」
「あー、ちょお待ってんか」
せっかく言いかけたのに、昴さんに遮られてしまった。
「その前に、オレも雪奈に言いたいことあんねん」
昴さんが私に? 何だろう?
軽く首を傾げた私に、昴さんは珍しく真面目な顔になるとこう切り出した。
「あんな、雪奈。オレな、雪奈のこと、ただの友達とは思えへんようなってしもてん。気ぃ付いたら、好きになっててん。せやから……もし、嫌やなかったら、付き合うてくれへんか?」
昴さん、今、何て言いました?
好き? 付き合う? 私と?
え?
さらに首を傾けた私に、昴さんが苦笑いする。
「雪奈、それじゃ答えがわからへん」
その言葉に、慌てて頷く。
「それはイエスって取ってええんか? それとも、答えがわからんっちゅーんを理解したんか?」
「えっと、あの……イエス、です」
昴さんが破顔した。私もなんだかホッとして、強張っていた顔が綻む。
その私の頭をまたくしゃくしゃと撫でながら言った昴さんの言葉に、また顔が赤くなる。
「ほんなら、今から雪奈はオレのカノジョやな。で、さっき言いかけてた聞きたいことって何やった?」
昴さん、今、それを聞くんですか。もう聞く必要なくなっちゃってますよ。
昴さんが私のことを好きだって言ってくれたから。
私も好きです、昴さん。
多分、昴さんが思ってるのよりもずっと、私は昴さんが好きです。
いつか必ず、自分の口からそう伝えたいけど、今はまだちょっと無理だから。
だから代わりにこう言おう。
「聞きたいことよりも、昴さんにお願いがあるんです」
「何や、イキナリ。ちょお怖いな……」
「あの、脚の怪我が治ったらでいいので」私は笑顔で昴さんを見上げた。「また、ボードに連れて行ってくださいね」
【完】
ついに、この物語にも【完】の印が付きました!
皆様、長々と1年以上もの間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
書き始めたときには2011年末に連載が終了する予定だったのですが、途中でエピソードが増えたり、今月(2012年1月)に入って仕事で平日の帰宅時間がすごく遅くなったりとで更新が遅れに遅れ、毎週更新を目標にしていたにもかかわらず、この最終話に至っては予定より1週間以上遅れての書き上げになるなど、土下座通り越して寝下座の勢いです。
それでも、読んでくださっている方がいたおかげで、無事に脱稿できました。本当に皆様のお陰です。
少しの成長した雪奈を感じていただければ幸いです。
私としては、もう少し昴の心境の変化にも触れたかったのですが、雪奈が何せそういうところに気が付くタイプではないので上手く表現しきれなかったように思います。
ペンションでの最後の夜は告白しなかったくせに学校が始まってから告白しに来たりとか、そもそも何で昴は雪奈の大学がどこか知ってたんだよ、とか、ネタバレ的な裏事情なんかも。まぁ、本編が終わったのでここに書いてしまいます(笑)。
後者については簡単で、雪奈(と言うか雪奈の友達)がバイトに応募するために書いた履歴書を、マスターと一緒になって昴も見てたからです。
雪奈の履歴書を見て「あ、この大学、オレの大学のお隣さんやん」と言ったのが、マスターが雪奈を雇おうと決めたキッカケだったんですよね。
そしてペンションで告白できなかったのは、やっぱり勇気が出し切れなかったから。
そのくせに、自分が帰った後で晴人が代わりにペンションを手伝ってると聞いて、慌てて雪奈にメールでそれとなく探りを入れたりしてます(←それが三回くらいのメールやり取り)。
さらにこの週末には成人式があることを思い出し、雪奈が幼馴染の男の子たちに会うと思った昴は、それまでに何とかしたいと思ったわけです。
余裕があるように見せてた昴ですが、実は全然余裕がなかったんですね。
今後、お仕事の関係で執筆ペースは落ちるかもしれませんが、創作は続けていくつもりです。
読んでくださった皆様と、またどこかでお会いできる日を楽しみにしております。
最後にもう一度。
本当に、ありがとうございました。
(2012/02/04)