第3話 親なし子たち
(ガラタ商会がヴェスターニャ家の出入り業者をやめてその座をハーメド商会に譲ったのは、何もヴェスターニャ家が扱いの難しい家だからじゃない。あの家との付き合い方が難しいのは反乱を起こした100年前からで、今に始まったことじゃねぇ)
クオネラ王国王都の商人街、小間物商通りの一角にハーメド商会の看板が下がっている。はちみつ色のレンガで出来た建物が立ち並ぶこの通りで一番小さな店が「何でも屋」ハーメド商会である。その店長にして唯一の店員でもあるサザシアークはヴェスターニャ家の紋章を飾った見事な細工の蓋つき木箱に商品を詰めながら、新しい取引先についてぼんやりと考えを巡らせる。
(それならなんで今更ガラタ商会ほどの大商人がヴェスターニャなんて言うとびきりのお貴族様との縁をわざわざ切るようなことをしたのか? そりゃ普通に考えりゃあ、そうしなきゃいけないほどの何かがあるってことなんだろうが……)
サザシアークは自分の傍でその作業を見守る執事ダニーにチラと視線をやる。ヴェスターニャ家名物の白髪の老執事はサザシアークが積み込んだ荷物が揃っているのを確認すると、箱にカギをかけてそれをひょいと持ち上げた。
「それでは、私は先に馬車の準備をしていますので」
「あいよ、俺は店の戸締りしてから行くわ」
サザシアークは店の表に出るとドアノブの看板を「外出中」に変える。その姿を見る通りすがりの人々の反応は様々だ。王都の中でも特に大きな小間物通りに移民の血統が店を描構えることに眉を顰めるクオネラ人たち、気にせず彼に声をかける両隣の店のクオネラ人たち、サザシアークにきゃあきゃあと黄色い声を上げるシェキバ人の女達たち、それに眉を顰めるシェキバ人たち。
サザシアークはそれら一つ一つに愛想よく答えたり無視したりしながら自分自身に言い聞かせる。
(お貴族様や大商人さまにどんな事情があったって俺には関係ない。ヴェスターニャ家に何かトラブルが起きたって、それまでに金が稼げりゃ俺は満足なんだ。最悪トラブルに巻き込まれる可能性もあるが……)
サザシアークの脳裏にこれから会う相手の顔が浮かぶ。長く波打つ黒い髪に飾られた顔の中で、青い量の瞳を輝かせたタニア・ヴェスターニャ。ろくな知名度もまっとうなコネもないハーメド商会に対して公平な判断をして受け入れた彼女なら、己の正義感に従ってわざわざ足を止めて検問官を咎めた彼女なら、きっと何か重大な事件が起きる前にサザシアークにそれを知らせるくらいはしてくれるだろう。
(その時には金を持ってとっととどっかにトンズラすりゃ良い)
そう結論付けて、サザシアークは店の扉を閉めて鍵をかけた。そのまま店の裏に泊まっているヴェスターニャ家所有の、出入り業者用の簡素な馬車に乗り込むと馬車はすばやく屋敷に向かって動き出した。
小間物通りの店の並びは端から宮廷に近づくほど店構えが大きく、立派になっていく傾向にある。その一番端に位置するのがガラタ商会の店舗である。ふいにその2階の扉が開いて恰幅の良い女が顔を出した。彼女こそガラタ商会の会長、大商人ガラタ夫人である。意志の強そうな顔立ちの彼女は馬車にヴェスターニャ家の御者と執事、そしてシェキバの血統の若い商人を見つけると何か言いたげな表情で彼らを見送った。
***
「良い香りね、今まで飲んだオレンジティーの中で一番好きかも」
ヴェスターニャ邸の広い庭の東屋の椅子に向かい合わせに座ったタニア・ヴェスターニャは青空を写し取ったようなカップを傾けて年頃の娘らしい明るい声を上げた。少し離れたところには執事ダニーと若くて体格と腕っぷしの良いメイドが控えている。何かがあれが二人がすっ飛んできてサザシアークを抑え込む手筈になっているのだろう。
タニアは正面に座ったサザシアークに笑いかける。
「あなたに頼んでよかったわ。さすがシェキバ公国出身ね、シェキバの良い物を知ってる」
そう言われて、シェキバの民の血統を色濃く継ぐ赤い髪の青年は困ったように頭を掻いた。
「ありがとうございます。……確かにオレンジはシェキバの名産品ですが、シェキバについてほとんど知らないのであんまり期待しないでください」
「そうなの? 確かにこの間、クオネラ生まれクオネラ育ちと言っていたけど」
今日は青い優雅なワンピースに身を包んだタニアが意外そうに眉を上げた。そのまま手振りで飲みなさい、と示しながら「話しなさい」と言う。その傲慢な、けれど嫌味のない物言いにサザシアークは一瞬ポカンとした。
(大貴族なんてモンは平民の、それも移民の血統の個人の事情なんて聴きたがらないかと思ってたけど……)
サザシアークは貴族というものが分からない。時折見かける彼らはなんとなく横柄で、時には露骨にシェキバの血統である彼を嫌がることもあった。きちんと役所から許可を貰って屋台や店をやっているのに貴族御用達を名乗る商人たちに嫌がらせをされることもあった。貴族とそれにまつわる者たちにあまり良い印象がない、というのが彼の正直なところだった。
しかしここにきてサザシアーク・ハーメドはタニア・ヴェスターニャに対しては、少なくともそれとは違う印象を抱いている。
赤い髪の青年商人は自分が持ってきて早々にこの家のメイドが淹れた茶を飲みながらぼつぼつと話し出す。
「別にお姫さんに聞かせるような大層な話じゃないですよ。ただ、俺の両親はシェキバからこの国に渡って来て、この国で俺が生まれて、二人とも俺が15歳になるころに流行り病で死んで……それだけです」
サザシアークは肩をすくめた。タニアは黙っている。その沈黙をどうとらえたのか、幼いころから両親が好んでいたオレンジの香りに誘われるように、それだけ、と言ったはずのサザシアークは話を続ける。
「両親は駆け落ちしてこの国に来たそうです。二人ともこの国に帰化して法的にもクオネラ人になって、子供ができて、なんとか商店の開業許可証を手に入れて、豊かではないけど愛し合う家族3人の平和な生活。……おとぎ話やロマンス小説のようなめでたしめでたし」
そこで言葉を止めて、サザシアークはティーカップをグイと煽る。紫色の花のような虹彩がわずかに陰る。正直に言えば彼は両親のことがあまり好きではなかった。というよりも、軽蔑していた。
「とはいかなかった。なんていうか、俺の両親は夢見がちな人たちで……」
彼が続きの言葉を探す間、タニアは黙っている。静かに風が吹き抜ける。
「クオネラ王国の社会に馴染んでいく両親はシェキバ移民コミュニティからは受け入れられず、かといって日常のふとした瞬間にシェキバ語が出るしこの独特の目だからクオネラ人にはいつまでも異国人扱いされた。結局、店は持てても客の入りはいまいちで、流行り病に振り回される医者を呼べるような金の余裕はなくて、そのまま」
忙しい医者たちは少しでも金を出せる患者の家を回った。そしてその多くが貴族の家だった。ろくな金もないサザシアークの一家は当然の帰結のようにして彼を遺して死んだ。その時のことを思うと、なんとなく腹の底がむかむかするが、サザシアークは首を横に振り、そこでふと我に返ったように頭を掻いて苦笑する。らしくない。それを言い訳しようとタニアを見たサザシアークだったが、彼が何か言葉を発することはなかった。この国一番の大貴族の女当主は穏やかな、優しさすらにじませた目でサザシアークを見つめていた。
「……お前もそうだったのね」
「え?」
サザシアークはおどけたような仕草で肩をすくめる。その動きに合わせて長く伸ばした赤い髪が揺れる。
「この家の先代当主だった私の母も、私が13歳の時に例の流行り病で死んだ。父がその座を継いだけどその次の歳に死んで……色々あって15歳になる時にこの家を継いだの」
タニアの声は落ち着いている。このクオネラ王国の成人年齢は18歳。通例、18歳になるまでは社交界デビューもできないし、家督を継ぐこともできない。その原則を破って弱冠15歳でタニアがヴェスターニャ家の当主になったのはそういうやんごとない事情によるものらしかった。
否、サザシアークが驚いているのはそこではない。
「……お貴族様でも死んだのか、あの流行り病で」
呆けたような声でサザシアークは呟いた。吹き抜けた風が彼の頬をそっと撫でて通り過ぎる。腹の底のむかむかしたような感覚がなだめられていく。
「死んだわ。私の両親以外にも王族や貴族が沢山ね」
「……そうだったか」
客間に沈黙が漂った。だがそれは二人を不快にさせるようなものではなく、タニアは変わらず落ち着いた調子で問いかけた。
「シェキバってどんな国? 私、本の情報や勉強で教わったことしか知らないの」
「俺も行ったこと無いから話せませんよ」
「構わないわ。ご両親はなんて言っていたの? 故郷シェキバ公国のこと」
タニアの青い瞳がサザシアークを見つめて問いかける。両親のことなど最近は彼が努めて忘れようとしていたことだ。けれどタニアの穏やかに輝く青い瞳に見つめられて、サザシアークはそれらの一つ一つを掘り起こしても良いような気分になってくる。
「……空が、青くて」
「ええ」
「乾いた風が吹いて、それがオレンジの花の香りを運んで」
「ええ」
「太陽の眩しい、美しい国だと」
「美しいのに出て行ったの?」
「愛する人と共に生きられる場所が一番美しいそうですよ」
夜眠る間際、サザシアークの両親が息子に語ったのは自分たちの恋物語。かつてのサザシアークもタニアと同じことを聞いた。両親の歯の浮くような答えに少年だった彼は奇妙に照れたが、タニアは東屋の屋根の向こうを見つめて呟いた。
「いつか行ってみたいわね」
青い空が広がっている。だがそれがシェキバの空と同じ色かどうかはサザシアークには分からない。
「……行けるでしょ、お姫さんなら。この国一番の大貴族なんでしょ?」
「そうでもないのよ」
タニアは参ったと言いたげな表情で笑う。
「王家への反乱を企てた家、それも本気で反乱を起こすなら味方をたくさん集められそうな家の当主ですもの。そう簡単に王都を出られないのよ」
「……宮廷に監視されてる?」
彼女の不穏な物言いにサザシアークが問えば、ヴェスターニャ当主は肩をすくめた。
「ヴェスターニャ領にいる宮廷代官からの毎月の報告を受け取るだけじゃなくて、2か月に1回自領に行くくらいはできるわ」
暗に肯定が返ってきたので、ヴェスターニャ家の出入り商人は唖然としてから何か考え込むような仕草をした。2か月に1回、とわざわざ言うあたり、彼女がいつヴェスターニャ領に赴くか、それもあらかじめ宮廷によって決められているのだろう。そうなのだとすれば、彼女はただ単に事由に王都を出られず好きに旅行にも行けないどころか、自分の領地は実質的に代官を通じて宮廷に管理され、タニアの持つヴェスターニャ領主はという称号は名ばかりで実体を伴わないものである、ということになる。普通、領主本人が領地に住めない場合にその土地を管理する役目は宮廷の代官などではなく、領主の縁戚などが務めるものだ。
建国の三勇士を祖に持ち王家に縁を持ち誰もが敬意を払い恐れる存在でありながら、その実権は名ばかりの、がらんどうの大貴族家の当主タニア・ヴェスターニャ。
「だって私はヴェスターニャ家当主にしてエスターニャ領主だもの」
だが彼女はあくまでも大貴族として振る舞い、その威厳を保っている。現状を理解していないわけではないだろう。それくらいはサザシアークにも分かる。何よりタニアは頭の回る女だ。それはこれまでのやり取りで充分証明されている。ヴェスターニャ家の実権がとうに有名無実になっていることを理解しながら、それでもヴェスターニャを慕う人々のため、彼女はその名ばかりの立場を守り続けている。
「……お姫さん、なんか欲しいモンとかないスか? 一応ウチの商会は何でも屋ってことでやっててるんで、普通は専門店に頼む化粧品とか服とか生鮮食品とか本とか外国の珍しい品とか……他には大人向けのアレソレとかも買ってこれますよ」
しばし黙っていたサザシアークはおどけた口調でそんな風に言った。そのとたん、向こうから背の高く体格の良いメイドが「貴様ァ!」と叫んですっ飛んできた。問答無用でヘッドロックをかまされて、サザシアークは三つ編みにした赤い髪を揺らしてぎゃあ、とつぶれた悲鳴を上げる。
「ハーメド商会! ちょっと顔がいいからって何を言っても許されるわけではないぞ! タニア様もこんな奴に甘い顔をしないで下さい!」
「でも大人向けのアレソレが気になるわ! そんなのも扱ってるの?!」
途端に立ち上がって興奮気味に問うたのはまさかのタニア本人だった。メイドが「タニア様?!」と叫んでショックのあまり不敬な若い商人を解放する。サザシアークはゲホゲホとせき込みながらお客相手にウィンクして言う。
「本から道具までより取り見取りですよ。あとは怪しげな薬とか……。あとは異国から流れてきた呪いの道具とか」
「それ最高!」
タニアは一声言ってコロコロと笑った。
「ハーメド商会、今度ウチに来るときは何かそういう面白いものを持ってらっしゃい!」
心底楽しそうな声だった。




