第91話 猶予無き戦場
充は和田に渡された資料に目を通す。
対策チームに参加こそしなかったものの、装備庁の職員として協力してくれている土肥。
忙しさにかまけて忘れていたが、そう言えば年越し前にそんなことを発注したような気がする。
「そもそもユメカガク製フルダイブは元はと言えば一佐と新稲氏の作ったJr.が元にあるという話だったろう」
和田の言う通り現在世に出回っている和製フルダイブ技術は、充達が作ったJr.が渚沙によって大誠に手渡されたことで完成した。
Jr.の利点は安全かつ安定したフルダイブが出来、外界との接続が非常に強い点にある。
裏を返せばそれは、少しの衝撃などフルダイブから目覚めやすくなるのだ。
フルダイブ中に外から触れられればその感触が直に伝わるし、声をかけられれば聞こえてくる。
大誠のフルダイブがプレイヤーを熟睡させているのだとすれば、充達のJr.はせいぜいうたた寝程度のものだ。
「つまりこれを使えばヨルムンガンドにログインしてもログアウト不可にはならないと?」
「厳密に言うとログアウト不可にはなりますが任意のタイミングで目覚められる、と言うことです」
風景の解像度もユメカガク製より少し低い程度だ。
脳に直接送り込まれる電気信号の量が元々少ない設計のため、何かあっても焼かれる心配は少ない。
「もし脳を焼かれたとしても、死ぬようなことはおそらくありませんよ」
「脳を焼かれること自体が問題なのよ」
呆れたとでも言うように静は頭を抱える。
「そもそもJr.のプログラム上、他からの干渉を受けづらい設計になっています。ウイルスへの防御力だけで言えば、ユメカガクのDDよりよほど強い。もし戻れなくなっても、メッセージでなどやり取りは出来ると思います」
「だから、フルダイブを許可しろと言いたいわけ?」
「まだ不満ですか?」
「大いに不満よ」
静は不機嫌そうな目で充をじっと睨み付け、指先で資料をトントン叩く。
「第一この機器が本当に足立大誠影響下でその強みを発揮できるかが不透明です。書き口は全て推測だし机上の空論まみれ。モノの真価は現場に出て始めて分かるのよ」
「だから俺がその真価を……」
「そんな危険な役をあなたにやらせるわけにはいきません。勿論、他の誰でも同じことよ」
充の反論を遮るように静はそう言葉を連ねる。感情が高ぶったとき、逆に敬語口調になるのは彼女の昔からの癖だ。
だが、今のままでは結局何の手も打てないまま時が過ぎてしまう。それだけは、避けなくてはならない。
「とにかく! 私はそんなこと許可出来ません」
「三五二六名」
「は?」
「今日の午前九時になった段階での合計死者数です。たった一ヶ月でこれだけの人数が死にました。そのうちおよそ三分の一がまだ十五歳にも満たない子どもです」
充はうつむいたまま腰を浮かせてそうまくし立てる。向こうが本気で止めるなら、こちらは本気で押し通らなくては。
「早く手を打たないと、救えたはずの命まで救えなくなる。その中には、お二人のお子さんだっているかもしれない」
静の肩がぴくりと揺れる。和田も、苦虫を噛み潰したような顔だ。
「足立大誠は悪逆非道の犯罪者です。その名前は何百年先の歴史にも刻まれるでしょう。それでもあいつは、嘘はつきませんよ。それを、俺が命を懸けて証明して見せます」
「…………私は、許可出来ません」
静は資料を握りしめ、うつむいたまま会議室を足早に出ていった。
「あっ、大江さ――」
「和田さん。土肥先生に伝えてもらっても構いませんか?」
「何を?」
「これ、早速作ってくれと。なるたけ早く」
事件解決のためには、もう手段を選んではいられない。
和田の喉仏が動く。充は力のこもった眼で彼をじっと見つめた。
「お願いします。和田さん」




