第2話 ヴェスターニャ邸にて
これまで座ったことも無いほどふかふかの椅子に腰かけて商人サザシアーク・ハーメドは馬車の窓に流れる景色を眺めている。彼は貴族の邸宅に赴くにはみすぼらしい恰好をしているが、だからといって遠慮する様子もない。宮廷から大きな道を道なりに進んでたどり着いた貴族街の邸宅一軒一軒の悪ふざけのような広さに、サザシアークは嫌味の一つでも言いたい気分になってくる。
「……紹介状1枚で俺を信頼して、あまつさえ馬車に同乗させるなんて警戒心もへったくれもねぇお嬢さんだ。俺が強盗である可能性を考えねぇのか? 執事のくせに泰然と構えやがって」
嘲笑を浮かべて、窓を閉めるダニーにわざとらしく言った赤い髪の青年商人の顔を眺めてタニアはなんだか感心してしまう。美形は皮肉を言ってもサマになるらしい。彼女の場合は嫌味の一つも言おうものならその社会的地位と、鋭い目つきが相まって必要以上に周りを恐れさせる。とはいえそんなことはヴェスターニャ家の醜聞の前には些細な問題だ。
気を取り直したタニアはハーメド商会から渡された2枚の書類をヒラつかせる。
「このガラタ商会の紹介状は本物だ。出入り業者のサインの筆跡くらい私もダニーも覚えている。おまけにお前はこうして、自分が我が家の出入り業者になった場合どの程度の値段で取引をするかわざわざ見積書を持ってきた。どれも相場を踏まえた適正な価格だ。……強盗にしては手が込みすぎている」
そんな風に言いながらふ、とタニアの顔に苦笑が浮かぶ。本当に可笑しかったのだ。わざわざ自分を悪いもののように見せて皮肉を言うその馬鹿正直な態度は嫌いではなかったし、取引先の注意力がどの程度か確かめる用心深さも好ましい。
「それに、ガラタ商会も自分たちの評判が関わっているから、紹介状は信頼できる者にしか渡さない。昨日今日で手に入る代物ではないし、ガラタ商会もお前も充分な準備があってのことだろう。……その上で、ハーメド商会、さっきお前はあの検問所でヴェスターニャの名を出さなかったな? 我が家の名を出しさえすればあの小汚い検問官は黙ってお前を通しただろうに。それどころかお前は最後まで私を呼び止めることすらしなかった」
そこまで一息に言って、反逆者の血筋と謳われるヴェスターニャ公爵家の若き女当主は目の前に座すハーメド商会を見据えて問いかけた。
「なぜだ?」
その思いがけない貴族令嬢の気迫に、赤い髪の青年は思わずたじろぎながら頭を掻く。
(ドアを開ける、物を受け取る、そんな些細なことすら執事にやらせてひどく上から目線でモノを言うお貴族様だと思ったが、こりゃあなんだか話が変わってきたな……。検問所での一件といい、この貴族のお姫さん、よくモノを見てやがるぜ)
サザシアークはひとつ溜息をつくとばつが悪そうに答えた。
「普通、ヴェスターニャ公爵家ほどの大貴族相手ならガラタ商会はこんな紹介状なんて用意せず、自分自身で代わりの出入り商人を伴ってアンタに直接面会して、業務の引き継ぎを行いたい旨を挨拶するのが筋ってモンだ。けど今回ガラタ商会はそうしなかった。ヴェスターニャに何の説明もなしに紹介状1枚で別の商人に出入り業者としての業務を引き継がせた」
そこまで一息に言って、ガラタ商会からの紹介状を伴って身一つでヴェスターニャ家に挨拶に赴いた青年は、女当主の青い瞳から目をそらした。
「天下の名門ヴェスターニャ公爵家は、大商人とはいえたかが平民のガラタ商会に舐めた対応をされたんだ。……ガラタ商会がヴェスターニャの出入り業者なのは誰もが知る事。なのに俺があの場で自分がその立場を引き継いだ、なんて紹介状を出して声高に言えば、アンタがそんな舐めた対応をされたことが周知の事実になる」
ひどく思いつめたような声でしゃべりながら、赤い髪のサザシアーク青年は紫の花のような虹彩で女公爵タニアに向き直った。
「……そうなればヴェスターニャ公爵家の名誉と体面に傷がつくし、当主であるアンタは俺を許しはしないだろう。俺は取引先になるアンタからの信用を失いたくはない」
よどみのない物言いを聞いてしばし黙っていたタニアは、全身の緊張を解いて「よろしい」と返事してから執事のダニーに声をかけた。先ほどよりもやわらかい声色と口調だった。
「屋敷に着いたらハーメド商会を応接間に通して、来月分の注文書を渡して。ああ、でもその前に彼に服をいくらか見繕って」
馬車は既に大貴族ヴェスターニャ家の王都屋敷を視界にとらえていた。
屋敷の主と執事、出入り商人を乗せた馬車がたっぷり3分かけて巨大な庭を進んで母屋に到着すると、老齢のメイドに案内されたサザシアークが真っ先に通されたのは衣裳部屋だった。華美ではないが商人として大貴族の邸宅に出入りするのに恥ずかしくない程度のデザインの、質が良くほころびもない服を皺だらけの老女に差し出されて、サザシアークはなんとなく情けないような気落ちしたような気分でいる。ついでに侮辱されたような気持ちもあった。
(そりゃまあ大貴族からしたら出入りの業者がこんな古びた服着てちゃ自分らの体面に関わるってことなんだろうケドよォ……。貴族ってのは関わると何かとめんどくせぇんだよなぁ……とはいえ仕事だからな。俺だって金は欲しい)
ガシガシと頭を掻いて腕を組んだハーメド商会のサザシアークは自分に言い聞かせるようにわざとらしく首を縦に振ると、衣裳部屋の外に控えていた年老いたメイドの小さな手が差し出した籐のカゴを受け取った。職人による一級品の作品であるのが一目でわかるほどの出来の良い品だ。
「えー……と、このご大層なカゴは何用?」
「今あなたがお召しになっている服は当家で洗濯させていただきますので、それをこちらのカゴに。代わりに先ほどお渡しした服を来てください。さぁ早く着替えますよ! タニアお嬢様をお待たせしてはいけませんからね! ああ、髪も整えなくちゃ」
言うや否や、老齢のメイドはその小さな体からは想像もつかないほどにきびきびとサザシアークに歩み寄り、彼の服をばさばさと脱がし始めて強引に着替えを手伝い始める。うわぁッ!と悲鳴を上げた青年はほどけた長い赤い髪を乱れさせながら老婆の背をぐいぐいと押して部屋の外に追い出す。
「俺、自分で着替えられるから! おばーちゃんは外で待ってて!」
なんとか老齢のメイドを外に出したサザシアークは大急ぎで新しい服に着替えて衣裳部屋を出た。老齢のメイドにシャツの裾や襟元を正された彼はそれでようやく応接間に通された。サザシアークがふかふかのクッションが仕込まれたソファで渡された契約書と注文書に目を通し、供された茶の1杯目を飲み終わるころにようやく屋敷の女主人タニアが執事を伴って応接間に現れた。外出着からもっと気軽な服に着替えてきた彼女をサザシアークが恨みがましく睨む。
「えらく待たせるな、お姫さま」
「女貴族の身支度は時間がかかるの」
だがタニアは悪びれもせずにそう言って彼の向かいのソファに優雅に腰かけ、執事ダニーが淹れた茶に口をつける。その態度があまりにも堂々としているのでサザシアークは頭を掻くとあきらめて話題を変え、さっきの衣裳部屋での一件ついて話題を振った。
「着替えの場に女性が入ってくるとは思わなかった。あの年配のご婦人はいつもああなんですかい?」
「何がああかは知らないけど、着替えには手伝いがいるでしょう」
大貴族ヴェスターニャ家の当主は気軽な調子で断言する。
「だから彼女を……ニーナ婆やを行かせたの。お前に若いメイドを付けるわけにはいかないもの」
「メイドっつったってヴェスターニャ家のメイドなら行儀見習いに来てる貴族や富豪のお嬢さんでしょ? 俺みたいな金のない異国人なんて相手にされませんよ」
このクオネラ王国の南方にあるシェキバ公国の民に特有の花のような形の虹彩の青年が肩をすくめると、タニアは呆れた表情になって溜息をついた。
「世間で人気のロマンス作品が身分差モノよ。ついでに言えばウチのメイドの多くが今は平民。ついでにお前はめっぽう顔がいいから」
「おッ、お嬢様!」
タニアは焦ったように声を上げる執事を無視してあっけらかんとしている。一方でサザシアークはぎょっとした。生まれてこの方サザシアークは容姿に優れているなど言われたことがない。男たちには睨まれることが多いし、酒場などで馴染みの女たちがたまに顔をほめてくれるが営業トークだと思っていた。
そんな彼の反応に構わずタニアは喋る。
「あやまちがあるかもしれないでしょ? たとえ平民の娘たちとはいえ我が家が雇ったメイドたちにそんなことがあったなんて噂になってはヴェスターニャの恥だわ」
「お嬢様!」
「あのねぇダニー、私はヴェスターニャの当主でこの屋敷の主よ? この家のすべてに責任があるの」
幼い頃のヴェスターニャ女公爵を知る執事が生々しい色恋沙汰の話題に焦り、それをなだめるタニアを眺めて、これまでほとんど貴族に縁のなかったサザシアークは呆れている。貴族としての格が高ければ高いほどほんの些細なことでもその体面は傷つくらしい。
「しかしまァ、ほんとにめんどくせぇのな、貴族って。その程度で傷つく体面なら最初から無ェのと一緒だろ」
これから取引先になる相手への遠慮のないハーメド商会サザシアークの物言いに執事は顔をしかめたが、当の貴族女は「まったくだわ」と苦笑した。やわらかい声色だった。今年で23歳になる乙女が浮かべるにはあまりに苦い、疲労と諦念の混ざった表情で繰り出される同意に、サザシアークは目を見張ってハタと動きを止める。
タニアは執事に茶のおかわりを頼みながらぼつぼつと語る。
「我がヴェスターニャ家は100年前、この国の王になろうとして反乱を起こした。それ以後、我が家は反逆者というとびきりの不名誉を負うことになった。その時点で我が家の名誉や体面というのはあって無いようなものなのよ。だからいまさらそんなものこだわる意味も無いのだけれど」
タニアは応接間の壁にぐるりと視線をやった。壁一面に肖像画や風景画、ヴェスターニャの家紋を刻んだ盾などが飾られている。暖炉の上の肖像画の中、今のタニアを思わせる少女が品の良い紳士と淑女に囲まれて無邪気に笑っている。その隣の風景画の中では緑豊かな農村で金の麦補が風に波打っている。
「それでもヴェスターニャを慕う領民と領地がいる限り、私は彼らのために最大限我が家の体面を守らなくては」
「……あんたが貴族のお姫さんとして偉ぶった物言いをするのはそのためか。検問官相手と今じゃ別人みたいだぜ」
サザシアークに紫の花のような虹彩でじっと見つめられて、タニアは大人しく首を縦に振った。そしてそのままぽろぽろとこぼれるように言葉を紡ぐ。
「王家の傍流の公爵家で、建国の三勇士の末裔だからお家お取り潰しにならなかった。名門貴族という華々しい名誉、反逆者という不名誉。その二つを抱えているから周りも対応に困っていて、扱いが難しいの。だからウチには貴族娘がメイドに来ない」
「扱いの難しい家だから出入り業者だったガラタ商会がその任を他に譲った。そしてそれを俺が引き継いだ」
ハーメド商会がタニアの言葉を継ぐと、彼女は首を縦に振った。そしてややあって
「まぁ、それだけじゃないけど」
と呟いた。けれどそこで話題を強引に変える。
「ハーメド商会、来月は事前に渡した注文書に書いてる物と……それから何かフレーバーの付いたお茶を持ってきて」
「……それじゃ、オレンジの香りがするお茶を持ってきます。ちょうどシェキバ産の良いのがある。ちょうど今飲んでるコレみたいに少しスパイスのテイストがある香りで、たぶんお姫さんの好みだ」
「……私の好み?」
少し考えてからその場ですらすらと次に持ってくる商品を提示したサザシアークの言葉にタニアは片眉を上げた。
「長旅から帰ってきて飲む茶は、家にいくつもの茶を常備してるあんたほどの貴族なら、好みのものか、リラックス効果のあるものか、どっちかだろ。でもこの茶の味と香りは後者じゃないから前者だ」
タニアの後ろに控える執事ダニーがほう、と感心したように声を挙げた。正解だった。タニアも納得したようにうなずき、堂々と言った。
「では今度それを持ってきなさい」
会見はそれでお開きになった。ハーメド商会の男は老メイドから、これからヴェスターニャ家に出入りするために着るいくらかの服を渡されてから屋敷を後にした。若いメイドたちが若く美しい商人をもてはやす声を聴きながら、タニアは彼の後姿を見つめて呟く。
「ガラタ商会がウチの出入り業者をやめたのはそれだけではないわ。……嵐の雨には雲が出るものよ」




