第92話 冷や風
事件発生から、もう一ヶ月が経過しようとしている。
最初の一週間はまだ混乱と阿鼻叫喚が渦巻いていた世界も、今となってはすっかり落ち着きを取り戻している。
まるでもとからこうであったように。
「お茶々、また物思いに耽ってるのかい?」
ホワイトステート領の中心市街地を一望できる小高い丘の上。
そこに座り込んで下の風景を見下ろす茶々丸の横に、すっと九龍が腰掛けた。
一ヶ月(体感時間ではもっとだが)も同室で寝食を共にして今後のことをあれこれ考えていると、自然と心の距離は縮まってくる。
いつの間にか九龍は、茶々丸のことをあだ名で呼ぶようになっていた。もっともそれは、茶々丸も同じことだが。
「あ、クーちゃん。いえ。ぼーっとしていただけです」
茶々丸は九龍をチラリと見てそう言うと、また視線をもとに戻した。
眼下の町では、最初の頃より幾らか増えたプレイヤー達が忙しく行き交っている。
ただのレア鉱山の麓町だったホワイトステート領は、二人がウェルンドを連れてきたお陰もあって一層発展した。
町の外へ盛んにくり出し、モンスター達を狩る冒険者達が、上質なアイテムとウェルンドの加工技術を求めてここに集う。
そうして装備を整えたプレイヤー達は皆、各々の目的のためにまた町を後にするのだ。
「今日は特に人が多いな。こりゃウェルンド、大忙し間違いなしだな」
「セクハラ常習犯の彼には良い薬でしょう」
二人はそう顔を見合わせて苦笑した。
望み通り打刀を最高品質で打ってもらった茶々丸は、その流れでウェルンドにホワイトステートへの転居を願い出た。
「えっ! い、いやぁ、それはちょっとなんと言うか、ご遠慮願いたいのですが……」
「は?」
「慎んでお請け致します!!」
茶々丸が右足を床から離すこと無く、ウェルンドはその申し出を受け入れた。
「それでは、発生した利益の内三パーセントを我が領内へ納めて頂く、と言うことですよろしいですね?」
「は、はい……」
最終的に応接室へ通されたウェルンドは、NPCエルフ同伴のもと、フォックストロットから直接手渡された契約書にサインをして、正式に領内の御用鍛冶屋になった。
「お陰でNPCのエルフを五人にまで増員できたんだし、まぁ奴も何だかんだ満足だろう」
何処からともなく取り出したポットからマグカップへと紅茶を注ぐ九龍。優しい香りが、茶々丸の鼻をくすぐった。
「ほれ、紅茶」
「ありがとうございます」
差し出されたマグを両手でそっと受け取り、茶々丸は口をつける。心の安らぐ、穏やかな味だ。
「ミツルのこと考えてたろ」
「ひぇっ!?」
にぃっと笑って九龍が聞く。あまりにも突然のことに、茶々丸は思わず紅茶をこぼしそうになる。
「ななな、何を根拠にそんなこと」
「顔赤い、目泳いでる、早口。こりゃ図星みたいですなぁ」
心の底から楽しそうに、九龍はそう茶々丸を肘でつく。
「言っときますけど、先輩と私はクーちゃんが想像しているような関係じゃ無いですからね?」
「ほうほう。んじゃその内そうなりたい関係ってな感じですかなぁ」
「だぁー! もう! そんなことばっかり言ってると、叩き斬っちゃいますよ?」
火を吹きそうなほどに顔を紅潮させて茶々丸は立ち上がる。そんな様子がまたおかしくって、九龍は笑いが止まらない。
「なに笑ってんですか!」
「いやだって、面白くって……」
「面白くともなんともあーりーまーせーんー!」
腹を抱えてのたうち回る九龍に、茶々丸はもぉ、と両手を腰に当ててため息をついた。
全く失礼な奴だ。どうしてやろうか。そんな風に思っていたとき……
「あれ、フォックストロットさんからチャットだ」
――領内にモンスター多数侵入。火急の対応願いたし
冷たい風が、茶々丸の頬をそっと撫ぜた。




